第3703号 31.03.02(土)
故に君子は以て身を脩めざる可からず。身を脩めんと思はば、以て親に事へざる可からず。親に事へんと思はば、以て人を知らざる可からず。人を知らんと思はば、以て天を知らざる可からず。『中庸』257
政治を行なうかなめは君子が自分の身を正しく修めなければならない。自分の身を正しく修めようとするにつけては、親に善く事えなければならない。親に善く事えるには、人々のことを知らなければならない。人々のことを善く知るには、天を知らなければならないのである。
【コメント】自分の身を正しく修め、親に事え、人々と親しく交流し、更に『南洲翁遺訓』はじめ多くの漢籍を繙き古の達人に教わることが大事だと思います。
まかり間違っても通常言うワルをしてはいけません。特に年も至らず学んでもいない青年は、職場の先輩の悪行を真似をしてはいけません。
私が入社した電電でも、今の私みたいに漢籍を繙くという人は皆無でした。そこで教わったことは昔ながらの風習なんですけど、今思うとゾッとすることばかりでした。
つい先日、大学医学部の28歳位の青年たちが女の子を故意に酔わせ、暴行をし逮捕されたとのことです。年頃になると男女の関係が深入りするのですが、人の道を外さない美しい生き方を教えてくれるところはないのでしょうか。
昨今、大学に関係する人々の非違行為が報道されますが、人々の範となる教えが熱望されると思うのです。
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『善の研究』第163回
真実在はかくの如き無限の対立を以て成立するのである。物理学者は勢力保存などといって実在に極限があるかのようにいっているが、こは説明の便宜上に設けられた仮定であって、かくの如き考は恰も空間に極限があるというと同じく、ただ抽象的に一方のみを見て他方を忘れていたのである。
活きた者は皆無限の対立を含んでいる、即ち無限の変化を生ずる能力をもったものである。精神を活物というのは始終無限の対立を存し、停止する所がない故である。もしこれが一状態に固定して更に他の対立に移る能わざる時は死物である。
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『菜根譚』178
陰謀怪習、異行奇能は、俱に是れ世を渉るの禍胎なり。ただ一個の庸徳庸行のみ、便ち以て混沌を完くして和平を招くべし。
〔訳〕陰謀や奇習、風変りな行為やふしぎな芸当などは、いずれも世間を渡る上での災のたねである。ただ平々凡々の徳と行いを積むことだけが、本来のすがたを全うして、平和を招くものである。
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故に君子は以て身を脩めざる可からず。身を脩めんと思はば、以て親に事へざる可からず。親に事へんと思はば、以て人を知らざる可からず。人を知らんと思はば、以て天を知らざる可からず。『中庸』257
政治を行なうかなめは君子が自分の身を正しく修めなければならない。自分の身を正しく修めようとするにつけては、親に善く事えなければならない。親に善く事えるには、人々のことを知らなければならない。人々のことを善く知るには、天を知らなければならないのである。
【コメント】自分の身を正しく修め、親に事え、人々と親しく交流し、更に『南洲翁遺訓』はじめ多くの漢籍を繙き古の達人に教わることが大事だと思います。
まかり間違っても通常言うワルをしてはいけません。特に年も至らず学んでもいない青年は、職場の先輩の悪行を真似をしてはいけません。
私が入社した電電でも、今の私みたいに漢籍を繙くという人は皆無でした。そこで教わったことは昔ながらの風習なんですけど、今思うとゾッとすることばかりでした。
つい先日、大学医学部の28歳位の青年たちが女の子を故意に酔わせ、暴行をし逮捕されたとのことです。年頃になると男女の関係が深入りするのですが、人の道を外さない美しい生き方を教えてくれるところはないのでしょうか。
昨今、大学に関係する人々の非違行為が報道されますが、人々の範となる教えが熱望されると思うのです。
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『善の研究』第163回
真実在はかくの如き無限の対立を以て成立するのである。物理学者は勢力保存などといって実在に極限があるかのようにいっているが、こは説明の便宜上に設けられた仮定であって、かくの如き考は恰も空間に極限があるというと同じく、ただ抽象的に一方のみを見て他方を忘れていたのである。
活きた者は皆無限の対立を含んでいる、即ち無限の変化を生ずる能力をもったものである。精神を活物というのは始終無限の対立を存し、停止する所がない故である。もしこれが一状態に固定して更に他の対立に移る能わざる時は死物である。
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『菜根譚』178
陰謀怪習、異行奇能は、俱に是れ世を渉るの禍胎なり。ただ一個の庸徳庸行のみ、便ち以て混沌を完くして和平を招くべし。
〔訳〕陰謀や奇習、風変りな行為やふしぎな芸当などは、いずれも世間を渡る上での災のたねである。ただ平々凡々の徳と行いを積むことだけが、本来のすがたを全うして、平和を招くものである。
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