2017年8月5日
平和記念式典準備の様子
広島平和記念公園
「今日、2017年8月6日は、広島市中区の平和記念公園で平和記念式典が行われます」
「今から72年前の1945年8月6日、アメリカ軍が原子爆弾・リトルボーイを広島に投下したんじゃ」
「あの日も暑かったそうじゃけど、今日も暑い1日になりそうなね」
「明日、月曜には台風5号が近づいて、大雨になりそうな気配じゃが」
「娘は泳ぎに行く予定を立てとったんじゃけど、ちょっと…」
「無理かもしれんよのう」
「何年前からかは忘れたが、会場には天幕が張られるようになった」
「平和記念式典が行われるのは午前8時からじゃけど、この時点でも暑いけぇね」
「これは?」
「NHKや民放のテレビやラジオがここから放送をしてのようじゃ」
「どっちを向いとるん?」
「向かって左が東、右が西。西を向いて座るようになっとるんじゃの」
「しかも東側には木があるけぇ、日よけになるっとるね」
「いうても、ここも暑いじゃろうの」
「ここから今年も平和宣言が出される」
「そういや、平和記念式典はいつから行われとるんかね?」
「原爆が投下された翌年、1946年8月5日に平和復興広島市民大会が行われたそうじゃ」
「へぇ、そのころからやっとってんじゃ」
「原爆投下から2年後の1947年は、8月5日から7日にかけての3日間、第1回目となる平和祭が行われた。黙とう、平和の鐘、平和宣言、平和の歌の合唱など、今の平和記念式典の基本となるものが、このときからすでに行われとるんじゃの」
「ふーん。でも、そのころの日本は、まだ占領されとったころじゃろ?」
「ほいじゃけぇ、連合軍最高司令官・マッカーサーのメッセージも読み上げられたということじゃそうな」
「原爆死没者慰霊碑は1952年、世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を、平和都市として再建することを念願して設立されました」
「この碑は、広島平和記念資料館と原爆ドームを結ぶ直線上に設置されとる。ほいじゃけぇ、奥には原爆ドームが見えるんじゃ」
「原爆の子の像は1958年、佐々木禎子(ささき さだこ)さんをはじめ原爆で亡くなった多くの子どもたちの霊を慰め、世界に平和を呼びかけるために建立されました」
「ここが一番、人が多かったかもしれんのう」
「去年、2016年にユネスコの世界遺産登録から20年を迎えた原爆ドーム」
「今はそう呼ばれとるが、今から102年前の1915年8月5日、広島県物産陳列館として開館したんじゃの」
「この建物の正面玄関は、道路じゃのうて、目の前を流れる元安川(もとやすがわ)に向いとるんよ」
「1915年いうたら、大正4年。日本ではまだ自動車が普及しとらんかったし、広島の市内電車も1912年に開業したばかり」
「物を運ぶのは船に頼っとったころじゃね」
「川船で運んできた物資を雁木から揚げて、陳列館に運び込んでいたということじゃ」
「その陳列館の敷地内には和式庭園と洋式庭園があって、洋式庭園には6本の柱から水が出る噴水があったそうじゃ」
「原爆ドーム敷地内に残るこの柱が、それなんじゃね」
「広島の中心部にある地下街・シャレオには、安田女子大学・書道学科の書道パフォーマンスが展示してあった」
「五・七・五・七・七…、短歌じゃね。全部でいくつ書いてあるん?」
「全部で9首書いてあった」
「なんか、『この世界の片隅に』を題材にしたような短歌の感じがするね」
「そうじゃろ。わしもそう感じたんじゃが、中に「テレビ中継」という言葉が詠うてあって、なーんか、迷うてしもうたんじゃ」
「それは、生き残ったすずさんが、テレビ中継で平和記念式典を見た時のことを詠うとってんかもしれんよ」
↓平和記念式典については、こちら↓
「平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)の概要」(広島市)
訪問日:2017年8月5日
【参考文献】
(広島市総務局公文書館『被爆50周年図説戦後広島市史 街と暮らしの50年』(1996年3月)
「今日は、午前8時から平和記念式典が行われる平和記念公園と原爆ドームについて話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
平和記念式典準備の様子
広島平和記念公園
「今日、2017年8月6日は、広島市中区の平和記念公園で平和記念式典が行われます」
「今から72年前の1945年8月6日、アメリカ軍が原子爆弾・リトルボーイを広島に投下したんじゃ」
「あの日も暑かったそうじゃけど、今日も暑い1日になりそうなね」
「明日、月曜には台風5号が近づいて、大雨になりそうな気配じゃが」
「娘は泳ぎに行く予定を立てとったんじゃけど、ちょっと…」
「無理かもしれんよのう」
「何年前からかは忘れたが、会場には天幕が張られるようになった」
「平和記念式典が行われるのは午前8時からじゃけど、この時点でも暑いけぇね」
「これは?」
「NHKや民放のテレビやラジオがここから放送をしてのようじゃ」
「どっちを向いとるん?」
「向かって左が東、右が西。西を向いて座るようになっとるんじゃの」
「しかも東側には木があるけぇ、日よけになるっとるね」
「いうても、ここも暑いじゃろうの」
「ここから今年も平和宣言が出される」
「そういや、平和記念式典はいつから行われとるんかね?」
「原爆が投下された翌年、1946年8月5日に平和復興広島市民大会が行われたそうじゃ」
「へぇ、そのころからやっとってんじゃ」
「原爆投下から2年後の1947年は、8月5日から7日にかけての3日間、第1回目となる平和祭が行われた。黙とう、平和の鐘、平和宣言、平和の歌の合唱など、今の平和記念式典の基本となるものが、このときからすでに行われとるんじゃの」
「ふーん。でも、そのころの日本は、まだ占領されとったころじゃろ?」
「ほいじゃけぇ、連合軍最高司令官・マッカーサーのメッセージも読み上げられたということじゃそうな」
「原爆死没者慰霊碑は1952年、世界最初の原子爆弾によって壊滅した広島市を、平和都市として再建することを念願して設立されました」
「この碑は、広島平和記念資料館と原爆ドームを結ぶ直線上に設置されとる。ほいじゃけぇ、奥には原爆ドームが見えるんじゃ」
「原爆の子の像は1958年、佐々木禎子(ささき さだこ)さんをはじめ原爆で亡くなった多くの子どもたちの霊を慰め、世界に平和を呼びかけるために建立されました」
「ここが一番、人が多かったかもしれんのう」
「去年、2016年にユネスコの世界遺産登録から20年を迎えた原爆ドーム」
「今はそう呼ばれとるが、今から102年前の1915年8月5日、広島県物産陳列館として開館したんじゃの」
「この建物の正面玄関は、道路じゃのうて、目の前を流れる元安川(もとやすがわ)に向いとるんよ」
「1915年いうたら、大正4年。日本ではまだ自動車が普及しとらんかったし、広島の市内電車も1912年に開業したばかり」
「物を運ぶのは船に頼っとったころじゃね」
「川船で運んできた物資を雁木から揚げて、陳列館に運び込んでいたということじゃ」
「その陳列館の敷地内には和式庭園と洋式庭園があって、洋式庭園には6本の柱から水が出る噴水があったそうじゃ」
「原爆ドーム敷地内に残るこの柱が、それなんじゃね」
「広島の中心部にある地下街・シャレオには、安田女子大学・書道学科の書道パフォーマンスが展示してあった」
「五・七・五・七・七…、短歌じゃね。全部でいくつ書いてあるん?」
「全部で9首書いてあった」
「なんか、『この世界の片隅に』を題材にしたような短歌の感じがするね」
「そうじゃろ。わしもそう感じたんじゃが、中に「テレビ中継」という言葉が詠うてあって、なーんか、迷うてしもうたんじゃ」
「それは、生き残ったすずさんが、テレビ中継で平和記念式典を見た時のことを詠うとってんかもしれんよ」
↓平和記念式典については、こちら↓
「平和記念式典(広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式)の概要」(広島市)
訪問日:2017年8月5日
【参考文献】
(広島市総務局公文書館『被爆50周年図説戦後広島市史 街と暮らしの50年』(1996年3月)
「今日は、午前8時から平和記念式典が行われる平和記念公園と原爆ドームについて話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」