通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

要塞地帯標~呉市ぶらり(その13)

2018年06月14日 | 見て歩き
要塞地帯標

入船山(いりふねやま)記念館






「前回は、入船山記念館に移築された高烏台(たかがらすだい)火薬庫について話をした」

「戦争末期、海軍の鎮守府や工廠を守るため、呉市を取り囲むように砲台が据え付けてあったんじゃね」

「今回は、入船山記念館にある要塞地帯標を紹介していこう」







「高烏台火薬庫は、入船山記念館を入ってすぐ右手側にあるんじゃが、その階段下にあるのが要塞地帯標じゃ」

「要塞地帯標って、ここから先は要塞地帯じゃけぇ立ち入り禁止です、っていう目印のようなもん?」

「そのとおり。要塞という軍事施設と民有地との境に立てられた標識で、戦前まで呉に立てられとったものを戦後、ここに移してきたそうじゃ」







FZ 呉要塞第二區







呉要塞第三區地帯標






「『この世界の片隅に』で、呉湾に停泊しとる艦船をスケッチしとったすずさんが、間諜(かんちょう。スパイ)行為をしとるいうて憲兵に捕まる話があったよね(第12回 19年7月)」

「これは、1899年(明治32年)に作られた「要塞地帯法」という法律の第七条に違反する行為になるんじゃ」



何人ト雖要塞司令官ノ許可ヲ得ルニ非サレハ要塞地帯内水陸ノ形状又ハ施設物ノ状況ニ付撮影、模写、模造若ハ録取又ハ其ノ複写若ハ複製ヲ為スコトヲ得ス



「…???」

「簡単に言うと、どういう人であろと、要塞地帯内の川や海・山の様子や施設の状況を、許可なく写真に撮ったり、絵に描いたりしてはならない、という意味じゃ」

「そうか。すずさんは、「あれが利根、こっちが日向と…」って、艦船の名前をいいながら絵を描いたとったもんね」

「手元に、あき書房が発行した『呉 海軍の街』いう、昔の地図を復刻したものがある。その中の1枚で、大正五年発行の「呉市街地図」には、「呉鎮守府許可済」「要塞司令部許可済」と、わざわざ朱肉の色で印刷してあるんじゃの」

「そういや、明治末期から大正・昭和前期にかけて、盛んに発行された絵はがきに写った山の形も、手が加えとったりしたんじゃろ?」

「例えば呉でいうと、呉を象徴する山・灰ヶ峰(はいがみね)が写真の背景に写っていたときには、消しが入って、本来の山の形が分からんようにしてあったりするんじゃの」

「う~ん、そこまでするか」

「1935年(昭和10年)、呉市で「国防と産業大博覧会」が行われたんじゃが…」

「あ~、遊女のリンさんが、仲介役のおばあさんに遊郭に連れられていく前、あいすくりいむを食べさせてもろうたのが、そのときの会場じゃったね(第41回 りんどうの秘密 (20年10月))」

「このとき発行された観光案内書の末尾に、風景写真に対する要塞地帯の考え方が分かる注意書きが載っとるけぇ、最後にこれを紹介しとこう」



呉軍港一帯では写真撮影は勿論(もちろん)その描写等は国法で固く厳禁されて居ります。若(も)し撮影せんと思ふ方は予(あらかじ)め鎮守府の許可を得なければなりませぬ。この事をよく注意せ(ママ)ないと飛んでもない大迷惑を蒙(こうむ)ることがありますからカメラマンは大いに注意をしてください。





↓入船山記念館については、こちら↓

入船山記念館





↓要塞地帯法の原文については、こちら↓

「要塞地帯法」中野文庫





↓あき書房については、こちら↓

あき書房のウェブサイトへようこそ!





訪問日:2010年12月26日、2015年4月26日





【参考展示】

『広島の歴史的風景 文書館収蔵の絵はがきから』広島県立文書館 2012年7月






「今日は、入船山記念館にある要塞地帯標について話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
コメント
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