第2170号 26.12.06(土)
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礼は夫婦を謹むに始まる。『礼記』
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夫婦間の日常のつつしみを忘れない。それが礼の始まりといってよい。
夫婦こそ、最も親密な人間関係であり、それだけに、最も礼を失いがちなものだからである。274
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【コメント】今朝の学問館は二家族と私6人で学びました。鹿児島の寒さをいったら荘内の皆様方に笑われるでしょうが、今朝は8度でした。西郷先生の漢詩を学修してから空手道のお稽古を致しました。
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参加してくれた方々に『大学味講』をご紹介しました。皆が来る前に一人で『大学味講』を繙きました。十数年前に拝読した際、ところどころにサインペンで塗っているところを読み、菅原先生のお人柄に触れて喜び一入でした。
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前のブログにも書きましたが、荘内南洲会前理事長・小野寺先生が、菅原先生は日本一の教育者だと言った言葉が彷彿として参ります。政治家はじめ全国の人々が大学味講を読み、活用してくだされれば日本の国はもっともっと良くなるであろうにと思うことしきりです。
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総選挙がはじまって、それぞれの政党が他の党を中傷する言葉が踊っていますが、物言わぬ国民は黙って見て来ているのです。国民に金をバラマキ、そして平和もいいでしょが、精神も肉体も健全でなければならないと思います。
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思うに、1.勤労精神が旺盛であること。2.勤勉であること。3.継続して行く精神の強固さを培うこと。4.自らを修養するため学び続けること。5.他人様を侮らないこと・親切心を持ち続けること。6.良い言葉を遣うこと。7.自らが挨拶をすること。8.節約・倹約すること。9.如何なることがあっても人様を殴らないこと。10.金銭欲・地位・名誉を求めないこと等々を心がけたいものです。
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その為には、私がブログでご紹介してきた『臥牛先生遺教抄』『大学味講』等により学修することが大切だと思う次第です。
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『大学味講』(第8回)
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第一部 言 論 (経)
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第一章 三 綱 領
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大学の開巻第一に
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大学の道は、明徳を明らかにするに在り。
民に親しむに在り。
至善に止まるに在り。
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とあります。それを原文で書くと
明明徳(めいめいとく)
親民(しんみん)
止至善(ししぜん)
となりますが、これを古来「大学の三綱領」といっているのであります。
そこで、まず、この一つ一つについて、その意義を探究致したいと存じます。
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第一節 明明徳(明徳を明らかにする)
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(一) 「明徳」とは、そのものが生成し、活動する原動力をいうのでありまして、たとえていえば、電気機械における電源のようなものといってよいでありましょう。だから、「一切活動の源泉」とでも申しましょうか。「明らかな徳」とかなんとか砕かずに、「明徳」という大学の「術語」として取り扱うことと致したいと存じます。
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(二) その「明徳」を「明らかにする」とはどういうことか。一体「明」という字の古い形を見ると、次のようなものでありまして、「日」と「月」を並べたものではありません。考えてみても、日と月が並んだところで、格別明るさを増すというものではないでありましょう。そこでこれは一体何を書いたものであるかというと、左側の「目」は、窓の形なのであります。だから「明」という字は、窓に月の光がさしこんだ象(かたち)なのであります。
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思うに、真昼の明るいという意識をもたぬでありましょう。「明るい!」ということを意識するのは、暗い所にいて、そこに光がさしこんできた時の感じである、というのが「明」の字であります。
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『論語』(第107回)
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子曰はく、晏平仲は善く人と交わり、久しうして之を敬す。
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晏平仲は人と善く交際する道を心得ていた。人は久しく交際すると敬意の衰えるものであるけれども、晏平仲は始めから終りまで敬意を失わなかった。
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『禅とは何か』より
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道元が「学道の人は、後日をまちて行道せんと思うことなかれ。ただ今日今時をすごさずして、日々時時を励むべきなり。」(『正法眼蔵随門記』)といわれたことは、千古の名言といわねばならぬ。
かつて歌舞伎俳優であった八世市川団蔵さんは、追善興行が終って、、四国八十八カ所めぐりの旅にたたれ、それが終ると、帰路、瀬戸内海の潮のなかに、一人静かに、だれ一人にもみとられることなく、八十余年の生涯をおえられたのであったが、その時書き残された歌に、
「我死なば 人に迷惑かけるなよ 仏たのまず さらば地獄へ」
というのがあったが、そこには人とも頼まず一人静かに地獄へ行こうという徹底したすみきった境地が唄われている。頁88
今の芸能界でこういう人がいるでしょうか。野球選手も。今年の更改の年俸が8000万円少なかったといってボヤイテいる男が新聞に掲載されていましたが、真の人生とは何かを知らないと思ったことでした。
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この『禅とは何か』を購入したのが昭和59年6月4日となっています。爾来、肌身離さず持ち歩きました。私の分身でもあります。本はボロボロになっています。「礼節いろは言葉を書き終わりましたので、『禅とは何か』をご紹介したいと存じます。
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短歌の紹介
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人間を尊重しつつ行をせよ
愛語の実践努め人なら 6999 禅とは110
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礼は夫婦を謹むに始まる。『礼記』
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夫婦間の日常のつつしみを忘れない。それが礼の始まりといってよい。
夫婦こそ、最も親密な人間関係であり、それだけに、最も礼を失いがちなものだからである。274
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【コメント】今朝の学問館は二家族と私6人で学びました。鹿児島の寒さをいったら荘内の皆様方に笑われるでしょうが、今朝は8度でした。西郷先生の漢詩を学修してから空手道のお稽古を致しました。
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参加してくれた方々に『大学味講』をご紹介しました。皆が来る前に一人で『大学味講』を繙きました。十数年前に拝読した際、ところどころにサインペンで塗っているところを読み、菅原先生のお人柄に触れて喜び一入でした。
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前のブログにも書きましたが、荘内南洲会前理事長・小野寺先生が、菅原先生は日本一の教育者だと言った言葉が彷彿として参ります。政治家はじめ全国の人々が大学味講を読み、活用してくだされれば日本の国はもっともっと良くなるであろうにと思うことしきりです。
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総選挙がはじまって、それぞれの政党が他の党を中傷する言葉が踊っていますが、物言わぬ国民は黙って見て来ているのです。国民に金をバラマキ、そして平和もいいでしょが、精神も肉体も健全でなければならないと思います。
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思うに、1.勤労精神が旺盛であること。2.勤勉であること。3.継続して行く精神の強固さを培うこと。4.自らを修養するため学び続けること。5.他人様を侮らないこと・親切心を持ち続けること。6.良い言葉を遣うこと。7.自らが挨拶をすること。8.節約・倹約すること。9.如何なることがあっても人様を殴らないこと。10.金銭欲・地位・名誉を求めないこと等々を心がけたいものです。
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その為には、私がブログでご紹介してきた『臥牛先生遺教抄』『大学味講』等により学修することが大切だと思う次第です。
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『大学味講』(第8回)
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第一部 言 論 (経)
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第一章 三 綱 領
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大学の開巻第一に
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大学の道は、明徳を明らかにするに在り。
民に親しむに在り。
至善に止まるに在り。
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とあります。それを原文で書くと
明明徳(めいめいとく)
親民(しんみん)
止至善(ししぜん)
となりますが、これを古来「大学の三綱領」といっているのであります。
そこで、まず、この一つ一つについて、その意義を探究致したいと存じます。
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第一節 明明徳(明徳を明らかにする)
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(一) 「明徳」とは、そのものが生成し、活動する原動力をいうのでありまして、たとえていえば、電気機械における電源のようなものといってよいでありましょう。だから、「一切活動の源泉」とでも申しましょうか。「明らかな徳」とかなんとか砕かずに、「明徳」という大学の「術語」として取り扱うことと致したいと存じます。
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(二) その「明徳」を「明らかにする」とはどういうことか。一体「明」という字の古い形を見ると、次のようなものでありまして、「日」と「月」を並べたものではありません。考えてみても、日と月が並んだところで、格別明るさを増すというものではないでありましょう。そこでこれは一体何を書いたものであるかというと、左側の「目」は、窓の形なのであります。だから「明」という字は、窓に月の光がさしこんだ象(かたち)なのであります。
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思うに、真昼の明るいという意識をもたぬでありましょう。「明るい!」ということを意識するのは、暗い所にいて、そこに光がさしこんできた時の感じである、というのが「明」の字であります。
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『論語』(第107回)
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子曰はく、晏平仲は善く人と交わり、久しうして之を敬す。
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晏平仲は人と善く交際する道を心得ていた。人は久しく交際すると敬意の衰えるものであるけれども、晏平仲は始めから終りまで敬意を失わなかった。
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『禅とは何か』より
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道元が「学道の人は、後日をまちて行道せんと思うことなかれ。ただ今日今時をすごさずして、日々時時を励むべきなり。」(『正法眼蔵随門記』)といわれたことは、千古の名言といわねばならぬ。
かつて歌舞伎俳優であった八世市川団蔵さんは、追善興行が終って、、四国八十八カ所めぐりの旅にたたれ、それが終ると、帰路、瀬戸内海の潮のなかに、一人静かに、だれ一人にもみとられることなく、八十余年の生涯をおえられたのであったが、その時書き残された歌に、
「我死なば 人に迷惑かけるなよ 仏たのまず さらば地獄へ」
というのがあったが、そこには人とも頼まず一人静かに地獄へ行こうという徹底したすみきった境地が唄われている。頁88
今の芸能界でこういう人がいるでしょうか。野球選手も。今年の更改の年俸が8000万円少なかったといってボヤイテいる男が新聞に掲載されていましたが、真の人生とは何かを知らないと思ったことでした。
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この『禅とは何か』を購入したのが昭和59年6月4日となっています。爾来、肌身離さず持ち歩きました。私の分身でもあります。本はボロボロになっています。「礼節いろは言葉を書き終わりましたので、『禅とは何か』をご紹介したいと存じます。
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短歌の紹介
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人間を尊重しつつ行をせよ
愛語の実践努め人なら 6999 禅とは110