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味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

令和3年6月10日(木) 貞観政要・頁649 故に君

2021-06-10 10:20:17 | ブログ
故に君、一徳有り、臣、二心無く、上、忠厚の誠をしき、下、股肱の力をつくす。頁649

(訳)それゆえ、君に至誠の徳があり、臣に二心がなく、上は臣下に忠厚の誠意を示し、下は君主に忠誠の職分を尽くし、その結果、太平の基礎は固まり、平和の御世が謳歌されます。頁649
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   書籍の紹介
 
  『易と人生哲学』安岡正篤著

  千古不変の思想学問

  昨今は非常に変化の激しい時局で、これはひとり日本ばかりでなく世界的にも大きな変化の時代、あるいは転換の時代というような言葉がしきりに会話に、文章に用いられておるようであります。
 東洋では古来「易」という学問がありまして、これが至れりつくせりにこの偉大なる変化の理法というものを説いております。それが一般的なスタティックな学問でなく、ダイナミックな学問であるというので、新たにまた識者の注目をひいております。その大きな一例を挙げますと、日本でも有名になりましたトインビーの『歴史の研究』という書物、第二次世界大戦の後にたいへん有名になり世界的になったのですが、第一次世界大戦の直前にドイツにシュペングラーという哲学者・歴史家がおりまして、これが『沈みいくたそがれの国』あるいは『西洋の没落』とも申しております書を著しまして、この本は一世を風靡したと申してよろしい。

令和3年6月9日(水) 貞観政要・頁649 夫れ上、

2021-06-09 10:26:06 | ブログ
夫れ上、事へ易ければ、下、知り易く、君長、勞せず、百姓惑わず。頁649

(訳)そもそも、上の君が仕え易ければ、臣下の心は知り易く、君長は苦労なく、人民は惑いません。頁649
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      書籍の紹介

  『東洋人物学』安岡正篤

 「摂受門」と「逆化門」

 現代人の特徴は、毎日毎日、雑務に追われて、この慌ただしい時勢に駆り立てられ、自らを忙殺している、うかうかと暮らしているということです。
「東洋人物学」におけるテーマの第一は、その失われたる自己をいかに取り戻すかということ、本当の自己、真我、本性、すなわち、自分の本性というものを再び発見する、把握するということです。世のためとか人のためとかいうのは、自然の結果であって、それよりもまず「失われたる自己」「失われたる自身」を精察するということが大事です。
 第二は、講義をする場所として、なぜ日蓮上人を生んだこの千葉の誕生寺を選んだかということです。仏教では勝れた縁を結ぶことを「結縁」といいます。この由緒ある精舎、名刹において、われわれもまた当時を偲びながらこの勝因を結ぶ、日蓮上人とこの名刹において結縁し、勝れたるいろいろの「因」と「果」を結ぶ。それによって、ここに日蓮上人が誕生したように、われわれもまた今後にわたって聖胎を結ぶ、つまり神聖なるものをみごもる、受胎する。こういう「結縁」「勝因」「聖胎」というものを心に秘めて、講義を一段と有意義ならしめることであります。


令和3年6月8日(火) 貞観政要・頁649 上、疑多ければ、

2021-06-08 10:17:53 | ブログ
上、疑多ければ、則ち百姓惑ふ。下、知り難ければ、則ち君長勞す、と。頁649

(訳)上の君に疑心が多ければ、人民は惑い、臣下の心がわかりにければ、君長は心労する」とあります。頁649
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   書籍の紹介

  経営者に学ぶ『決断と活路』三鬼陽之助著

  九十一歳の大往生

 昭和六十三年八月四日のニュースで、土光敏夫が東京品川区東大井の東芝中
央病院で九十一歳の生涯を閉じたことを知った。その瞬間、思わず「せめて九月十五日の九十二歳の誕生日まで生きていてほしかったナ------」と、私は涙をおさえた。
 当時私は老体にムチ打ち、『闘魂の経営者』と題した九十五冊目の新書を、第一主刷版企画から出版することになっていた。すでに原稿は印刷所に送られ、九月上旬、書店に出せる運びとなっていたが、次の理由から新書をイの一番に、病床の土光氏のもとに届ける肚積もりでいたからである。
 それは、昭和四十三年十一五日の「朝日新聞」に、光文社から出版した『決断力』を、私の顔写真とともに、「発売二週でたちまち一〇万部突破、決断を迫られる各階層から空前の反響」のセンセーショナルな宣伝文とともに、東芝社長土光敏夫氏が大活字で、「私は三鬼君の本はたいてい読んでいるが、この『決断力』は最高の傑作だと思う。というのは、経営の神髄、意思決定の理論と実践がおのずと体得されるという新境地が展開されているからだ。この新書を座右において離さないつもりだ」と、文字どおり激賞してくれたからである。当然のことで、私は感激した。

令和3年6月7日(月) 貞観政要・頁649 禮に云はく

2021-06-07 10:08:44 | ブログ
禮に云はく、上と為りて事へ易く、下と為りて知り易ければ、則ち刑、煩はしからず。頁649

(訳)礼記に『君が苛虐でなくして仕え易く、臣に姦心が無ければ、刑罰を行う必要がない。上の君に疑心が多ければ、人民は惑い、臣下の心がわかりにくければ君長は心労する』とあります。頁649
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  『運命を創る』 安岡正篤 人間学講話  103

   明治・大正・昭和三代の盛衰

 私はいつも、機会がありますると前提としてお話をするのですが、我々、特に中国民族、日本民族など、東洋民族の先駆者に共通に行われておりまする「思考の三原則」ともいうべきものがございます。
 ものを考えるに当たっての三つの原則----------その一つは、目先にとらわれないで、できるだけ長い目で観察するということであります。第二は、一面にとらわれないで、できるだけ多面的、できるならば全面的にも考察するということであります。第三が、枝葉末節にとらわれないで、できるだけ根本的に観察するということであります。
 物事を、特に事業の問題、あるいはすべて困難な問題、そういう問題を目先で考える、一面的にとらえて観察する、あるいは枝葉末節をとらえて考えるというのと、少しく長い目で見る、多面的・全面的に見る、あるいは根本的に見るということでは非常に違ってきます。ことによると結論が反対にさえなるものであります。そして、もちろんそういうふうに長い目で、そして多面的・全面的・根本的に見るほうが真をとらえやすいということは申すまでもありません。時局の問題などは特にそうでありまして、できるだけ長い目で、できるだけ多面的に、できれば全面的かつ根本的に見なければ、決して正しい考察は成り立たんと信ずるのであります。
 


令和3年6月6日(日) 貞観政要・頁649 惟れ刑を

2021-06-06 10:01:07 | ブログ
惟れ刑をうれへよや、と。頁649

(訳)刑罰の実施には情をかけてやるべきである、といい,礼記に『君が苛虐でなくして仕え易く、臣に姦心が無ければ、刑罰を行う必要がない。』頁649
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 昨夜の空手道教室は、1、森永礼弥君    2、外山諒哉君    3、山口優李君     4、山口賢斗君      5、傳田康人君     6、山田師範 7 、前田師範      8、味園本人でおけいこを致しました。

 空手道をおけいこして上手くなり強くなっても他人に誇ってはなりません、どういう人にも優しく対応することが大事です、とお話しました。
 長い人生、とにかく人様に優しく親切に対応してくださいとお話しました。

 円心会でおけいこした岩坪氏も人を殴り倒すことに快感を覚えていたので、晩年は天罰が来たのだと思いました。

 特に森永礼弥君、外山諒哉君の突き蹴りは凄い破壊力を形成しているので、喧嘩などのことは決してしてはいけませんとお話しました。

 『西郷隆盛人間学』

 道は天地自然の道なるゆえ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ。己れに克つの極功は、「意なく、必なく、固なく、我なし」と云えり。総じて人は己れに克つを以て成り、自ら愛するを以て敗るるぞ。(『南洲翁遺訓』)

 〔訳〕道というものは天地自然の道であるから、学問を講ずる道は「敬天愛人」を目的として、身を修めるには己に克つことだと思いなさい。自分に克つことの究極の到達点は『論語』に言うように、「わがままを言わない。無理押しをしない。自分の考えに固執しない。我を通さない」である。大体人間は自分に克つことによって成功し、自分を愛することによって失敗するのだ。

 昨夜は円心会のおけいこで南洲翁遺訓第一章を大きな声で発表しました。今中学生である森永君たちが中年になる頃は、南洲翁遺訓を学んでよかったといえるようになるでしょう。

 思うに労働組合も南洲翁遺訓を取り入れてくれたらいいのですが、と思う事しきりです。電電等に入社した子供たちに南洲翁遺訓を叩き込んだらいいのですが、思いあがった労働組合の幹部たちは学ぶ気はないだろうと思います。

 枕崎電電に勤務していた組合委員長は、酒癖が悪く盃一杯飲んだだけですぐ暴言を吐く男でした。数年前、口の悪い妻と口論し、憤慨して枕崎の海に飛び込んだとのことでした。