仁保島西新開
江戸堤
ブラタモリ 広島編
(中國新聞 2016年9月24日)
毎週土曜の夜7時30分から、
NHK総合で放送中の
オールロケによる日本紀行バラエティ番組
『ブラタモリ』。
おとつい(9月24日)の放送は、
カープ優勝に沸く広島からじゃった。
いうても、ロケ自体は、
ネットで調べてみると、
3か月前の6月14日に行われとったらしいがの。
↓『ブラタモリ』については、こちら↓
「ブラタモリ」NHK
それにしても、
カープ優勝シーンの映像にかぶって流れた曲が、
『勝て勝てカープ』いうのには驚いた。
♪青いグランド 緑の風に
ひらく花びら 世紀のチーム
(『勝て勝てカープ』作詞:池田真琴、作曲:山本寿、歌:塩見大治郎)
わしが知る限りじゃ、
最近の広島の街で流れるカープの応援歌いうたら、
『それ行けカープ~若き鯉たち~』がほとんどじゃけぇの。
『勝て勝てカープ』を久しぶりに聞けて、
正直な話、うれしかった。
♪カープ カープ カープ広島
広島カープ
(『それ行けカープ~若き鯉たち~』作詞:有馬 三恵子、作曲:宮崎 尚志、歌:塩見大治郎)
↓『勝て勝てカープ』については、こちら↓
「塩見大治郎 勝て勝てカープ、EPレコード」YouTube
↓『それ行けカープ~若き鯉たち~』については、こちら↓
「広島東洋カープ それ行けカープ(注:南 一誠氏バージョン)」YouTube
それはさておき…。
番組の中で、「段差オタク」を自称するタモリさん。
案内人として登場されたのは、
広島で「段差」を語らせたら
おそらくこの人の右に出る人はいない(はず!)、
広島市郷土資料館(元広島城)学芸員の
本田美和子(ほんだ みわこ)さん。
番組の中でも紹介されとったが、
広島市は広島デルタという三角州の上に作られた街。
広島城自体が、「島普請(しまぶしん)」と言われ、
川の中州を埋め立てて、その上に建てられたもの。
ほいじゃけぇ、広島の街を広げていくためには、
広島城下の南に広がる瀬戸内の海を干拓して
広げていくしかなかったんじゃの。
干拓するときは、海に堤防を築いた後
海水をかき出して土を盛っていくけぇ、
堤防は干拓した土地よりも一段高う(=高く)なる。
そこで、「段差」ができる。
その「段差」には、
はっきりと分かるものから
ビミョ~なものまでいろいろあるんじゃが、
今に残るその痕跡(=海と陸地との段差)を探し出しておられるのが、
本田さん。
今年の5月、郷土資料館の企画展「ひろしま再発見3」の関連講座で
「”街”を拓く~城下町に残る街づくりの痕跡~」
というタイトルで話をされとられます。
また、2年前の2014年には、
「広島町新開絵図を読む」という企画展にもかかわっておられ、
本田自身さんによる解説も聞かせていただきました。
同じ頃、中國新聞の文化欄の緑地帯というコラム欄に
「城下町の…」というタイトルで連載をされたこともある
…はずじゃが、新聞の切り抜きをなくしてしもうたので、
これに関しては保留にさせてくだされ。
番組中で紹介され、
タモリさんが「江戸堤」と名づけた堤防は、
「仁保島西新開(にほじまにししんがい)」と呼ばれる
新開地の堤防跡。
「新開(しんかい)」いうのは、
新しく土地を拓く(開く)こと。
仁保島西新開は、江戸時代の寛文2年(1662年)、
比治山(ひじやま)の南側から、
海の中にあった仁保島(=今の黄金山(おうごんざん))
の大河(おおこう)あたりまでを、
広島藩が拓いた新開地のことなんじゃ。
今回は前振りだけで終わってしもうたが、
次回からは、仁保島西新開の堤防跡を紹介していきますけぇの。
↓広島市郷土資料館については、こちら↓
広島市郷土資料館
今日は、『ブラタモリ 広島編』
について話をさせてもらいました。
次回は、仁保島西新開を
御幸橋から千田廟公園まで紹介していく予定じゃ。
ほいじゃあ、またの。
江戸堤
ブラタモリ 広島編
(中國新聞 2016年9月24日)
毎週土曜の夜7時30分から、
NHK総合で放送中の
オールロケによる日本紀行バラエティ番組
『ブラタモリ』。
おとつい(9月24日)の放送は、
カープ優勝に沸く広島からじゃった。
いうても、ロケ自体は、
ネットで調べてみると、
3か月前の6月14日に行われとったらしいがの。
↓『ブラタモリ』については、こちら↓
「ブラタモリ」NHK
それにしても、
カープ優勝シーンの映像にかぶって流れた曲が、
『勝て勝てカープ』いうのには驚いた。
♪青いグランド 緑の風に
ひらく花びら 世紀のチーム
(『勝て勝てカープ』作詞:池田真琴、作曲:山本寿、歌:塩見大治郎)
わしが知る限りじゃ、
最近の広島の街で流れるカープの応援歌いうたら、
『それ行けカープ~若き鯉たち~』がほとんどじゃけぇの。
『勝て勝てカープ』を久しぶりに聞けて、
正直な話、うれしかった。
♪カープ カープ カープ広島
広島カープ
(『それ行けカープ~若き鯉たち~』作詞:有馬 三恵子、作曲:宮崎 尚志、歌:塩見大治郎)
↓『勝て勝てカープ』については、こちら↓
「塩見大治郎 勝て勝てカープ、EPレコード」YouTube
↓『それ行けカープ~若き鯉たち~』については、こちら↓
「広島東洋カープ それ行けカープ(注:南 一誠氏バージョン)」YouTube
それはさておき…。
番組の中で、「段差オタク」を自称するタモリさん。
案内人として登場されたのは、
広島で「段差」を語らせたら
おそらくこの人の右に出る人はいない(はず!)、
広島市郷土資料館(元広島城)学芸員の
本田美和子(ほんだ みわこ)さん。
番組の中でも紹介されとったが、
広島市は広島デルタという三角州の上に作られた街。
広島城自体が、「島普請(しまぶしん)」と言われ、
川の中州を埋め立てて、その上に建てられたもの。
ほいじゃけぇ、広島の街を広げていくためには、
広島城下の南に広がる瀬戸内の海を干拓して
広げていくしかなかったんじゃの。
干拓するときは、海に堤防を築いた後
海水をかき出して土を盛っていくけぇ、
堤防は干拓した土地よりも一段高う(=高く)なる。
そこで、「段差」ができる。
その「段差」には、
はっきりと分かるものから
ビミョ~なものまでいろいろあるんじゃが、
今に残るその痕跡(=海と陸地との段差)を探し出しておられるのが、
本田さん。
今年の5月、郷土資料館の企画展「ひろしま再発見3」の関連講座で
「”街”を拓く~城下町に残る街づくりの痕跡~」
というタイトルで話をされとられます。
また、2年前の2014年には、
「広島町新開絵図を読む」という企画展にもかかわっておられ、
本田自身さんによる解説も聞かせていただきました。
同じ頃、中國新聞の文化欄の緑地帯というコラム欄に
「城下町の…」というタイトルで連載をされたこともある
…はずじゃが、新聞の切り抜きをなくしてしもうたので、
これに関しては保留にさせてくだされ。
番組中で紹介され、
タモリさんが「江戸堤」と名づけた堤防は、
「仁保島西新開(にほじまにししんがい)」と呼ばれる
新開地の堤防跡。
「新開(しんかい)」いうのは、
新しく土地を拓く(開く)こと。
仁保島西新開は、江戸時代の寛文2年(1662年)、
比治山(ひじやま)の南側から、
海の中にあった仁保島(=今の黄金山(おうごんざん))
の大河(おおこう)あたりまでを、
広島藩が拓いた新開地のことなんじゃ。
今回は前振りだけで終わってしもうたが、
次回からは、仁保島西新開の堤防跡を紹介していきますけぇの。
↓広島市郷土資料館については、こちら↓
広島市郷土資料館
今日は、『ブラタモリ 広島編』
について話をさせてもらいました。
次回は、仁保島西新開を
御幸橋から千田廟公園まで紹介していく予定じゃ。
ほいじゃあ、またの。