【問題】
広島市東区牛田新町の不動院から東区矢賀のJR矢賀駅までの間に点在する由緒ある神社・仏閣などの文化遺産を結んだ散 歩道の名前は?
1.二葉の里 文化の散歩道 2.二葉の里 平和の散歩道 3.二葉の里 歴史の散歩道 4.二葉の里 神社 ・仏閣の散歩道
【ヒント】
神社・仏閣以外のものも含まれています。
ひろしま通認定試験は2009(平成21)年12月6日(日)実施です。
【解答】
3.二葉の里 歴史の散歩道
【解説】
420年前の1589(天正17)年、毛利輝元が太田川デルタに広島城を築いたことで、都市としての広島の歴史がはじまる。
輝元は二葉山に登って、現在の広島城の位置を決めたといわれる。
歴代の城主は城の鬼門(きもん)にあたる北東の地、二葉の里方面に領土鎮護のためのお寺や神社を建てた。
鬼門とは北東(艮=うしとら。丑と寅の間)の方位のことで、陰陽道では、鬼が出入りする方角であるとして、万事に忌 むべき方角としている。
平安京では大内裏から鬼門の方向に比叡山延暦寺(ひえいざん えんりゃくじ)が、裏鬼門の方向に石清水八幡宮(いわ しみずはちまんぐう)が置かれた。
今回は、こちらを参考に読んでみてください。
二葉の里歴史の散歩道 広島百科旅に宿 http://www.hiroshima.cn/tokushu/futaba/
1.不動院
足利尊氏(あしかが たかうじ)が全国に安国寺を置いた際、安芸国では不動院を充てた。
一時衰退したが16世紀後半、住職の安国寺恵瓊(あんこくじ えけい)が復興。
その後、福島正則がにより真言宗に改め、寺名を不動院とした。
被爆建物であり、金堂は広島市内に現存する唯一の国宝である。
2.日通寺(にっつうじ)
1694(元禄7)年に浅野藩主の菩提寺となる。
浅野3代目藩主・綱晟(つなあきら)の霊廟(れいびょう)が置かれ、藩主ゆかりの寺として重んじられた。
3.水道市資料館
1985(昭和60)年に開館し、通水を開始した当時の鋳鉄管やメーター類など約50点を展示している。
もとは1898(明治31)年に軍用として建てられ、横浜・函館・長崎・大阪に続く全国5番目の近代水道だった。
原爆投下の8月6日にも職員がポンプを修理して給水し、広島市全域での断水は避けられたという。
広島の水道は100年以上、不断水の記録を続けている。
番外.工兵橋(こうへいばし)
明治22年(1889)に京橋川に架けられた、陸軍工兵隊の演習場への連絡橋。
原爆に被災するも、爆風方向に対して平行に架かっていたため被害はなく、広島市内から郊外(牛田方面)への避難経路 として使われた。
4.碇(いかり)神社
奈良時代初期の創建といわれる、広島城下では一番古い神社。
当時、このあたりは海岸で碇を下ろしていたことから呼ばれるようになったという。
5.八剣(やつるぎ)神社
広島城主・福島正則が人柱に代えて箱に納めた名剣八振を地中に埋め、洪水による土手の被害を防いだ。
この名剣を八剣大明神として祀ったのが起源とされる。
6.安楽寺(あんらくじ)
1533(天文2)年、天台宗から浄土真宗に改められた。
1758(宝暦8)年の大火で類焼するも、1788(天明8)年に再建された。
本堂は原爆の爆風の影響で北側に傾き、被爆した大イチョウは山門の屋根を貫いて枝を伸ばしている。
7.饒津(にぎつ)神社
1835(天保6)年、藩祖・浅野長政を祀るため、浅野9代目藩主・斉粛(なりたか)が、明星院境内の西側半分に造営した 。
原爆により本殿・拝殿などが焼失したが、1984(昭和59)年に再建された。
8.明星院(みょうじょういん)
毛利輝元の生母・妙寿院の菩提寺であったが、福島正則が明星院と改めた。
浅野氏の時代になると、寺が城の艮(うしとら。北東)に位置することから鎮護の祈祷所とされた。
原爆により全焼したが、1974(昭和49)年に再建された。
堂内には赤穂浪士四十七士の木像が安置されている。
9.鶴羽根(つるはね)神社
鎌倉時代に建立された椎の木八幡宮が前身といわれ、約800年の歴史を持つ広島東部の総氏神。
1868(明治元)年に鶴羽根八幡宮、1872(明治5)年に鶴羽根神社と改められる。
原爆により焼失するが、石鳥居・唐獅子・石燈籠は難をのがれた。
10.広島東照宮
東照宮は徳川家康の霊を祀る神社。
1648(慶安元)年、浅野2代目藩主・光晟(みつあきら)によって創建された。
(光晟の生母は、家康の第三女・振姫(ふりひめ)である)
原爆により本殿・拝殿は焼失したが、1965(昭和40)年に再建された。
焼け残った唐門・翼廊(よくろう)・手水舎(ちょうずしゃ)などは広島市指定重要有形文化財に指定されている。
11.金光稲荷(きんこういなり)神社
元禄のころに建てられた。
東照宮社殿から山頂の奥宮までに、約100基の鳥居と約500段の石段がある。
12.二葉山平和塔(通称:仏舎利塔)
1966(昭和41)年、世界の恒久平和と原爆犠牲者の冥福を祈るために建てられた。
13.尾長(おなが)天満宮
天満宮は学問の神・菅原道真を祀る神社。
平安時代、道真が左遷されて太宰府に向かう途中、当時海辺であったこの地で休息したと伝えられる。
尾長山(二葉山)の山中にあった神社を移して、1640(寛永17)年に天満宮を建立したといわれる。
14.國前寺(こくぜんじ)
1340(暦応3)年、日蓮宗・暁忍(ぎょうにん)寺として開かれたが、1656(明暦2)年、浅野2代目藩主・光晟(みつあきら)夫人の菩提寺となる。
本堂と庫裏(くり)は国重要文化財、山門と境内地が広島市指定重要有形文化財に指定されている。
15.聖光寺(しょうこうじ)
かつては瑞川寺と称し、広島で最古の寺の一つで、赤穂義士大石父子の供養墓がある。
1589(天正17)年、毛利輝元が広島城を造るため明星院山(二葉山)に登って検分した際、この寺に泊ったといわれる。
16.才蔵寺(さいぞうじ)
福島正則の家臣、可児(かに)才蔵を祀る寺。
才蔵は晩年に仏門に入りみそ造りをすすめたといわれ、才蔵ゆかりのみそ地蔵が有名。
歴史の散歩道のあらましは知っとったが、今回、全工程について初めて調べてみた。
ところが、資料によっては工兵橋や三本松・我羅我羅橋(がらがらばし)が入っていたり、水道市資料館などが入ってい なかったり…と、よくわからん。
「これが正しい」と確定できなかったので、次回までの宿題ということにさせてください。
今回の「二葉の里歴史の散歩道」は、『ひろしま通になろう』に載っているものを参考にしました。
(工兵橋が「番外」となっているのは、そのためです)
今日は、二葉の里歴史の散歩道について勉強をさせてもらいました。
今日も勉強になったでがんす。
近所にあるんじゃけえ、たまにゃあ歩いてみんにゃいけんのう。
今回は、「ひろしまファンクラブ 第114号 平成19年10月25日(木)発行」から出題させてもらいました。感謝!
「ひろしま通」の過去問は、「ひろしまファンクラブ」というメールマガジンに出とります。
ほいじゃあ、またの。
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