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追悼 小沢昭一さん

2012年12月13日 | 日記
12月10日、俳優の小沢昭一(おざわ しょういち)さんがお亡くなりになられました。
83歳だそうでございます。
83歳といえば、天寿を全うしたといっても、いいんじゃないでしょうか。

それにしても最近、芸に生きた方が相次いでお亡くなりになられております。
1カ月前の11月10日には、俳優の森光子(もり みつこ)さん。
そして、12月5日には歌舞伎の18代目・中村勘三郎(なかむら かんざぶろう)さん。
92歳でお亡くなりになられました森さんはいいとして(失礼!)、勘三郎さんは、まだ57歳だったというじゃありませんか。
これから、という時だっただけに、ご本人もさぞご無念だったのではないでしょうか。

今日は、「追悼 小沢昭一」ということでお送り致したいと思っております。





俳優・小沢昭一さんは、テレビや映画でも活躍しておられました。
ウィキペディアによりますと、映画には200本以上もご出演なさっておられるそうです。
しかも、そのほとんどが個性的な脇役だったというのですから、昭和の日本映画界にあって、無くてはならないバイ・プレイヤーだったのでありましょう。

しかし、しかしでありますよ。
私にとっての小沢さんといえば、ラジオ。
『小沢昭一の小沢昭一的こころ』なんでありますね。

調べてみましたらこの番組、1973年(昭和48年)の1月に始まっております。
私が9歳、その年の春に小学校4年生になろうかという時に始まった番組なんですね。
つまり、来年の1月で放送40年を迎える、文字通りのご長寿番組でありまして、今年12月7日までの放送回数(TBSラジオ)は、傑作選も含めて10,410回にのぼるんだそうでございます。
いやはや、ギネスものであります。

私、中学から部活を始めまして、この番組が放送される時間には家におりませんでした。
高校でも部活をしておりましたし、大学・社会人になってからはラジオを聞くこともあまりありませんし、聞いてもFM放送が主でありました。

ですから、この番組を聞いていたのは、小学4年から6年までの3年間ということになるんですね。
もっと長い間、この番組を聞いていたような気がするのでありますが、いや、人間の記憶というものは、けっこういい加減なものかもしれませんなァ。
その私の記憶が確かならば、広島では夕方の5時40分からRCC(アールシーシー)ラジオで放送されておりましたよ。

このあたり、RCC 開局60年にちょこっとだけ触れておりますので、よろしければご覧になってください。
…以上、宣伝でございました。


私のお袋は、何をするにもラジオをつけている人でした。
文字通り、一日中、ラジオをつけっぱなしにしているんですね。
編み物をするときはもちろん、アイロンをかけるとき、食事の用意をするとき、そして食事をするときも、ラジオはついておりました。
そうじのときは…、そうじのときはさすがにつけていなかったようですが。
今考えてみますと、いわゆる「ながら族」の走りだったのでありましょうな。

この番組が放送されている夕方5時40分といえば、お袋が台所で夕食の用意をしている時間でございました。
つまり、夕食を用意している母親の背中を見ながら、私はこの番組を聞いていたことになるんですね。

ですからこの番組、番組自体の面白さもあるのでしょうが、お袋の背中と、夕食のにおいとがセットになって、妙に懐かしく感じるのかもしれませんなぁ。

私のお袋は、今も健在ですが。

おっと、ご紹介するのを忘れておりました。
『小沢昭一の小沢昭一的こころ』は、こちらでお楽しみなることができます。
最近では、ネットでラジオも聴けるんですね。
知らなかった。

もちろん、CDも発売されておりますよ。
『小沢昭一の小沢昭一的こころ大全集』というタイトルで、CD10枚組。
お値段も税込みで19,950円、というからすごいじゃありませんか。
いや、たいしたもんだ。

…が、それにしても、やっぱり、19,950円というのはお高いのであります。
私なんぞに、おいそれと出せる金額ではありません。

私としては、「傑作選」をデアゴスティーニあたりから隔週刊くらいのペースで発売していただきたいな、と思っているのでありますよ。
隔週だと、1年で26号になりますかね。
1号あたり1,000円ちょっとのお値段なら、なんとか買えるんじゃないかなぁと。

ということで、ご検討いただけないでしょうか。





小沢昭一さんは、俳優のほかにも、いろんな活動をされておられましたよ。
俳人、エッセイスト、芸能研究者に放送大学客員教授。
そして見世物学会の顧問。
こういうのを、多芸多才(たげいたさい)というのでしょうね。
見世物学会って、どんなこと研究する会なんでしょうか。

俳句の会は黒柳徹子(くろやなぎ てつこ)もご一緒されておりまして、黒柳さんによると、小沢さんはちょっとした人間の営みを見つけて俳句を作る方だったそうです。
俳号は小沢変哲。
「変哲(へんてつ)」って名前、ご自分でつけられたんでしょうか。

また、放浪芸を発掘、収集されて、『日本の放浪芸』『又・日本の放浪芸』『また又・日本の放浪芸』『まいど・日本の放浪芸』としてまとめていらっしゃいます。
『日本の放浪芸』では、1971年(昭和46年)度の日本レコード大賞企画賞を、『又・日本の放浪芸』では、1974年(昭和49年)度の芸術選奨新人賞を、それぞれ受賞されております。


私が聞かせていただいたのは、明治後半から昭和初期にかけて活躍された添田唖蝉坊(そえだ あぜんぼう)の演歌でありました。

  ♪あなた 変わりはないですか
  (『北の宿』作詞:阿久 悠 (あく ゆう))


いやいや、その演歌とは違うのであります。

どちらも「演歌」と書くんですが、こちらは「演説歌」の略語。
演説歌というのは、政治を風刺する歌のことなんですね。
19世紀も終わりのころと申しますから、明治も終わりのころです。
演説に関する取締りが厳しくなってきたので、演説の代わりに歌を歌うようになったのが「演歌」の始まりだったんだそうでございます。
添田唖蝉坊という方は、「ノンキ節」や「ゲンコツ節」なんかを歌われていたそうです。
小沢さん、天下のNHK(Eテレだったかな?)の番組で、これらの曲を気持ちよさそうに歌われておりましたよ。


ほかには、『ハーモニカブルース』

  ♪ハーモニカが欲しかったんだよ
  (作詞/作曲:一部 谷川俊太郎/山本直純)


いつ、どこで聞いたかは覚えておりませんが、
戦争に負けた日本で、ハーモニカなんて売ってなかったんだ。
でも、どうしてもハーモニカが欲しかったんだ。
というような歌でありました。

こちらで聞くこともできます。


あと、『土耳古行進曲(トルコ行進曲)』なんて曲も歌われておられましたよ。
『トルコ行進曲』といっても、あの有名なモーツァルトのピアノソナタ第11番とは違います。
あの、加藤登紀子(かとう ときこ)さんが作詞・作曲された歌というのですから、さぞや旅情あふれる曲かと思いきや…。

 ♪私の身体は ハガネの強さ
  朝晩鍛えた この腕 この足
  正義のために 大地をけって
  行け行け トルコへトルコへ
  行け行け トルコへトルコへ
  (小沢昭一・宮腰太郎『小沢昭一的 東海道ちんたら旅』新潮社 1995年)


なんのことはない。
トルコへ行けと歌っているだけ、トルコへの旅をすすめているだけの歌なのであります。

しかし、このころトルコといえば、現在、ソープランドと呼ばれる、いわゆる個室付特殊浴場のことでもありました。
そのうえ、この歌のコーラスを担当する児童合唱団のお母様方からクレームがついたのであります。

  小沢昭一とトルコ。
  これなんだかいかがわしい唄なんじゃないの!
  うちの子たちは出せません!
  (同上)


お母様方のご心配、よーくわかります。

いろいろありましたが、結局、無事に録音して発売することができましたが…。





小沢昭一という名前、ご本名なんだそうですね。
「昭一」って名前だから昭和元年(1926年)のお生まれかと思いましたら、昭和4年の生まれだそうです。
ま、昭和元年といっても、大正天皇が崩御した12月25日から、1週間しかなかったのでありますが。

16歳になった小沢少年は昭和20年の4月、海軍兵学校に入校いたします。
小沢少年を含めた、その時代の男の子は、お国のために散る(=死ぬ)ことを教え込まれた世代でありました。

しかし、その4ヵ月後、山口県の防府(ほうふ)で終戦を迎えることになります。
生まれ故郷である東京へ帰る途中、乗っていた汽車は、広島駅に立ち寄ります。

そこで火の玉を見た、というんですね。
もちろん、ここは地獄じゃありませんし、火の玉も本物ではありません。
火の玉に見えたのは、原爆で犠牲となった人びとの死体を荼毘(だび)に伏している火だったそうです。
その時のにおいが終生忘れられないと、とも語っていらっしゃいます。
そしてこの時、人間の命というものは何にもまして尊いものだ、という考え方に切り替わったとも語られておられますよ。

舞台やお芝居ができるのも、ハーモニカが吹けるのも、スケベな話ができるのも、平和な世の中だからこそなのであります。


最後に、小沢さんがご著書に書かれた文章を紹介して終わりにしたいと思います。

  戦争反対を叫ぶとなんだかダサーイような、
  あるいは「一国平和主義」と言って笑うような、
  そういう風潮になっていることを、近頃感じますなァ。
  私ども、戦争を知っている世代は、
  生涯かけて戦争反対を言い続けます。

  このことは、ドマジメよ!
  (同上)






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