やなせたかし展
やなせさんと三越の包装紙
やなせさんと梯 久美子さん
やなせさんと戦争
「おとつい、8月14日はひろしま美術館で開催中の「詩とメルヘン絵本館開館20周年 やなせたかし展 みんな大好き!アンパンマンの生みの親」(2018年7月14日~8月26日)を見に行ってきた」
「ひろしま美術館は今年、開館40周年じゃね(1978年11月開館)」
「今年は、アンパンマンの生みの親であるやなせたかしさんが94歳で亡くなって、5年がたつんじゃの」
↓「やなせたかし展」については、こちら↓
「特別展 やなせたかし展」ひろしま美術館
「今回の展示で初めて知ったのが、三越の包装紙のデザインにやなせさんが関わっていたということ」
「えぇ!? 三越の包装紙って、白地にピンクの雲の型をしたやつが浮かんどる、アレじゃろ?」
「あれは、画家の猪熊弦一郎(いのくま げんいちろう)さんによるデザイン。そこに、ローマ字の筆記体で「mitsukoshi」って書いてあるじゃん」
「あるね。あれはやなせさんが書かれた文字?」
「そう」
「へぇ。でもなんで、やなせさんが三越の包装紙に絡んでくるん?」
「やなせさんはこのころ、三越の宣伝部に勤務されとった。その縁で、包装紙に「mitsukoshi」という文字を書いて、それが今も使われとるそうじゃ」
「なるほど」
↓三越の包装紙については、こちら↓
「三越の包装紙と結婚祝いののし紙のお話」三越オンラインストア
「次は、梯 久美子(かけはし くみこ)さんについて」
「梯さんは、絵本を書かれる方?」
「作家の方で、わしが読んだものだけでいうと、
『散るぞ悲しき―硫黄島総指揮官・栗林忠道』(新潮社 2005年)
『昭和二十年夏、僕は兵士だった』(角川書店 2009年)
『昭和二十年夏、子供たちが見た日本』(角川書店 2011年)
という本を書いておられる。最近では、『原民喜―死と愛と孤独の肖像』(岩波新書 2018年)を出されとってんじゃ」
「原 民喜(はら たみき)さんといえば、広島で被爆したあと、小説「夏の花」などの作品を残されとってじゃね」
「やなせたかし展の最後に物販のコーナーがあるんじゃが、そこに梯さんが書かれた伝記本『勇気の花がひらくとき やなせたかしとアンパンマンの物語』(フレーベル館 2015年)という本が置いてあった」
「やなせさんと梯さんって、どういう関係?」
「やなせたかしさんが編集長を務めていた『詩とメルヘン』という雑誌に、梯さんが詩を応募して、何度か掲載された。それが縁で、やなせさんの下で編集者として働いていたそうじゃ」
「へぇ」
「梯さんは、作家デビューを喜んだやなせさんに招かれて行った雑誌対談で、やなせさんの戦争体験と、弟・千尋(ちひろ)さんのことを知ることになる」
↓梯 久美子さんについては、こちら↓
「ノンフィクション作家の梯久美子さん。「50代で自分なりの課題が見えてきた」」クロワッサン オンライン
↓『勇気の花がひらくとき やなせたかしとアンパンマンの物語』については、こちら↓
「勇気の花がひらくとき やなせたかしとアンパンマンの物語」フレーベル館
「最後は、やなせさんと戦争、弟の柳瀬千尋さんについて」
「やなせさんは、戦争に行かれたん?」
「やなせさんは、1919年(大正8年)生まれ。1941年(昭和16年)に召集されて入隊するも、自身は無事、終戦を迎えたが、2歳年下の弟・千尋さんを失ってしまう。このことが、「正義とは何か」について考えるきっかけになったそうじゃ」
「難しいね。Aさんにとっての正義が、Bさんにとって正義だとは限らんもんね」
「戦場を体験したやなせさんは、「絶対的な正義は、困っている人を助ける、飢えている人に食べ物を差し出すことだ」と考えられた」
「お腹のすいた人に自分の顔を食べさせる、アンパンマンの誕生」
「小さいころの千尋さんは、やなせさんによると「コンパスで描いたような丸顔」じゃったという。ということは、亡き弟のイメージをアンパンマンに重ねとってんかもしれんの」
「最初の「アンパンマン」は、あんパンを配る、ヒーローらしくない、ふつうのおじさんがじゃったよね」
「「アンパンマン」は1969年、やなせさんが50歳の時に描いたのが最初。これが1973年、子供向けの絵本「あんぱんまん」になった」
「そうそう。あんパンでできた頭を持つ「あんぱんまん」は、この時から自分の頭を食べさせるって話になったんよ」
「ところがこの「あんぱんまん」、編集部や幼稚園の先生などからの評判は、さんざんじゃった」
「ほうじゃったん?」
「逆に、子どもたちの間で人気が出たことで、売れた。そこで、子どもたちに合わせて、初期の8頭身から3頭身へと変わり、今のアンパンマンになったそうじゃ」
「子どもたちが好きなアニメ『それいけ!アンパンマン』は今年、放送開始30周年になるんじゃね(1988年10月放送開始)」
↓やなせたかしさんについては、こちら↓
香美市立やなせたかし記念館 アンパンマンミュージアム&詩とメルヘン絵本館
↓『それいけ!アンパンマン』放送開始30周年については、こちら↓
「それいけ!アンパンマン」30周年記念サイト
訪問日:2018年8月14日
「今日は、ひろしま美術館で開催中の「やなせたかし展」について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
やなせさんと三越の包装紙
やなせさんと梯 久美子さん
やなせさんと戦争
「おとつい、8月14日はひろしま美術館で開催中の「詩とメルヘン絵本館開館20周年 やなせたかし展 みんな大好き!アンパンマンの生みの親」(2018年7月14日~8月26日)を見に行ってきた」
「ひろしま美術館は今年、開館40周年じゃね(1978年11月開館)」
「今年は、アンパンマンの生みの親であるやなせたかしさんが94歳で亡くなって、5年がたつんじゃの」
↓「やなせたかし展」については、こちら↓
「特別展 やなせたかし展」ひろしま美術館
「今回の展示で初めて知ったのが、三越の包装紙のデザインにやなせさんが関わっていたということ」
「えぇ!? 三越の包装紙って、白地にピンクの雲の型をしたやつが浮かんどる、アレじゃろ?」
「あれは、画家の猪熊弦一郎(いのくま げんいちろう)さんによるデザイン。そこに、ローマ字の筆記体で「mitsukoshi」って書いてあるじゃん」
「あるね。あれはやなせさんが書かれた文字?」
「そう」
「へぇ。でもなんで、やなせさんが三越の包装紙に絡んでくるん?」
「やなせさんはこのころ、三越の宣伝部に勤務されとった。その縁で、包装紙に「mitsukoshi」という文字を書いて、それが今も使われとるそうじゃ」
「なるほど」
↓三越の包装紙については、こちら↓
「三越の包装紙と結婚祝いののし紙のお話」三越オンラインストア
「次は、梯 久美子(かけはし くみこ)さんについて」
「梯さんは、絵本を書かれる方?」
「作家の方で、わしが読んだものだけでいうと、
『散るぞ悲しき―硫黄島総指揮官・栗林忠道』(新潮社 2005年)
『昭和二十年夏、僕は兵士だった』(角川書店 2009年)
『昭和二十年夏、子供たちが見た日本』(角川書店 2011年)
という本を書いておられる。最近では、『原民喜―死と愛と孤独の肖像』(岩波新書 2018年)を出されとってんじゃ」
「原 民喜(はら たみき)さんといえば、広島で被爆したあと、小説「夏の花」などの作品を残されとってじゃね」
「やなせたかし展の最後に物販のコーナーがあるんじゃが、そこに梯さんが書かれた伝記本『勇気の花がひらくとき やなせたかしとアンパンマンの物語』(フレーベル館 2015年)という本が置いてあった」
「やなせさんと梯さんって、どういう関係?」
「やなせたかしさんが編集長を務めていた『詩とメルヘン』という雑誌に、梯さんが詩を応募して、何度か掲載された。それが縁で、やなせさんの下で編集者として働いていたそうじゃ」
「へぇ」
「梯さんは、作家デビューを喜んだやなせさんに招かれて行った雑誌対談で、やなせさんの戦争体験と、弟・千尋(ちひろ)さんのことを知ることになる」
↓梯 久美子さんについては、こちら↓
「ノンフィクション作家の梯久美子さん。「50代で自分なりの課題が見えてきた」」クロワッサン オンライン
↓『勇気の花がひらくとき やなせたかしとアンパンマンの物語』については、こちら↓
「勇気の花がひらくとき やなせたかしとアンパンマンの物語」フレーベル館
「最後は、やなせさんと戦争、弟の柳瀬千尋さんについて」
「やなせさんは、戦争に行かれたん?」
「やなせさんは、1919年(大正8年)生まれ。1941年(昭和16年)に召集されて入隊するも、自身は無事、終戦を迎えたが、2歳年下の弟・千尋さんを失ってしまう。このことが、「正義とは何か」について考えるきっかけになったそうじゃ」
「難しいね。Aさんにとっての正義が、Bさんにとって正義だとは限らんもんね」
「戦場を体験したやなせさんは、「絶対的な正義は、困っている人を助ける、飢えている人に食べ物を差し出すことだ」と考えられた」
「お腹のすいた人に自分の顔を食べさせる、アンパンマンの誕生」
「小さいころの千尋さんは、やなせさんによると「コンパスで描いたような丸顔」じゃったという。ということは、亡き弟のイメージをアンパンマンに重ねとってんかもしれんの」
「最初の「アンパンマン」は、あんパンを配る、ヒーローらしくない、ふつうのおじさんがじゃったよね」
「「アンパンマン」は1969年、やなせさんが50歳の時に描いたのが最初。これが1973年、子供向けの絵本「あんぱんまん」になった」
「そうそう。あんパンでできた頭を持つ「あんぱんまん」は、この時から自分の頭を食べさせるって話になったんよ」
「ところがこの「あんぱんまん」、編集部や幼稚園の先生などからの評判は、さんざんじゃった」
「ほうじゃったん?」
「逆に、子どもたちの間で人気が出たことで、売れた。そこで、子どもたちに合わせて、初期の8頭身から3頭身へと変わり、今のアンパンマンになったそうじゃ」
「子どもたちが好きなアニメ『それいけ!アンパンマン』は今年、放送開始30周年になるんじゃね(1988年10月放送開始)」
↓やなせたかしさんについては、こちら↓
香美市立やなせたかし記念館 アンパンマンミュージアム&詩とメルヘン絵本館
↓『それいけ!アンパンマン』放送開始30周年については、こちら↓
「それいけ!アンパンマン」30周年記念サイト
訪問日:2018年8月14日
「今日は、ひろしま美術館で開催中の「やなせたかし展」について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」