帝王の天下の與に画一を為す所以にして、親疎貴賤を以てして軽重を為さざる者なり。頁650
(訳)帝王が天下のために一定不動の法を定めたもので、親疎や貴賤によって軽重の差を生じためでさせないございます。頁651
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書籍の紹介
『葉隠』 111
『葉隠』は、約二百五十年前に書かれた"武士の心構えに関する教え"であって、隠遁した佐賀鍋島藩士・山本常朝(一六五九~一七一九)の七年間にわたる談話を同藩の後輩・田代陣基(一六七八~一七四八)が筆録し、これを編集したものである。
一見、奇異なこの書名の由来については何の記録もなく、明らかではないが、木の葉隠れの草庵で語られたものであり、あくまで内省の書であるという意味を含んでいるのであろう。もともとの書は「此の始終十一巻、追て火中すべし」という常朝の談話を記述した写本があるほどであって、公刊を目的としたものでは無く、佐賀藩の藩校でも教科書に用いられず、手から手へ写し伝られてきた秘本であった。
有明海に面した佐賀平野の北端を区切る連峰の一つに金立山というのがある。標高は五百メートルそこそこだが、史跡や伝説の多い名所で、佐賀の市街地から約十二キロ、格好のハイキング・コースになっている。その山麓、点在する林にかこまれた静かな田園を黒土原といい、現在は佐賀市に合併れて金立町黒土原となっているが、ここが『葉隠』の語られ、そして記録された地なのである。
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相撲協会は、朝の山がいかがわしい処に出入りしたとして五場所欠場することにしたそうです。決められたことは守らなければならないと考えます。大変残念です。