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味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

令和3年6月5日(土) 貞観政要・頁649 貞観十一年、特進魏徴

2021-06-05 09:57:58 | ブログ
貞観十一年、特進魏徴、上疏して曰く、臣聞く、書に曰く、徳を明かにし罰を慎む。頁649

(訳)貞観十一年に、特進の魏徴が天子に書状を奉って申し上げた、「私は次の語を聞いております。書経に『〔君の〕徳を明かにして、刑罰を慎重にする』『刑罰の実施には情をかけてやるべきである』といい、礼記に『君が苛逆でなくして仕え易く、臣に姦心が無ければ、刑罰を行う必要がない。』頁649
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  書籍の紹介

  『首級の人 大西郷』平泉 澄著

  首級の人(上)

 物理学の先達中村清二先生は、奇縁に導かれて『芭蕉の弟』を一読せられ、「老齢でも達者でさへあれば、此様な面白い事にあふものだと自祝しました」と、懇切なお手紙を寄せて下さったが、『日本』昨年(昭和五十年)十一月号及び十二月号に載せた「昔の人」も、いくつかの反響を呼んで、私をして故人に再会するが如き喜びを感ぜしめてくれた。その一つは、東京は本郷曙町の印判屋愛信堂である。昭和二十年四月の戦災を境として、相互連絡を絶つ事三十数年、想出は夢のやうになって来た時、「昔の人」を読んだ同学K氏、寸暇を以て捜索に行き、そして奇縁に導かれて全然別の場所、本駒込に於いて偶然発見して連絡してくれられた。主人岩井氏八十歳、記憶正確にして情緒優雅、曙町の住人として藤島武二画伯と平泉とを語り、そして其の二人との交際を語るに、必ず愛信堂の番地を起点として、「私の元の家は曙町の一番地、平泉家は十二番地、藤島先生は何番地、藤島先生にも親切にしていただいて、御描きになった画を頂戴した事がある」といふ調子であったと云ふ。------以上、首級の人。
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 昨日は「鹿児島ふれあいスポーツランドへ行きました。その往復の時、軽自動車などの速度違反が目立ちます。警察当局は徹底的に取り締まって欲しいものです。







令和3年6月4日(金) 貞観政要・頁648 我が必ず赦さざる

2021-06-04 10:20:22 | ブログ
我が必ず赦さざる所以の者は、正に此が為めなり、と。頁648

(訳)そして、功労のある人が皆わが法律を犯すに違いない。我が絶対に赦さないというわけは、正しくこのためである」と。頁648
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    書籍の紹介

 安岡正篤『人生最高の「果報」を手にする帝王学』赤根祥道著

 この生き方こそ「わが人生最大の財産」と誇っていい!!

 世の中が進むにつれて、何を拠り所に生きたらいいのかわからない人が多くなった。昨日の常識が今日は非常識になっているのである。こんな例は身近にいくらでもある。
「難しい世の中になりましたね。どう生きたらよいのか、さつぱりわからなくなりました。これからどうなっていくのでしょうか。富士山に登りつめて、あとは降りる一方の世の中になるのではないですかね」
 と、ある企業のトップが話している。
 確かに、敗戦の焼土の中から五十年かけて必死に今日の繁栄をみんなでつくり上げてきた。経済成長と生産性向上が至上命題のように、夢中になって働いてきた。ところが、その繁栄がピークを過ぎて急にしぼんでしまった。社会のあらゆるところで「活断層」がそれまでの常識を非常識に変え、人々から生きていく自信、勇気を奪ってしまっている。
 新聞を読んでも、人生の指針になり得る記事はどこにもない。不安が不安を呼んで、リーダーと言われている人々も、確たる自身を持てなくなってきている。自分の哲学、人生普遍の哲学をしっかり持った心のリーダーがいない。闇の中を手探りで生きることぐらい不安なことはない。
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 昨夜は第二道場の御稽古日でした。ところが正田佳那子嬢が体調が悪いということで、お休みしました。そして外山君も用事があるとのことでお休みしました。田上慈昭さんもお休みでした。そういうことで早く帰ってきました。

令和3年6月3日(日) 貞観政要・頁648 若し甑生

2021-06-03 14:18:14 | ブログ
若し甑生、免るるを獲ば、誰かきゆせざらん。有功の人、皆、須く我が法を犯すべし。頁648

(訳)今もしこれを赦したならば、万一の幸いを求める道をひらくことになるであろう。かつ国家が太原にて義兵を挙げたとき、最初から従属した者や度々の合戦に軍功のあった者は非常に多い。もし甑生が赦免を得たならば、身分不相応な望みを持たないもがあろうか。頁648

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   書籍の紹介
   
  『修身教授録』森 信三著  

 今日からいよいよ先生の講義が始まるというので、極度に緊張して待っていた。すると先生は、鐘が鳴ってしばらくすると、静かにドアを開け、後ろを向いてドアを閉められた後、おもむろに教壇に上がって、ていねいにわれわれに礼をされた。そして時計と万年筆とを教卓の上に置かれて、ゆっくりと出席簿の名前を呼ばれたが、すべてが実に静かである。

 さて今年はご縁があって、諸君たちの組の修身を受け持つことになりましたが、すべてわれわれが教えたり教えられる間柄になるということは、考えてみれば実に深い因縁と言ってよいでしょう。
 と申しますのも、この地球上には二十何億(当時)近い人間が住んでいると言いますが、それはしばらく措くとしても、同じく血液を分け合っている日本人だけを考えても、八、九千万人もあるわけですが、そのうちわれわれが一生の間に知り合う人間の数はきわめてわずかでしょう。
 いわんや一生の間に、その面影を忘れない程度に知り合う間柄となると、いかにそれが少ないかということは、諸君らが過去十数年の生活を反省してみられたら、自ずと明らなことだと思います。
 それらいろいろの人と人との関係においても、とくに師弟関係というものは、一種独特の関係であって、そこには何ら利害の打算というものがないわけです。実際世に師弟の関係ほどある意味で純粋な間柄はないとも言えましょう。

 本書は平成五年三月三十日に購入したものです。購入して読んで読んで読みまくったといっていいと思います。

令和3年6月2日(日) 貞観政要・頁648 且つ国家

2021-06-02 09:58:31 | ブログ
且つ国家、義を太原に建つるや、元従及び征戦に功有る者甚だ衆し。頁648

(訳)かつ国家が太原にて義兵を挙げたとき、最初から従属した者や度々の合戦に軍功のあった者は非常に多い。頁648
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   書籍の紹介

 『日本でいちばん好かれた男』鮫島志芽太著

 冬きわまって、春となる。日本列島きわまって、鹿児島湾となる。薩摩士風------とりもなおさず日本士道------きわまって、明治維新となる。

  明治維新の原動力は、当時の各藩に、大義名分をただすため身命を惜しまないという"士道の高まり"が、共通してあったことの中にある。この士道の高まりに、徳川幕府末期の失政と、武士階層の崩壊の勢いと、欧米露の植民地主義の攻勢が火をつけた。黒船の来航による不平等条約や、下田、箱館、横浜などの開港事件は、日本国中を、被害者意識と屈辱感と危機感の炎の中に投げ込んだ。その反作用が攘夷となり、尊王討幕となって、青年たちの志をたぎらせていった。これらの危機感が革新の直接のエネルギーとなったということは、まぎれもない事実であるが、しかし、そのエネルギーの源泉は日本士道の中にあったことを見逃すことはできない。
 幕末の青年たちは、道を学んでいた。その学んだ道のとおりになっていない現実の政治や社会の不条理を知って、危機の本質を感じ取ったといえる。正統
・道理に反するものをさげすみ、不正義、不忠誠、醜悪なものを嫌う士道精神の地盤に、危機を知らせる西風が吹きはじめて"革新の花"が乱れ咲いた。その花弁に、海外新知識の花粉が明治維新という壮大な清風に乗って受精されて、新改良品種の社会が作られていった、といえようか。とにかく大義名分を学び、かつ実践することによって、封建社会の秩序維持に奉仕してきた日本士道は、こんどは新しい時代の、より高貴な大義名分の存在に目ざめて、みずからの内部矛盾を破壊しながら革新の道をひた走っていった。イギリスの哲学者ベーコンがいったように「知は力になった」のである。
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 この本を手にいれたのが30年前のことでした。西郷さんの本を手に入れ連日この本に酔いしれたのでした。