味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

聖人と為るを求むる志有りて

2017-12-01 10:03:42 | ブログ
第3258号 29.121.01(金)

聖人と為るを求むる志有りて、然る後に輿(とも)に共に學ぶ可し。學びて善く思ひ、然る後に輿に道に適く可し。思ひて得る所有れば、則ち輿に立つ可し。立ちて之に化すれば、則ち輿に権る可し。『近思録』118

 聖人になることを求める志があってこそ、ともに勉強ができるし、学んで十分に思索してこそ、ともに理想の道に進める。思索して会得する点があれば、ともに理想の地に立てる。理想の地に立って道に同化すれば、ともに事の軽重が計れる。

 【コメント】我々凡人には別世界に見える崇高な世界に見得ますが、自らを修養してより高め、二度とない人生を有意義な処世とすべく日々に臨みたいものです。

 有難いことに私の場合、西郷隆盛の言葉とされる『南洲翁遺訓』との出会いのお蔭で、学問の都・荘内の方々と交流をし、日常的に指導して戴いています。

 荘内という所は古典の学問を通じて人格の陶冶に精励していますし、交流した方々の人格美は当今見られないものです。学歴能力ない私ですが、偉い先生方に可愛がっていただき、つい先日も、〔徳の交わり〕チャリティ全国吟詠大会に参加されたい旨要請され、遠く荘内迄伺い、荘内の方々の真摯に生きる姿勢を堪能してきました。

 特に先の大戦以後、平和・安全を希求する余り、それが一世を風靡しために人々は、労を伴う事から安易に逃避し自らの人生を棄て去っているように思われる人々が少なくないようです。

 人間生きて行くためには、食糧・衣服をはじめそれなりの物理的なものがなければなりません。ところがテレビ文化が世を席捲するに比例し、働くよりか遊びの方へと異常に進化しているように思えてならないのです。

 そういう折、昔ながらの大和文化を充実し生きる幸せをより実感するためには、先に書いた『南洲翁遺訓』の精神を日々に導入することが肝要だと思います。

 『南洲翁遺訓』は小冊子にまとめられたものですが、通読して50分で素読できます。現代では日常的に使用されていない難解な用語で綴られていますが、読書百篇意自ずから通ずとあるように、読み続ければ人々の人生に最高の宝典として座右に置き日々に繙く存在になると思います。

 そういう『南洲翁遺訓』と50年前に出会い、私塾空手道教室で子どもたちに『南洲翁遺訓』を教えているのです。
『南洲翁遺訓』との出会いのお蔭で漢籍とも縁があり、漢籍を日々に繙き充実した晩年に生きています。

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『不動心』(第122回)

 相手の心の中に飛び込んでいけ

 他人のいうことを注意深く聞く癖をつけなさい。話している人の心の中にまで入りこんでいくよう鋭意努力しなさい。 

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『臥牛先生遺教抄』(第80回)

 明治維新の頃、名人と称せられし落語家円長の語るを聞くに、至って言葉寡なく段々語り続け、要の所に至れば暫し沈黙し、扇を開き座中を指し見回しながら「皆さんお分かりになりましたか、何と感心ではありませんか」と、己が満腔の精神を不言の中に披歴せるにぞ。聴衆感動して涙を流し満座粛然たりきと。
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鳥羽・伏見の戦い---第5回

 相次ぐ裏切りで幕軍潰走す

 四日朝より、再び幕軍は鳥羽・伏見に進み反撃を開始、下鳥羽では佐久間近江守らが奮闘して討幕軍を苦しめ善戦した。しかしこの日、両軍の明暗を分ける、幕軍には非情ともいうべきひとつの「象徴」が登場する。
「錦旗」である。征討大将軍義彰親王に渡された錦旗が討幕陣營に翻った瞬間、討幕軍は「官軍」とり、幕軍は「賊軍」の汚名を着せられた。これを知った討幕軍の士気は上がり、援軍も派遣されてまた勢いを盛り返したのである。再び劣勢となった幕軍は伏見から横大路を経て淀方面へ、下鳥羽の軍も富ノ森まで退くことになつた。
 五日、長州軍主力は伏見から淀へ、錦旗を擁した薩摩軍主力も鳥羽街道を富ノ森へ進む。そこで目の当たりに錦旗を仰いだ幕軍は、今や自分たちが朝敵となったことをはっきりと知らされ愕然とった。

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