四國五郎
画家
母子像
『四國五郎追悼・回顧展』を
旧日本銀行広島支店でやっているというので
見に行ってきた。
四國五郎(しこく ごろう。1924年-2014年)さんって、どんな方?
という疑問も出てくるじゃろう。
めったに聞く名前じゃないけぇの。
子どものころのわしにとって、
四國さんは「広島百橋」という、
6つの川が流れる広島に架かるいろんな橋を描く、
スケッチの好きなおじさん、というイメージ。
そのイメージが変わったのが、
子どものために買(こ)うてきた
絵本『おこりじぞう』(山口勇子・原作)を読んだとき。
この本の挿絵を描いておられたのが、四國さん。
さっきも話したとおり、橋の絵しか見たことがなかったけぇ、
「あぁ、こんな人物画を描いてんじゃ」と、ちょっと驚いた。
↓絵本『おこりじぞう』については、こちら↓
「絵本 おこりじぞう」絵本ナビ
昨日(2015年4月11日)の午前、NHK広島が再放送した番組
プライムS『"母子"に捧げた人生 ~画家 四國五郎~』
を観た。
↓『"母子"に捧げた人生 ~画家 四國五郎~』については、こちら↓
「これまでの放送~プライムS」NHK広島放送局
四國さん、
絵を描くのが好きで、
しかも上手い(うまい)。
テレビでも紹介されとったが、
14~5歳ころに描いた習作(しゅうさく)は
文字どおり、大人顔負けの出来映え。
挿絵画家(さしえがか)になりたかったというのも分かるし、
なれば後世に名を残す画家になれた
と、わしは思う。
…しかし、
時代はそれを許さんかった。
1924年5月、現在の広島県三原市で生まれた四國さんは、
1942年に陸軍被服支廠(りくぐんひふくししょう)に就職。
1944年、満州(まんしゅう。現在の中国東北部)へ出征(しゅっせい。軍隊に加わって戦地に行く)することに。
↓陸軍被服支廠についての関連記事は、こちら↓
広島陸軍被服支廠
戦後は捕虜となり、シベリアで抑留(よくりゅう)された。
旧ソ連は捕虜にした日本人を強制的に働かせ、
豊富な資源が眠るシベリアの開発しようとしたんじゃの。
四國さんがシベリアから帰還した時に持っていたリュックと、履いていた軍靴
3年後の1948年、四國さんは日本に帰国。
その時、原爆による広島の惨状と、
母の被爆、そして弟の被爆死を知る。
絵の好きな四國さんは、
「広島で平和のために絵を描く」
ことを決意した。
ここから数々の作品が生まれた
余談じゃが、四國さん一家は三原市でなく
広島市の出汐(でしお)に住んどられた。
四國さんが就職した陸軍被服支廠も、出汐にあったんじゃ。
四國さんは広島市役所に就職。
その傍らで、詩人の峠 三吉(とうげ さんきち)らと「われらの詩の会」に参加し、
詩と絵による反戦・反核・平和運動を推進されたそうじゃ。
↓峠 三吉についての関連記事は、こちら↓
市営平和アパート 広島市中区
さきほど紹介した、NHK広島が制作した番組のタイトルに
『"母子"に捧げた人生』
とあった。
「母と子」のテーマで数多くの作品を描かれた四國さんは、
その著作『四國五郎詩画集 母子像』(1970年)の序文に
こう書かれとられる。
わたしは、母子像をとおして抑圧を、侵略を、間を描きたい。
わたしは、抑圧や、侵略や間にたちむかう母と子に象徴される人間の愛と勇気を描きたい。
『風』1982年
タイトルの「風」は、
母子に吹きつける
抑圧・侵略・間を暗示しているそうじゃ。
『鳩笛』1977年
『鳩笛』というタイトルの絵が
3点展示されとった。
鳩笛に何か思い入れがあるんかのう?
『カープかるた』
意外じゃったのが、40年前の1975年
広島カープが初優勝した時に発売された
「カープかるた」の絵札の絵を描かれとったこと。
絵札を楽しむはもちろんじゃが、
文字札を読んでみるのもええかもしれん。
晩年の四國さん
四國五郎追悼・回顧展
期間:4月8日(水)~20日(月)
時間:10時~17時
(最終日は16時まで)
場所:旧日本銀行広島支店(広島市中区袋町5-16)
訪問日:2015年4月11日
今日は、旧日本銀行広島支店で開催中の「四國五郎追悼・回顧展」について話をさせてもらいました。
ほいじゃあ、またの。
画家
母子像
『四國五郎追悼・回顧展』を
旧日本銀行広島支店でやっているというので
見に行ってきた。
四國五郎(しこく ごろう。1924年-2014年)さんって、どんな方?
という疑問も出てくるじゃろう。
めったに聞く名前じゃないけぇの。
子どものころのわしにとって、
四國さんは「広島百橋」という、
6つの川が流れる広島に架かるいろんな橋を描く、
スケッチの好きなおじさん、というイメージ。
そのイメージが変わったのが、
子どものために買(こ)うてきた
絵本『おこりじぞう』(山口勇子・原作)を読んだとき。
この本の挿絵を描いておられたのが、四國さん。
さっきも話したとおり、橋の絵しか見たことがなかったけぇ、
「あぁ、こんな人物画を描いてんじゃ」と、ちょっと驚いた。
↓絵本『おこりじぞう』については、こちら↓
「絵本 おこりじぞう」絵本ナビ
昨日(2015年4月11日)の午前、NHK広島が再放送した番組
プライムS『"母子"に捧げた人生 ~画家 四國五郎~』
を観た。
↓『"母子"に捧げた人生 ~画家 四國五郎~』については、こちら↓
「これまでの放送~プライムS」NHK広島放送局
四國さん、
絵を描くのが好きで、
しかも上手い(うまい)。
テレビでも紹介されとったが、
14~5歳ころに描いた習作(しゅうさく)は
文字どおり、大人顔負けの出来映え。
挿絵画家(さしえがか)になりたかったというのも分かるし、
なれば後世に名を残す画家になれた
と、わしは思う。
…しかし、
時代はそれを許さんかった。
1924年5月、現在の広島県三原市で生まれた四國さんは、
1942年に陸軍被服支廠(りくぐんひふくししょう)に就職。
1944年、満州(まんしゅう。現在の中国東北部)へ出征(しゅっせい。軍隊に加わって戦地に行く)することに。
↓陸軍被服支廠についての関連記事は、こちら↓
広島陸軍被服支廠
戦後は捕虜となり、シベリアで抑留(よくりゅう)された。
旧ソ連は捕虜にした日本人を強制的に働かせ、
豊富な資源が眠るシベリアの開発しようとしたんじゃの。
四國さんがシベリアから帰還した時に持っていたリュックと、履いていた軍靴
3年後の1948年、四國さんは日本に帰国。
その時、原爆による広島の惨状と、
母の被爆、そして弟の被爆死を知る。
絵の好きな四國さんは、
「広島で平和のために絵を描く」
ことを決意した。
ここから数々の作品が生まれた
余談じゃが、四國さん一家は三原市でなく
広島市の出汐(でしお)に住んどられた。
四國さんが就職した陸軍被服支廠も、出汐にあったんじゃ。
四國さんは広島市役所に就職。
その傍らで、詩人の峠 三吉(とうげ さんきち)らと「われらの詩の会」に参加し、
詩と絵による反戦・反核・平和運動を推進されたそうじゃ。
↓峠 三吉についての関連記事は、こちら↓
市営平和アパート 広島市中区
さきほど紹介した、NHK広島が制作した番組のタイトルに
『"母子"に捧げた人生』
とあった。
「母と子」のテーマで数多くの作品を描かれた四國さんは、
その著作『四國五郎詩画集 母子像』(1970年)の序文に
こう書かれとられる。
わたしは、母子像をとおして抑圧を、侵略を、間を描きたい。
わたしは、抑圧や、侵略や間にたちむかう母と子に象徴される人間の愛と勇気を描きたい。
『風』1982年
タイトルの「風」は、
母子に吹きつける
抑圧・侵略・間を暗示しているそうじゃ。
『鳩笛』1977年
『鳩笛』というタイトルの絵が
3点展示されとった。
鳩笛に何か思い入れがあるんかのう?
『カープかるた』
意外じゃったのが、40年前の1975年
広島カープが初優勝した時に発売された
「カープかるた」の絵札の絵を描かれとったこと。
絵札を楽しむはもちろんじゃが、
文字札を読んでみるのもええかもしれん。
晩年の四國さん
四國五郎追悼・回顧展
期間:4月8日(水)~20日(月)
時間:10時~17時
(最終日は16時まで)
場所:旧日本銀行広島支店(広島市中区袋町5-16)
訪問日:2015年4月11日
今日は、旧日本銀行広島支店で開催中の「四國五郎追悼・回顧展」について話をさせてもらいました。
ほいじゃあ、またの。