「サンフレッチェ広島、今期最終戦で、鹿島アントラーズに2-0で勝利!」
「J1連覇、おめでとうございます!!」
「2週間前、横浜F・マリノスとの勝ち点差5あったのをひっくり返しての、逆転優勝!!!」
「最終的には、2位の横浜マリノスとの勝ち点の差は1(広島=63、横浜=62)じゃったもんね」
「…というわけで、今日はJリーグ・サンフレッチェの旗がひるがえるここ、清神社(すがじんじゃ)を紹介しようと思うんじゃ」
「確かにサンフレッチェの旗やポスターがあるけど、なんでここに?」
「清神社は、安芸高田市吉田町(あきたかたし よしだちょう)にある、郡山(こおりやま)のふもとにあるんじゃの」
「郡山といえば、郡山城(こおりやまじょう)。毛利元就(もうり もとなり)がおったお城じゃね」
「清神社は、郡山の鎮守社として毛利氏から篤(あつ)く信仰されとったそうじゃ」
「「サンフレッチェ」というチーム名も、元就の「三本の矢」の故事にならって、「三」=日本語の「サン(三)」、「矢」を意味するイタリア語の「フレッチェ(frecce)」にしたんよ」
「そんな関係で、ここ清神社は、サンフレッチェが必勝祈願に参拝する神社としても知られとるんじゃの」
「必勝祈願はいつごろやってんかね?」
「Jリーグがシーズンに入る前、1月の終わりから2月のはじめころじゃ」
清神社
神代からの鎮座とされる、格式を備えた稀有な造りで知られる古社です。主祭神は素盞鳴尊、他に稲田姫をはじめ五男三女神をお祀りします。郡山の鎮守社として毛利元就公をはじめ一族の崇敬が篤く、出陣の度に「必祥」を祈願され、凱旋の折りも「おかげ参り」を繰り返されました。樹齢八百年近い正面の大杉は生きている証人です。元就公の遺訓「三矢の訓」にあやかるJリーグサッカーチーム「サンフレッチェ広島」は、結成以来Jリーグ開幕前の必勝祈願を恒例行事にしています。とどろく太鼓の響きとともに「毛利の路」を威風堂々参進する一行の姿は、多くのファンが声援をおくり、近郷に春を告げる一大イベントです。現在の社殿は元禄七(1694)年、輝元公造立のものです。
(説明板より)
「清神社の「清」って、どうやったら「すが」って読むんじゃろ?」
「「清清し」と書いて「すがすがし」と読むそうじゃ」
「「すがすがし」って、「気分がさわやか」という意味の?」
「ほうじゃの。ここに祀(まつ)られとる素盞嗚尊(スサノオノミコト)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した後、「吾が心清清し」といわれた。この言葉に因(ちな)むとされるそうじゃ」
「へぇ」
「あと、清神社には、正中(しょうちゅう)2年(1325年)をはじめとする、16枚の棟札(むなふだ)が残されとるんじゃそうな」
「棟札って?」
「建物の由緒などを書いて、棟木(むなぎ)や梁(はり)に取り付けた札のこと。なかでも有名なのは、天文17年(1548年)隆元、永禄11年(1568年)元就、天正11年(1583年)輝元のものじゃ」
「今の社殿は、1694年じゃけぇ、今から320年くらい前に建てられたんじゃね」
「毛利元就の孫で、広島城を築いた輝元(てるもと)は1625年(寛永2年)に亡くなられとるけぇ、「輝元公造立」という表現は怪しいと思うんじゃが…」
「元禄(げんろく)といえば、赤穂浪士(あこうろうし)の討ち入りを思い出すんじゃけど、あれはいつ?」
「赤穂浪士が吉良屋敷に討ち入り、吉良義央(きら よしひさ。上野介(こうずけのすけ))を打ち取ったのが、元禄15年12月14日(1703年1月30日)じゃたのう」
「こうやってみると、歴史のある神社なんじゃね」
「清神社では、以下のものが重要文化財や天然記念物として指定されとるそうじゃ」
清神社のスギ=安芸高田市指定天然記念物(1968年9月)
清神社 棟札=広島県重要文化財(1975年9月)
清神社 本殿=安芸高田市指定重要文化財(2006年10月)
「天然記念物に指定されとる、この杉も大きいね」
「樹齢が700年以上、大きいもので周囲が5メートルくらいあるそうじゃ」
「鳥居の後ろに幹がにょっきりと伸びとるのが、杉じゃ」
「こうやってみると、大きさがわかるね」
「境内社(けいだいしゃ)。向かって左側が伊勢大神宮で、右側が椙若社(すぎわかしゃ)」
「狛犬には、「大正三年一月建立」と刻んであったのう」
↓清神社については、こちら↓
「清神社(吉田町)」安芸高田市
↓サンフレッチェ広島については、こちら↓
サンフレッチェ広島 SANFRECCE HIROSHIMA
訪問日:2013年11月16日
「今日は、サンフレッチェ広島のJ1連覇に関連して、サンフレッチェが必勝祈願する、安芸高田市吉田町にある清神社について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
「J1連覇、おめでとうございます!!」
「2週間前、横浜F・マリノスとの勝ち点差5あったのをひっくり返しての、逆転優勝!!!」
「最終的には、2位の横浜マリノスとの勝ち点の差は1(広島=63、横浜=62)じゃったもんね」
「…というわけで、今日はJリーグ・サンフレッチェの旗がひるがえるここ、清神社(すがじんじゃ)を紹介しようと思うんじゃ」
「確かにサンフレッチェの旗やポスターがあるけど、なんでここに?」
「清神社は、安芸高田市吉田町(あきたかたし よしだちょう)にある、郡山(こおりやま)のふもとにあるんじゃの」
「郡山といえば、郡山城(こおりやまじょう)。毛利元就(もうり もとなり)がおったお城じゃね」
「清神社は、郡山の鎮守社として毛利氏から篤(あつ)く信仰されとったそうじゃ」
「「サンフレッチェ」というチーム名も、元就の「三本の矢」の故事にならって、「三」=日本語の「サン(三)」、「矢」を意味するイタリア語の「フレッチェ(frecce)」にしたんよ」
「そんな関係で、ここ清神社は、サンフレッチェが必勝祈願に参拝する神社としても知られとるんじゃの」
「必勝祈願はいつごろやってんかね?」
「Jリーグがシーズンに入る前、1月の終わりから2月のはじめころじゃ」
清神社
神代からの鎮座とされる、格式を備えた稀有な造りで知られる古社です。主祭神は素盞鳴尊、他に稲田姫をはじめ五男三女神をお祀りします。郡山の鎮守社として毛利元就公をはじめ一族の崇敬が篤く、出陣の度に「必祥」を祈願され、凱旋の折りも「おかげ参り」を繰り返されました。樹齢八百年近い正面の大杉は生きている証人です。元就公の遺訓「三矢の訓」にあやかるJリーグサッカーチーム「サンフレッチェ広島」は、結成以来Jリーグ開幕前の必勝祈願を恒例行事にしています。とどろく太鼓の響きとともに「毛利の路」を威風堂々参進する一行の姿は、多くのファンが声援をおくり、近郷に春を告げる一大イベントです。現在の社殿は元禄七(1694)年、輝元公造立のものです。
(説明板より)
「清神社の「清」って、どうやったら「すが」って読むんじゃろ?」
「「清清し」と書いて「すがすがし」と読むそうじゃ」
「「すがすがし」って、「気分がさわやか」という意味の?」
「ほうじゃの。ここに祀(まつ)られとる素盞嗚尊(スサノオノミコト)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ)を退治した後、「吾が心清清し」といわれた。この言葉に因(ちな)むとされるそうじゃ」
「へぇ」
「あと、清神社には、正中(しょうちゅう)2年(1325年)をはじめとする、16枚の棟札(むなふだ)が残されとるんじゃそうな」
「棟札って?」
「建物の由緒などを書いて、棟木(むなぎ)や梁(はり)に取り付けた札のこと。なかでも有名なのは、天文17年(1548年)隆元、永禄11年(1568年)元就、天正11年(1583年)輝元のものじゃ」
「今の社殿は、1694年じゃけぇ、今から320年くらい前に建てられたんじゃね」
「毛利元就の孫で、広島城を築いた輝元(てるもと)は1625年(寛永2年)に亡くなられとるけぇ、「輝元公造立」という表現は怪しいと思うんじゃが…」
「元禄(げんろく)といえば、赤穂浪士(あこうろうし)の討ち入りを思い出すんじゃけど、あれはいつ?」
「赤穂浪士が吉良屋敷に討ち入り、吉良義央(きら よしひさ。上野介(こうずけのすけ))を打ち取ったのが、元禄15年12月14日(1703年1月30日)じゃたのう」
「こうやってみると、歴史のある神社なんじゃね」
「清神社では、以下のものが重要文化財や天然記念物として指定されとるそうじゃ」
清神社のスギ=安芸高田市指定天然記念物(1968年9月)
清神社 棟札=広島県重要文化財(1975年9月)
清神社 本殿=安芸高田市指定重要文化財(2006年10月)
「天然記念物に指定されとる、この杉も大きいね」
「樹齢が700年以上、大きいもので周囲が5メートルくらいあるそうじゃ」
「鳥居の後ろに幹がにょっきりと伸びとるのが、杉じゃ」
「こうやってみると、大きさがわかるね」
「境内社(けいだいしゃ)。向かって左側が伊勢大神宮で、右側が椙若社(すぎわかしゃ)」
「狛犬には、「大正三年一月建立」と刻んであったのう」
↓清神社については、こちら↓
「清神社(吉田町)」安芸高田市
↓サンフレッチェ広島については、こちら↓
サンフレッチェ広島 SANFRECCE HIROSHIMA
訪問日:2013年11月16日
「今日は、サンフレッチェ広島のJ1連覇に関連して、サンフレッチェが必勝祈願する、安芸高田市吉田町にある清神社について話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」