第3273号 29.12.16(土)
須らく心を放ち寛快公平ならしめて以て之を求むべく、乃(すなわ)ち道を見る可し。況や徳性の自ら広大なるをや。易に曰く、神を窮め化を知るは、徳の盛んなるなり、と。豈浅心にして得可けんや。『近思録』148
心を解きはなち、ゆったりとさせ、公平にさせて道を求めてこそ、道がわかる。まして心に具わった徳性は、もともと広大なのだから、道が受け入れるはずである。易に、「微妙なはたらきを窮め、変化を知るのは、徳のすぐれた人物だ。」とある。浅薄な心でどうして道が得られよう。
【コメント】道を理解するためには上の解説にある通り、「心を解きはなち、ゆったりと」して思考を深めた方がよろしいかと思います。
あまりこせこせとして臨んだら見えるものも見得なくなるような気が致します。全国的に大変寒い日々のようです。お互い気を充実させ、物事をキチンと勧めたいものです。
昨日は、お墓まいりに行ってきました。夕刻帰宅してから健康スポーツランドへ行ってリラッックスしてきました。
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『不動心』(第137回)
人間と宇宙との一体感
すべての物体は、さながら奔流に運ばれるかのごとく宇宙本体の中を通過しながら、人間の身体の部分が互いに協力するかのごとく宇宙全体と結びつき協力する。これまでにどれほど多くのクリュスポスやソクラテス、エピクトテスが時に呑まれてしまったことか! どんな人間と関係を持ち、どんなものごとを関わりあうときにも、このことは忘れてはならない。
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『臥牛先生遺教抄』(第95回)
小子六十七銀行(荘内銀行の前身)に就職中、東京のある銀行、六十七銀行に多額の負債あり、返済期を以て応対すべし。且つ彼の言う所をよく聞き届けたる後、汝の言わんとする事を静かに述べ、終始誠を以て一貫せよと。又仰せらるるには、予西郷先生へ度々見え、事を謀りしも一度も間違い聞き取られたりと思いし事なし。善く虚心にて聞かれたる証ならんとなり。
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生涯を決定づけた薩摩の士風---第16回
西郷は、弘化三年春、郡奉行小森新蔵に従って薩摩郡高城郷に出張し、石造りの眼鏡橋である妹背橋の架設工事を監督した。橋が完成すると、工事費の計算違いから紛議が起こり、会計責任者が辞任に追い込まれた。このとき西郷は、
「橋は完成して工事は終わった。それなのに何故争うのか。罪は会計係一人に負わせるべきではない。計算違いのようなも のは吉之助自ら責任をとる」
と主張した。西郷のこの一言で争いは止み、藩庁もこれをとがめなかったと伝えている。
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須らく心を放ち寛快公平ならしめて以て之を求むべく、乃(すなわ)ち道を見る可し。況や徳性の自ら広大なるをや。易に曰く、神を窮め化を知るは、徳の盛んなるなり、と。豈浅心にして得可けんや。『近思録』148
心を解きはなち、ゆったりとさせ、公平にさせて道を求めてこそ、道がわかる。まして心に具わった徳性は、もともと広大なのだから、道が受け入れるはずである。易に、「微妙なはたらきを窮め、変化を知るのは、徳のすぐれた人物だ。」とある。浅薄な心でどうして道が得られよう。
【コメント】道を理解するためには上の解説にある通り、「心を解きはなち、ゆったりと」して思考を深めた方がよろしいかと思います。
あまりこせこせとして臨んだら見えるものも見得なくなるような気が致します。全国的に大変寒い日々のようです。お互い気を充実させ、物事をキチンと勧めたいものです。
昨日は、お墓まいりに行ってきました。夕刻帰宅してから健康スポーツランドへ行ってリラッックスしてきました。
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『不動心』(第137回)
人間と宇宙との一体感
すべての物体は、さながら奔流に運ばれるかのごとく宇宙本体の中を通過しながら、人間の身体の部分が互いに協力するかのごとく宇宙全体と結びつき協力する。これまでにどれほど多くのクリュスポスやソクラテス、エピクトテスが時に呑まれてしまったことか! どんな人間と関係を持ち、どんなものごとを関わりあうときにも、このことは忘れてはならない。
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『臥牛先生遺教抄』(第95回)
小子六十七銀行(荘内銀行の前身)に就職中、東京のある銀行、六十七銀行に多額の負債あり、返済期を以て応対すべし。且つ彼の言う所をよく聞き届けたる後、汝の言わんとする事を静かに述べ、終始誠を以て一貫せよと。又仰せらるるには、予西郷先生へ度々見え、事を謀りしも一度も間違い聞き取られたりと思いし事なし。善く虚心にて聞かれたる証ならんとなり。
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生涯を決定づけた薩摩の士風---第16回
西郷は、弘化三年春、郡奉行小森新蔵に従って薩摩郡高城郷に出張し、石造りの眼鏡橋である妹背橋の架設工事を監督した。橋が完成すると、工事費の計算違いから紛議が起こり、会計責任者が辞任に追い込まれた。このとき西郷は、
「橋は完成して工事は終わった。それなのに何故争うのか。罪は会計係一人に負わせるべきではない。計算違いのようなも のは吉之助自ら責任をとる」
と主張した。西郷のこの一言で争いは止み、藩庁もこれをとがめなかったと伝えている。
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