之を静かすれば則ち安く、之を動かせば則ち乱るるは、人、皆、之を知る。隠れて見え難きに非ざるなり。頁655
(訳)〔人民は〕静かにしておけば安らかであり、動かせば乱れるということは、誰でも知っているやさしい道理であります。隠れて見えにくいものではございません。頁655
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書籍の紹介
『勝海舟と坂本龍馬』加来幸三
まえがき
わずか五年にすぎなかった。否、実際に手を携え、「明治維新」という大プロジェクトのプランナーとして活躍した時期は、おそらくその半分にも満たなかったのではなかろうか。
「勝海舟と坂本龍馬」
改めて見直してみると、この師弟は、全く稀有の存在であったといえる。日本史上、かつて例がなく、将来も再び、この両者のような師弟の組み合わせは出現すまい。もし、海舟と竜馬がこの時期に出現し、揃うことがなければ、「明治維新」は成就せず、かりに達成されたとしてもかなり遅れて、しかも、不徹底かつ混乱を長期化させたに違いない。
数え年二十八歳の浪人龍馬が、幕府の軍艦奉行並勝海舟を訪ねて弟子となったのは文久二年(一八六二)の後半、海舟四十歳のときであった。
その後、慶応三年(一八六七)十一月十五日、龍馬は暗殺されて三十三歳の生涯を閉じる。一方の師匠海舟は、七十七歳長寿を全うして、明治三十二年(一八九九)にこの世を去ったが、真に目を見張る活躍は、二人の人生が重なった、きわめて短い期間でしかなかった。
「人間、生涯をかけても一人前の仕事というものは高がしれている」
かの西郷隆盛も、口ぐせのようにいっていた。