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味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

令和3年7月19日(月) 貞観政要・頁656 所以に甲兵

2021-07-19 10:16:31 | ブログ
所以に甲兵屡々動き、徭役、息まず。将にりく辱を受けんとするに至りて、竟に未だ其の滅亡の由る所を悟らざるなり。哀しまざる可けんや。頁656

(訳)そして臣下に殺されそうになった時にも、結局、その滅亡の由来するところを悟らなかったということは、まことに哀れむべきでございます。
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  書籍の紹介

  『頭をよくする私の方法』竹内 均著

  頭をサビつかせないために

  私の性格は「蓄積型」である。私は凡人だから、「一を聞いて一〇を知る」というような、器用なことはできない。だから「うまずたゆまず」一つずつやって、現在に至っている。そういう点からいえば、いわゆる天才以外の人にとって、私の経験は役に立つものと思う。
 私は「頭と体は絶えず使わないと駄目になる」と考えている。
 最近は同窓会のお呼びがかかっても、出席するのが億劫になっている。
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 この本を購入したのが平成元年である。真面目さの典型・竹内先生の教えを聞けば間違いはないと思って読書をしてきました。

令和3年7月18日(日) 貞観政要・頁656 隋氏の未だ亡びざる

2021-07-18 14:40:41 | ブログ
隋氏の未だ亡びざりしとき、自ら謂へらく、必ず亡びざらん、と。頁656

(訳)それゆえ、連年、外征ために兵力を動かし、大きな土木工事のために人民の労役は休む暇もありませんでした。頁656
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   書籍の紹介

 『沈黙の宗教』加地伸行著

 霊があると信じますか

 霊能者ばやりである。テレビによく霊能者番組がある。高視聴率だそうだ。一方、この霊能者の霊視はインチキだといって否定をする番組もあり、そこでは物理の先生たちがカンカンになって霊能者を非科学的だといって攻撃している。しかし、これもまた広い意味での霊能者番組である。

令和3年7月17日(土) 貞観政要・頁656 昔、隋氏の未だ

2021-07-17 10:29:29 | ブログ
昔、隋氏の未だ乱れざれしとき、自ら謂へらく、必ず乱るる無からん、と。頁656

(訳)昔、隋がまだ乱れない時には、自分では必ず乱れることはないと思い、まだ滅びない時には、必ず滅びるようなことはないと思っておりました。頁656
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  『菜根譚』とは

『菜根譚』は中国の明の万歴年間(一五七三~一六一九)の人、洪自誠がのこした随筆集である。前集と後集に分れ、前集では主として社会生活上の心得を説き、後集では主として世を捨て風月を友とする楽しみについて述べている。もっとも、この区分は必ずしも厳密なので刃なく、前集、後集を一つのものとして読んでもいっこうにさしつかえない。『菜根譚』がわが国に伝えられたのは江戸中期以後のことである。
 加賀前田藩は代々学問奨励の気風の盛んな大藩であるが、ここに仕えていた林そんばという儒者が、中国から伝えられた本書を読んで感嘆し、文政五年に復刻したことから、大いに世に拡まった。

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 『菜根譚』との出会いは半世紀まえであります。各条を筆記し、そして録音もし、何回も聞いてきたものです。




令和3年7月16日(日) 貞観政要・頁655 安にして

2021-07-16 10:37:49 | ブログ
安にして危を思はず、治にして乱を念はず、存にして亡を慮らざの致す所に在るなり。頁655

(訳)それは安らかなときに危険になることを思わず、治まっているときに乱れることを考えず、存立しているときに滅亡することを心配しない、ということが招いたものでございます。頁655
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 書籍の紹介

 『貞観政要』

 『貞観政要』は、古来から帝王学のほとんど唯一の教科書として珍重されてきた。
 帝王学---このことばは誰でも一度くらいはどこかで耳して、記憶の端にとどめているかもしれない。
 ちなみに、手もとにある辞典類を引いてみよう。諸橋てつじの『大漢和辞典』には、「帝王たるに必要な学問」、上田万年の『大辞典』には、「帝王たるに必要なる学問及び道徳」とある。
 

令和3年7月15日(木) 貞観政要・頁655 微にして察し

2021-07-15 10:31:44 | ブログ
微にして察し難きに非ざるなり。然れども平易の途を踏むもの鮮く、覆車の轍に遵ふもの多きは何ぞや。頁655

(訳)かすかでわかりにくいものではございません。それなのに、平易の道を実行するものは少なく、人の失敗した道をたどるものが多いのは、何故でありましょうか。頁655
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  「一休 狂雲集」 140

 一休とは、いかなる僧だったのであろうか。
 ある人は、頓智のあった僧であるという。ある人は、悪罵毒舌をほしいままにした僧だという。またある人は、性の自由を享受してはばからなかったあったという。あるいは、文化の創造的指導を果たした僧であるともいう。
 たしかにそのとおりである。これらの批判のすべてをふくんだ僧であった。
それは、彼が、禅者として悟って、そして人間の生命力を洞察し、彼の宗教生活のなかで、それを充分に発揮したからであった。とともに、彼の生きた中世・室町時代は、あたかも泰平にみえたが、その底流には飢饉、疫病、一揆などが続き、その果てには応仁・文明の乱が起こるなど、大変な乱れ方をした世であった。この時代というものが、また一つには、彼をして途方もない型破りの人間として歩ませたのであろう。この型破りの人間に、庶民は深い親しみを抱いたのであった。
 この、いかにも禅的な歩み方をした一休に、わたしは強くひかれる。そして、わたしに本書を書かせたのは、一休の偈すなわち詩であった。高度な詩である。深く人間性を追求している。仏教も禅も素人であるわたしが、この人間一休に、そして、その偈に、どれだけ近づくことができるのであろうか、これははなはだ疑問である。
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 私は体調が極めて悪いです。身体がフラフラするし動きが悪いのです。その状態を見た娘が日赤病院へ行くよう強く進めてくれました。
 そこで本職の空手道指導はしていません。日赤病院で手術すればひと月ほどでよくなると思います。関係者の皆様、よろしくお願い致します。