通でがんす

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(旧ブログタイトル:通じゃのう)

仁保島西新開の堤防跡を歩く(その1)

2016年09月26日 | 見て歩き
仁保島西新開

江戸堤

ブラタモリ 広島編








(中國新聞 2016年9月24日)





毎週土曜の夜7時30分から、

NHK総合で放送中の

オールロケによる日本紀行バラエティ番組

『ブラタモリ』。





おとつい(9月24日)の放送は、

カープ優勝に沸く広島からじゃった。





いうても、ロケ自体は、

ネットで調べてみると、

3か月前の6月14日に行われとったらしいがの。





↓『ブラタモリ』については、こちら↓

「ブラタモリ」NHK





それにしても、

カープ優勝シーンの映像にかぶって流れた曲が、

『勝て勝てカープ』いうのには驚いた。





♪青いグランド 緑の風に

ひらく花びら 世紀のチーム

(『勝て勝てカープ』作詞:池田真琴、作曲:山本寿、歌:塩見大治郎)






わしが知る限りじゃ、

最近の広島の街で流れるカープの応援歌いうたら、

『それ行けカープ~若き鯉たち~』がほとんどじゃけぇの。





『勝て勝てカープ』を久しぶりに聞けて、

正直な話、うれしかった。





♪カープ カープ カープ広島

広島カープ

(『それ行けカープ~若き鯉たち~』作詞:有馬 三恵子、作曲:宮崎 尚志、歌:塩見大治郎)






↓『勝て勝てカープ』については、こちら↓

「塩見大治郎 勝て勝てカープ、EPレコード」YouTube





↓『それ行けカープ~若き鯉たち~』については、こちら↓

「広島東洋カープ それ行けカープ(注:南 一誠氏バージョン)」YouTube





それはさておき…。





番組の中で、「段差オタク」を自称するタモリさん。





案内人として登場されたのは、

広島で「段差」を語らせたら

おそらくこの人の右に出る人はいない(はず!)、

広島市郷土資料館(元広島城)学芸員の

本田美和子(ほんだ みわこ)さん。





番組の中でも紹介されとったが、

広島市は広島デルタという三角州の上に作られた街。





広島城自体が、「島普請(しまぶしん)」と言われ、

川の中州を埋め立てて、その上に建てられたもの。





ほいじゃけぇ、広島の街を広げていくためには、

広島城下の南に広がる瀬戸内の海を干拓して

広げていくしかなかったんじゃの。





干拓するときは、海に堤防を築いた後

海水をかき出して土を盛っていくけぇ、

堤防は干拓した土地よりも一段高う(=高く)なる。





そこで、「段差」ができる。





その「段差」には、

はっきりと分かるものから

ビミョ~なものまでいろいろあるんじゃが、

今に残るその痕跡(=海と陸地との段差)を探し出しておられるのが、

本田さん。





今年の5月、郷土資料館の企画展「ひろしま再発見3」の関連講座で

「”街”を拓く~城下町に残る街づくりの痕跡~」

というタイトルで話をされとられます。





また、2年前の2014年には、

「広島町新開絵図を読む」という企画展にもかかわっておられ、

本田自身さんによる解説も聞かせていただきました。





同じ頃、中國新聞の文化欄の緑地帯というコラム欄に

「城下町の…」というタイトルで連載をされたこともある

…はずじゃが、新聞の切り抜きをなくしてしもうたので、

これに関しては保留にさせてくだされ。





番組中で紹介され、

タモリさんが「江戸堤」と名づけた堤防は、

「仁保島西新開(にほじまにししんがい)」と呼ばれる

新開地の堤防跡。





「新開(しんかい)」いうのは、

新しく土地を拓く(開く)こと。





仁保島西新開は、江戸時代の寛文2年(1662年)、

比治山(ひじやま)の南側から、

海の中にあった仁保島(=今の黄金山(おうごんざん))

の大河(おおこう)あたりまでを、

広島藩が拓いた新開地のことなんじゃ。





今回は前振りだけで終わってしもうたが、

次回からは、仁保島西新開の堤防跡を紹介していきますけぇの。





↓広島市郷土資料館については、こちら↓

広島市郷土資料館





今日は、『ブラタモリ 広島編』

について話をさせてもらいました。





次回は、仁保島西新開を

御幸橋から千田廟公園まで紹介していく予定じゃ。





ほいじゃあ、またの。
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