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味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

楊子曰く、父母に事へて自ら足らざるを知る者は

2017-10-05 15:04:36 | ブログ
第3202号 29.10.06(金)

楊子曰く、父母に事(つか)へて自ら足らざるを知る者は、其れ舜か。得て久しくす可からずとは、親に事ふるの謂ひなり。孝子(こうし)は日を愛(お)しむ。『小学』(稽古第四)184

 漢の楊雄がいう。舜こそは父母に事えることの不足を痛感するものであったろう。父母に事えることのできるものは限られた年月だけである。この短い年月では孝が尽くしきれず、その日か一日ずつ少なくなってゆくのだから、孝子は時日を愛惜するのである、と。184

 【コメント】父母に事えることができるのは、日々少なくなっていくものでありますが、父母をみとったあとでも、その純粋な気持ちは持ち続けたいものです。

 生前、父母が好きであったこと、欲していたこと等々を自分が生きている間、持ち続けたいものです。そしてその恩愛を胸に秘め日々に生きたらそれが孝というものでしょう。

 合わせて父母を思うあまり、友人とか他の人々をないがしろにするようなことがあってはなりません。私は空手道教室で子供たちに、どんな貧乏家庭の子供であろうと、学校での成績が悪かろうと見下げてはいけません、といい諭しています。長い人生では、誰が偉くなるかわからないのです。

 総理大臣の要職にあっても、国民を愚弄することがあってはならないのです。安倍総理は、丁寧に説明して行くというものの、極めて不誠実です。

 友人・知人だからと言って依怙贔屓をしてはなりません。天が観ているのです。週刊文春によりますと自民党73人が落選するとか、果たしてどうなるのでしょう。

 昨夜の空手道教室でも、人に優しく自分に厳しくとお話しました。私は安倍さんは好きだったのですが、長期の驕りが出てきているようです。それを天はヨシとしないのです。

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『不動心』(第71回)

 愚かな者を喜ばせ、悩ますもの
 この世に起こることはみな、春にバラが咲き、夏に果実が熟すごとく、当然そうなるべきものばかりだ。病気や死、中傷や陰謀など、愚かな人間が喜んだり悩んだりするものについても同じことがいえる。

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『臥牛先生遺教抄』(第27回)

 汝は作略を為すの悪癖あり、改めざるべからず。何事も正道を踏み至誠を以て行い、少しも作略をなすべからず。論語に言忠信行篤敬とあり是れ終生心掛くべき箴言なり、ゆめゆめ忘るべからずと。
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選挙に向けてのお願い

 小池さんが演出する政党誕生劇を見て、前原さんはよくぞやったと思っています。議員の方々はそれぞれ思いはあるでしょえうが、日本の国家としての永遠性を望んでいると思います。

 現在の我が国の青少年は勤労精神旺盛にして、勤勉性も旺盛でしょうか。生活が豊かになり、子供たちは楽をして金を稼ぐ、遊び呆ける一方で、社会を構成する人間の自覚に欠けるとお思いにならないでしょうか。

 昨日も書きましたが、青少年の非行、ここに極まれりという現状だと思います。新しく政党を作った立憲民主党の人々は口あたりのいいことをいっていますが、その人々の政策としたことが半世紀以上たつと人々を怠けへ誘っているのです。

 そういう左系の人々が推進してきたお蔭で今日があるのです。私はそういう時代で労働組合の役員をしていたのです。でも貧乏家庭であったので、人一倍働いてきました。今でもそうです。

 昨夜は空手道教室で子どもたちにそれぞれ空手道型をさせた後で、指導者として型をして見せました。最高の気合いを入れて演武することは、元気な自分を創ることになるのです。

 物事の成否は長期的視点にたたなければいけないのです。
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人少なれば則ち父母を慕い、

2017-10-04 16:48:15 | ブログ
第3201号 29.10.05(木)

人少なれば則ち父母を慕ひ、好色を知れば則ち少艾(せうかい)を慕ひ、妻子有れば則ち妻子を慕ひ、仕ふれば則ち君を慕ふ。君に得られざれば、則ち熱中す。大孝は終身父母を慕ふ。五十にして慕ふ者、予大舜に於て之を見る、と。『小学』(稽古第四)183

 一般に、人間は幼い時には父母を慕うが、好色の情が生ずると美女に心をひかれ、妻子を得て後は妻子を愛し、仕官すれば主君を慕い、主君の気に入られないと、なんとか気に入られようと、心にあせって熱中するものである。ところが、大孝の人は、一生涯、父母を慕うものである。五十歳になってもなお父母を慕うというのは、偉大な舜において始めて見ることである」と。

 【コメント】父母のお蔭でこの世に生を得たことを感謝し、尊敬し或は慕う気持ちは持ち続けたいものです。親は子供より先にこの世からいなくなるのであるから、一寸したことでも嬉しいものです。

 私は10人家族に育ちましたので、非違行為をして親を兄弟を哀しませることはしてはならないと思ったものです。そして仕事をすることです。仕事をしない人間は早くあの世にいっていいのだとは、私の母のくちぐせでした。

 現在は人を健康にするというサプリメントなるものがありますが、私は一切不要の精神を通しています。昔はそのようなものはなかったのですから。

 兎に角力一杯働いてごはんをたべることです。いろいろコマーシャルで流すテレビに翻弄されないことです。サプリメントを口にする人と、食事のみで満足する人とでは、食事を美味しく戴く人が健康なのです。


 11月23日、東北文化大学で詩吟大会があるとのことです。それに参加されたいとして、東山昭子先生からお手紙を頂きまして、11月22日荘内空港に着く予定です。

 荘内の先生方に比べ、詩吟は未熟極まりないのですが、これも西郷南洲翁の取り持つご縁ですので、高木先生、中澤先生、何卒よろしくお願い致します。


 衆議院選挙が間近だということで、各党これ宣伝に努めています。今日の政策も大事ですが、遠い将来を見越して立案・検討して貰いたいものです。

 戦争を引き起こして人が死ぬこともよくないのですが、人々が働かず、遊びほうけて、酒びたりになることもよくありません。人々に口当たりのいいことを言う、リベラル派が過去台頭してきたおかけで、世の中悪くなってきたたのです。ホーキング博士が指摘したとおりでした。
 
 勤労精神旺盛で、勤勉な人間、至誠の情のあつい人となる人間を育てたいものです。その為には『南洲翁遺訓』を毎日読むことです。

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『不動心』(第70回)

 時の流れに棹はさせない
 時は流れる河である。生きとし生けるものすべてが、容赦なくその流れに運ばれていく。
 今見えたと思ったものがあっという間に過ぎ去り、また何かが運ばれてきたかと思うと、すぐに波に押し流されてしまう。

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『臥牛先生遺教抄』(第26回)

 賢人は必ず人の助け多きものなれば、己非ありて人より告げらるる者は賢人なり。聖人ならば一層人の助け多きものならん。
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汝周南・召南をまなびたるか。

2017-10-04 09:55:27 | ブログ
第3200号 29.10.04(水)

孔子、伯魚(はくぎょ)に謂ひて曰く、汝周南(しゅうなん)・召南(せうなん)を為(まな)びたるか。人にして周南・召南を為ばざれば、其れ猶ほ正しく牆(しょう)に面して立つのがごときかと。『小学』(稽古第四)180

 孔子は子の伯魚に対して、「お前は詩の首篇、周南・召南を学んだことがあるか。二南を学ばなければまるで牆に面して立っているようなもので、何一つわからない」と告げた。

 【コメント】詩は見識を広めるもので、ただ性情を養うだけでなく、社会生活全般を心得るための第一の書とされた。詩が重んぜられた事実と、詩の重んぜらるべきこととを示すために引用し、父たるものの反省、子たるものの感奮を期するものであるが、朱子の時代において「詩」は『詩経』の周南、召南二篇だけの誦読を意味するのではあるまいまい、とあります。

 思うに、ひとり漢詩だけに限らず漢籍全般を読み、かつ書き写す習慣を身につけたいものです。そうすれば余程のことがない限り、不慮の事故等に遭遇することはないでありましょう。大事なことは危険に近寄らないことです。

 国会解散に伴い、選挙準備等々で大賑わいであるようです。週刊ポストでは安倍、管氏のことについて依怙贔屓が過ぎるとして書きなぐっているようです。長期政権による傲りから生じたことへの反発だろうと思います。とにかくまじめさをなくすということは人々の善意を裏切ることなのです。妻を甘やかすことも、です。

 そして東京都議の小池さんに応援していた人が都民ファーストをオトキタ氏は辞めるとのことです。都知事と国政の二股も問題があるようですが、総理の長期政権の驕りも問題があるようです。

 さて、都民の賢明な裁定はどのようになるでありましょう。

 そして福岡の中学校では先生を殴った生徒が常人(じょうじん)逮捕されたとのことです。昨日も書きましたが、これらの行為は政治から来ているのです。

 平和団体の統一行動が戦後半世紀の間において、日本中の人々を毒してきたのです。昔の三公社には仕事はそっちのけで労働運動にのめりこんでいた人がいたものです。

 今回、常人逮捕された子供は厳しく罰してほしいものです。でないと刑務所を出たり入ったりする人間になるという人もいます。

 今回の希望の党問題で、外された元民主党総理であった男が、立憲民主党は自民党に対峙する人間が集まると腹いせに反論しましたが、国民はそこまで愚かではないでしょうという識者の人が多いようです。こういう男たちが政策としてきたことが今日の青少年非行へと進んだと私に教えた人がいました。

 上野・アメ横では外国人の客引きが問題になっているようですが、そういう人を雇う経営者を徹底教育すべきだと思います。

 とにかく日本人に昔から民族精神として構築されてきた真面目さ、旺盛な勤労意欲・勤勉性、継続心等々を持ち着続けたいものです。

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『不動心』(第69回)

 人間は一つの死体をかついでいる魂にすぎない

 「一つの死体を背負わされた憐れな魂よ」----哲学者エピクテトスは、あなたのことをそう呼んでいる。
 変化し続けることは悪ではない。かといって、変化の結果生まれたものも善とはかぎらない。

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『臥牛先生遺教抄』(第25回)
 
 何事も必死になりて行う時は妙なるものにて、天が祐くるか又人が助くるか、必ず遂げらるるものなり。
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詩を学ばざれば、以て言ふこと無し、と。

2017-10-02 16:33:52 | ブログ
第3199号 29.10.03(火)

孔子嘗て獨り立てり。鯉趨(りはし)りて庭を過ぐ。曰く詩を学びたるかと。對(こた)えて曰く、未だしと。詩を学ばざれば、以て言ふこと無しと。鯉退(しりぞ)きて詩を学べり。他日又獨り立てり。鯉趨りて庭を過ぐ。曰く、禮を学びたるかと。對えて曰く、未だしと。禮を学ばざれば、以て立つこと無しと。鯉退きて禮を学べり。

 かつて孔子が独りで立っている時、鯉(孔子の子)が走って庭を通り過ぎようとしたら、「詩を学んだか」と問われた。「まだです」とこたえると、「詩を学ばなくては言葉の使い方もわからない」といわれた。よって鯉は詩を学ぶこととした。他日また孔子が独り立っているところを鯉が走り過ぎると、「礼を学んだか」と尋ねられた。「まだです」とこたえると「礼を学ばなくては人間らしい行動はとれない」と言われた。よって鯉は礼を学ぶことにした。(特に父から聞いたこととといえば、このくらいのものです、という鯉の述懐である。)

 【コメント】子どもは遊びほうけるものです。そういうとき、しかり飛ばすのではなく、教え諭すことがいかに大事かという教えだと思います。

 そういうお利口な子供になるよう、かねがね語り掛け、まじめに聴くくせをつけさせる、そして内容がわかったらその旨相槌をうたせるなどする、そういう信頼関係の基礎づくりすることが大事だと思います。
 胎教と環境とに主眼を置く母の教えに対し、詩礼による理性的な父の教え、並びにその性格の「其の子を遠ざく」るに在ることを示すものとして見たいのである。「其の子を遠ざく」とは、子を易えて教えるとまで説かれる厳格さを必要とする父の教育の一面を示すものである、とされています。

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『不動心』(第68回)

 宇宙の摂理を知ること
 「宇宙は、単一の物質と単一の魂から成る一個の生命体である」と考えていなさい。あらゆるものごとはこの宇宙という一つの統一体に従属し、その衝動によって動かされ、すべてのできごとの因果関係の中でそれぞれの役割を演じている。それらが、いかにからみあい、複雑な織物に織りあげられているかをよく見ておきなさい。

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『臥牛先生遺教抄』(第24回)

 維新前後のご実験談に、大難事に当りては意気自然屈する事あるものなり。蛇のなめくじに取り巻かれたる時、段々棒立ちとなりて終に「はた」と斃るるものなりと聞けり。人もその棒立ちになる程窮すれば心気定まり意気初めて振るものなり。
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 世の中大変物騒です。大きな物騒犯は隣の北国の独裁者ですが、小さくは音楽イベントなどでのテロ行為です。アメリカでは音楽鑑賞をしていたところにいた人々に銃撃があったそうです。

 人それぞれ一人の人間として立派な人格を形成していると思われますが、より牢固な人格を形成するため、漢籍等々を学修されますよう、お呼掛け致します。

 私は学歴がないので人様に少しでも追いつきたいと願い、多くの書籍を購入し連日終日学んでいます。これほど善い趣味・日々はないと快適な毎日を送っています。

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這の心の體は即ち所謂道心なり。

2017-10-01 16:27:28 | ブログ
3198号 29.10.02(月)

(けだ)し四書五経は、這(こ)の心の體(たい)を説くに過ぎず。這(こ)の心の體は即ち所謂道心(いわゆるどうしん)なり。體明かなれば即ち是れ明らかなり。更に二無し。此は是れ学を為すの頭脳の處なり、と。『伝習録』(伝習録巻上)87

 要するに、四書五経も、わが心の本体を説いたものに過ぎないし、この心の本体は所謂道心なのだから、心の本体が明らかになれば、道理も明らかになり、道理と心の間に区別はなくなるのである。これが学問をするに最も重要な点である。87

虚霊不昧(きょれいふまい)、衆理具(しゅうりそなわ)って萬事(ばんじ)出づ。心外に理無く、心外に事無し。『伝習録』(伝習録巻上)『伝習録』(伝習録巻上)

 心というものは、その姿は虚であって何もないが、しかも霊妙なはたらきを蔵していて、明るく、万事万物の理がすべてそこに具備され、あらゆる事為の出て来る源泉なのである。この故に心の外に理のあるはずはなく、心の外に事のあるはずもない。心こそ万事万理そのものである。88

 【コメント】読書について、文章文字の意味の追求に終わらず、その内容精神を把握せよとは、今日の多くの人の説くところである。しかし王陽明は、まずわが本心を明らかにせよ、そうすれば一切の道理は明らかになる。それが学問の根本だと言う、とあります。これは四書五経の説くところも、わが心の理を註釈したに過ぎない、と説いた陸承山の思想にもとづく考えで、極めて唯心的な論である、とあります。

 王陽明の心に対する考え方を最も簡単に表現した語であるが、言葉そのものは、彼の独創ではないが、これをよく凝集し、思想的に統一したところに、彼独特のものがあり、伝習録全篇はこの思想によって貫かれていると言っても過言ではない、とあります。

 これらは通常読まないし、書きませんので親しみが薄いと思われますが、慣れてくるとこれほど有難い教えはないと私は思っています。

 強く正しい日本人を創造するためには最高のおしえだと思います。その前に『南洲翁遺訓』を読み続けることも大事だと思います。

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『不動心』(第67回)

 不幸は災いをよびこむ
 災は、他人が意図したからあなたの身に降りかかるのでもなければ、あなたの環境が変化するために起こるのでもない。災いだと思う心があるから災いが起こるのだ。
 だからその判断をひかえよ。そうすれば万事まるくおさまる。 
 たとえもっとも身近な隣人、たとえばあなたの憐れむべき肉体が切り傷や火傷を負ったとしても、うもただれたり、壊疽になったとしても、災いだと思わなければいいのだ。悪しき人にも善き人にも同じように起こることなら、それが善であるとか悪であるとかの判断はさしひかえよう。誰にもわけへだてなく起こることは自然の法則とは別問題であって、自然の目的を実現する上では妨げにも手助けにもならないのである。


 このくだりを読んで、中村天風師の教えと似ていると思いました。

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『臥牛先生遺教抄』(第24回)

 人実地に臨み至誠になれば、心も静かに言葉寡なに、自然沈黙のようになるものなり。
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 中学生の子供が授業時間中に、タブレット端末を操作している時、先生が指導している以外のものをみていたため取上げた處、ギャクギレして先生の背中を十回位蹴るという事件が発生しました。
 
 その模様がインターネットで紹介され拡散したとのことです。先生に危害を加えた中学一年生は警察に逮捕され、学校にも多くの苦情の電話があったそうです。

 思うにこういう生徒は厳しく罰しなければなりません。私はそういう種類の人間を数多く見て来ました。やがては刑務所を出たり入ったりすることになるでしょう。
 
 そしてこういうワルガキの将来は悲惨な結末を迎えるのです。これは天風師の本でも、こと細かに説いています。健康で長生きはしないとは天風師の教えです。

 衆議院が解散されたので、選挙に向けてにぎやかです。民進党から希望の党へ鞍替えする人々で、特に思想色の強い人は公認しないとのことです。既にはじかれた人々は新聞でも紹介されていますが、私が思った通りの人々でした。

 反戦・平和を主導する人々が教育する人間が、中学・高校でトラブルを起こすタイプへと成長するみたいです。それは人間に当然必要とすべき人間社会の掟と厳しさ、真面目さ、親切さがないからです。

 私がそいうタイプと同じ行動をとったとしたら、母親に薪でなぐられたものです。同級生にそういうワルガキがたくさんいました。

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