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味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

礼は夫婦を謹むに始まる。

2014-12-06 11:38:17 | ブログ
第2170号 26.12.06(土)
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礼は夫婦を謹むに始まる。『礼記』
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 夫婦間の日常のつつしみを忘れない。それが礼の始まりといってよい。
 夫婦こそ、最も親密な人間関係であり、それだけに、最も礼を失いがちなものだからである。274

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 【コメント】今朝の学問館は二家族と私6人で学びました。鹿児島の寒さをいったら荘内の皆様方に笑われるでしょうが、今朝は8度でした。西郷先生の漢詩を学修してから空手道のお稽古を致しました。
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 参加してくれた方々に『大学味講』をご紹介しました。皆が来る前に一人で『大学味講』を繙きました。十数年前に拝読した際、ところどころにサインペンで塗っているところを読み、菅原先生のお人柄に触れて喜び一入でした。
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 前のブログにも書きましたが、荘内南洲会前理事長・小野寺先生が、菅原先生は日本一の教育者だと言った言葉が彷彿として参ります。政治家はじめ全国の人々が大学味講を読み、活用してくだされれば日本の国はもっともっと良くなるであろうにと思うことしきりです。
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 総選挙がはじまって、それぞれの政党が他の党を中傷する言葉が踊っていますが、物言わぬ国民は黙って見て来ているのです。国民に金をバラマキ、そして平和もいいでしょが、精神も肉体も健全でなければならないと思います。
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 思うに、1.勤労精神が旺盛であること。2.勤勉であること。3.継続して行く精神の強固さを培うこと。4.自らを修養するため学び続けること。5.他人様を侮らないこと・親切心を持ち続けること。6.良い言葉を遣うこと。7.自らが挨拶をすること。8.節約・倹約すること。9.如何なることがあっても人様を殴らないこと。10.金銭欲・地位・名誉を求めないこと等々を心がけたいものです。
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 その為には、私がブログでご紹介してきた『臥牛先生遺教抄』『大学味講』等により学修することが大切だと思う次第です。

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『大学味講』(第8回)
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   第一部  言 論 (経)  
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 第一章 三 綱 領
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 大学の開巻第一に
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 大学の道は、明徳を明らかにするに在り。
 民に親しむに在り。
 至善に止まるに在り。
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 とあります。それを原文で書くと
    明明徳(めいめいとく)
    親民(しんみん)
    止至善(ししぜん)

となりますが、これを古来「大学の三綱領」といっているのであります。
 そこで、まず、この一つ一つについて、その意義を探究致したいと存じます。
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     第一節 明明徳(明徳を明らかにする)  
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 (一) 「明徳」とは、そのものが生成し、活動する原動力をいうのでありまして、たとえていえば、電気機械における電源のようなものといってよいでありましょう。だから、「一切活動の源泉」とでも申しましょうか。「明らかな徳」とかなんとか砕かずに、「明徳」という大学の「術語」として取り扱うことと致したいと存じます。
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 (二) その「明徳」を「明らかにする」とはどういうことか。一体「明」という字の古い形を見ると、次のようなものでありまして、「日」と「月」を並べたものではありません。考えてみても、日と月が並んだところで、格別明るさを増すというものではないでありましょう。そこでこれは一体何を書いたものであるかというと、左側の「目」は、窓の形なのであります。だから「明」という字は、窓に月の光がさしこんだ象(かたち)なのであります。 
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 思うに、真昼の明るいという意識をもたぬでありましょう。「明るい!」ということを意識するのは、暗い所にいて、そこに光がさしこんできた時の感じである、というのが「明」の字であります。
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『論語』(第107回)
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 子曰はく、晏平仲は善く人と交わり、久しうして之を敬す。
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 晏平仲は人と善く交際する道を心得ていた。人は久しく交際すると敬意の衰えるものであるけれども、晏平仲は始めから終りまで敬意を失わなかった。
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『禅とは何か』より
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 道元が「学道の人は、後日をまちて行道せんと思うことなかれ。ただ今日今時をすごさずして、日々時時を励むべきなり。」(『正法眼蔵随門記』)といわれたことは、千古の名言といわねばならぬ。
 かつて歌舞伎俳優であった八世市川団蔵さんは、追善興行が終って、、四国八十八カ所めぐりの旅にたたれ、それが終ると、帰路、瀬戸内海の潮のなかに、一人静かに、だれ一人にもみとられることなく、八十余年の生涯をおえられたのであったが、その時書き残された歌に、
「我死なば 人に迷惑かけるなよ 仏たのまず さらば地獄へ」
 というのがあったが、そこには人とも頼まず一人静かに地獄へ行こうという徹底したすみきった境地が唄われている。頁88
 今の芸能界でこういう人がいるでしょうか。野球選手も。今年の更改の年俸が8000万円少なかったといってボヤイテいる男が新聞に掲載されていましたが、真の人生とは何かを知らないと思ったことでした。
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 この『禅とは何か』を購入したのが昭和59年6月4日となっています。爾来、肌身離さず持ち歩きました。私の分身でもあります。本はボロボロになっています。「礼節いろは言葉を書き終わりましたので、『禅とは何か』をご紹介したいと存じます。
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短歌の紹介
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人間を尊重しつつ行をせよ
 愛語の実践努め人なら 6999 禅とは110

之れを敬せよ之れを敬せよ。

2014-12-05 12:56:57 | ブログ
2169号 26.12.05(金)
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之れを敬せよ之れを敬せよ。天は惟れ顕らかなり。命は易からざるかな。『左伝』
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 (つつし)むうえにも敬んでいくがよい。天の神の眼は明らかなものであるから、敬(けい)を失えばいつ天命が変わらぬとも限らぬ。(『詩経』周頌 敬之)254
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 【コメント】私ごとき凡人が天の理を知る由もありませんが、兎に角自らを修め、慎み、他人様には親切を尽くすことが出来ればと考えています。
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 お互いそのようにした方がより幸せになるような気が致します。
 
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『大学味講』(第7回)
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   二、原論(経)と解義(伝) 
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 (一) 本来、大学は前述の通り一編の文であるが、それを熟読してみれば、誰でもが感ずるであろうことは、始めの部分と、後半の部分とでは、その調子においては、はっきりとした相違を意味することであります。
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 このことについて、朱子は始めの部分を「経」とし、後半の部分を「伝」としたのでありますが、これはたしかに卓見だと思います。

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 (二) では「経」と「伝」とは何かといいますと、「経」というのは、織物の縦糸のことであって、始めから終りまで易えずに一貫していくものであるとことから、これを「不易」とか「不変」とかという意味に用い、「不易の道理」とか「不変の原理」とかという意味に用いられておるのでありまして、そういう内容を収めた書を、儒教では「経書」(けいしょ)といい、仏教では「経文」(きょうもん)といっているのであります。
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 これに対して「伝」とは、「経」の原理を一般の人々に伝えるためにする「解義」とか「解説」とかいうものでありまして、例えば本居宣長の「古事記」の解説を「古事記伝」といい、または「春秋」に対する左氏の解義を「春秋左氏伝」というようなのがそれであります。
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 (三) 朱子が前述のように、大学を「経」の部分と「伝」の部分に分けて研究したことは、確かに卓見だと思うが、しかし「伝」を十章にして、それに合わせるために、旧文には錯誤があるとして、自分の所見によって思い切って改修したことには、少しく行き過ぎがあったのではないかと思われるものがあります。
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 (四) そこで私は、「古本大学」に随って含味講究することと致しましたが、その「古本大学」においても、やはり「経」の部分と「伝」の部分とを一応分けて見る方がよいと思うので、
      第一部 言論(経)
      第二部 解義(伝)
の二部に分けることと致しました。

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 なお、本書の校正の時に気づいたことでありますが、原文の直訳というべきものがなくて、ただちに味講に入ったので、初めての人には多少の無理があるかも知れません。そこで各節毎に、最初の原文をよく読んで、それを心に留めて、その後に味講を読んでいたただきたいと思います。
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『論語』(第107回)
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 子、子産を謂ふ。君子の道四あり、其の己を行ふや恭、其の上に事ふるや敬、其の民を養ふや恵、其の使ふや義。
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 孔子が鄭の宰相であった子産(しさん)を私(ひそ)かにを評して言うには、「子産には君子たるの道が四つ備わっている。己の身を持する態度が実にうやうやしい。上の人に事えるには謹恪である。人民を養うのにこれを愛しこれを利する。人民を使役するのに、宜しきを得た道理にかなった使い方をする。子産はこの四つの徳を備えている。
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.「礼節いろはことば」「す」
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瑞相は 自ら起こせ 努力して。目出度いことは、自分の努力で勝ち取ろう。
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短歌の紹介
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行儀よくその身保ちて君に敬
 道理正しく人民に愛 6998 『論語』107

田ありて耕さざれば倉廩虚し。書ありて教えざれば子孫は愚かなり。

2014-12-04 10:33:31 | ブログ
第2168号 26.12.04(木) 
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田ありて耕さざれば倉廩虚し。書ありて教えざれば子孫は愚かなり。『古文真宝』
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 せっかく田地があっても、耕作しなければ穀類の倉庫も米の倉庫もなかは空である。
 同様に、いくら蔵書があっても、これを読むことを教えなければ、子孫は愚かになってしまう。

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 【コメント】『古文真宝』は、わが国では文の『文章規範』、詩の『唐詩選』とならんで、広く愛読されたということです。
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 学歴、能力無きためこれではいけないと思い読み続け、筆写し続けて30年が経過しました。兄弟が作家志望でその影響を多分に受けている頃『南洲翁遺訓』と出会い、双方から学んで参りました、
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 書棚に購入した本がいろいろ整理されていましたが、明日は読む、明日は読むと思いながらも、思いに火が点くというのは人それぞれであろうと思います。私の道場に通う門下生にはいろいろ伝授したいと考えています。

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『大学味講』(第6回)
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 (六) 例えば中江藤樹は十一才にして始めて大学を読み、「天子より庶人に至るまで、壱是に皆身を修むるを以て本となす」という一節に至り、深く感動して、「聖人、あに学んで至るべからざらんや」といって、涙下りて衣を沾(うるお)し、それより刻苦勉励、修養を積んで近江聖人と称せられるに至り、また荻生徂徠は十四才にして大学諺解によって独学し、一世の鴻儒となった等がそれであり、また二宮尊徳が柴刈る山路の往復にも身から離さなかった書も、この大学であり、随って二宮学の思想的根拠は、この大学にあるのであります。
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 (七) 「大学」は、以上のような書であるところから、この書についての研究も、古くから和漢古今、幾多の人々によって行われ、随って「朱子学」「陽明学」「古学」等の学派により、その解釈にも異るものがあるのであります。しかし、私はそれらを十分尊重しつつも、必ずしもそれらに拘泥せず、日常の現実に直結した実践の原理として、いうなれば「故きを温ねて、新しきを知る」とか、「故教、心を照らす」とかいう態度を以て、講究したい----そして、それはまたそのまま「新しきを以て故きを温ね」「今の心を以て故教を照らす」という態度を以て講究したい----と思うのであります。頁5
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『論語』(第106回)
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 子貢問うて曰はく、「孔文子は何を以て之を文と謂ふや。」子曰はく、「敏にして学を好み、下問を恥ぢず、是を以て之を文と謂ふなり。」
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 子貢が問うて言うのに、「孔文子はどうして文という美しい諡(おくりな)を得たのですか」。孔子が答えて言うには、「あの人は生まれつき利発でありながら学問に熱心で、目下の人に教えを乞うことを恥じとしなかった。この故に、文という諡を得たのです。」
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「礼節いろはことば」「せ」
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節義とは 人が行う道しるべ。堅い志で人世を邁進する、これ人の道である。
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短歌の紹介
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創業は人の骨力なくしては
 精神・気魄活かさざるなり 6997 最上設計
わが心 空虚を保ち 理を納め
 世俗物欲入り込む余地なし 翫習 菜根譚96
穢れたる 地こそ作物 実らすは
 天の理にして 垢も必と 翫習 菜根譚96 

人を玩べば徳を喪い、物を玩べば志を喪う。

2014-12-03 15:15:05 | ブログ
2167号 26.12.03(水)
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人を玩べば徳を喪い、物を玩べば志を喪う。『書経』
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 人間をあなどったり、からかったりすることは、結局自分の徳を失うことになり、物をあまりに愛玩しすぎることは、大切な道義の念を失うことになる。213
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【コメント】このような訓戒は漢籍の一貫した思想として解説されています。三千年來読み継がれてきている事実を見たらなるほどと頷けれられる筈です。賢明を自認する人は、静かに、穏やかに漢籍の世界を逍遥されるようご案内いたします。
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 総選挙が告示され選挙運動が開始されましたが、政権を担っても大したことも出来ない人たちがオオボラを吹いています。そういう人びとにはそのうち天の制裁が始まるのです。
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 そして紅白歌合戦に贔屓する人が出なかったからと言って、NHKに対して大変なクレームを言っているオワライ人間がいますが、己の存在をオワライされていることは存じ得ないようです。

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 つい先日から『大学味講』をご紹介することにしました。『大学味講』をご紹介しながら、15年前に購入した『農士道』も読み返しています。
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『大学味講』(第5回)
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    ま え が き 
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   一、「大学」とはどんな書か
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 これから「大学」の講究を致しますが、現在多くの人々は「大学」といえば、高校を卒業して入る何々大学のことと思うでありましょうが、ここで学ぼうとする「大学」は、それとは違って「大学」という書物をいうのであります。ではその「大学」とはどんな書であるのか、まずそれから取り上げることと致しましょう。
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 (一) 「大学」は「中庸」「論語」「孟子」と共に「四書」といわれ、そして「五経」----書経、詩経、易経、春秋左氏伝、礼記の五書----と共に「四書五経」として、古来儒教の基本的経典とされてきたものであります。
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(二) その四書五経の最初の書が、この「大学」でありまして、その故に儒教を学ぶ者においては、入門第一にこの書を読んだものであり、昔の人々は、たいてい七、八才でこれを読んでおるのであります。
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(三) 「大学」とは一体何を意味するのか。これについてはいろいろの説がありますが、「大人の学」と理解することと致したぃと思います。
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 「大人」とは、年齢的に大人であるというだけでなく、地位的にも人の上に立って、それを指導する立場に在る人をいうのであります。随ってこの書の内容は、己を修め、人を治むる道ー即ち「修己治人」の根本原理ーを示したものであります。
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(四) この書は元来「中庸」と共に、「五経」の中の「禮記」の一篇としてあったものでありますが、それを宋の司馬光が抜き出して単行本としたものでありまして、これに論語、孟子を加えて、前述の通り「四書」としているのであります。
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(五) この四書がわが国に渡来したのは、鎌倉時代に元の僧侶達が来朝した時であるとされております。そして僧玄恵が初めて後醍醐天皇に進講してから、漸く世に行われるようになり、そして徳川時代になると、幕府の奨励のもと、諸藩の学校でこれを教本として用いたので、全国に普及したのであります。特に「大学」は、初めて学に就く児童にも教科書として用いられたので、この書が道縁となって大成した鴻儒も少くありません。
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『論語』(第105回)
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 子路聞くことありて未だ之を行ふこと能はざれば、惟聞くことあるを恐る。
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子路は孔子から教えを聞くと、必ずこれを実行しようと志しておったので、一つの善言を聞き、教えを聞いて、まだそれをよく実践しないうちは、更に新しい教えや善言を聞くことを恐がった。
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「礼節いろはことば」「も」
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目標を 決めてすすめよ 我が道を。目標を決め、成就するまでその道を進もう。
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短歌の紹介
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自主自立これを仏教見性と
 論語修己命知ると言う 6996 果報125

徳に常師なし、善を主とするを師と為す。

2014-12-02 10:37:24 | ブログ
第2166号 26.12.02(火)
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徳に常師なし、善を主とするを師と為す。『書経』
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 道徳上の問題には、定まった師というものはない。だれでもよいが、ただ善を主とする人を師とした方がよい。206
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 【コメント】稚拙ながらブログを書くことを日課とし、そして子どもたちに空手道と『南洲翁遺訓』を教えている関係上、お蔭さまで元気であります。
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 俳優の菅原文太さんがなくなりました。晩年は俳優業を止め、命の大切さの運動をしていたということであります。今の日本国で戦争を望む人は皆無であろうと思います。
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 戦争をしてはならないが、平和運動だけで世の中よくなるとは思われません。平和、平和と叫んできたお蔭で、子どもたちの長幼の序のマナーは全くなく、これほど悲しいことはないでありましょう。だから私は、文武両道を通じて、人生に処する心構えと人様を大切にする指導をささやかながら続けているのです。
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 そのお手本は『南洲翁遺訓』刊行の地・荘内にあるのです。
 
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『大学味講』(第4回)
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   この書の刊行について
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 私がはじめて本格に大学にくいついたのは、長野にいた昭和の初めのことである。厳冬の一夜、大学一冊をふところにして山寺の一室に孤坐し、夜を徹して一生懸命に精読し、熟読し、味読し、必読して、畢竟「三綱領は一つである」というところにたどりついたのであった。その時の所見の摘要が、当時の金雞叢書として刊行された「大学の農道的味読」であったのである。
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 そんなわけで、「大学」は私にとっては「古事記」と共に、私の人生を培ってくれた二つの古典であり、菅谷の日本農士学校においても、ここ東北振興研修所においても、私は馬鹿の一つおぼえのように、この大学か古事記かを講じ、そのたびに何ものかを発見してきた。そして最近は「亦楽会」という熱心な経営者達の会員と共に、毎月一回この大学の講究と、それに伴う相互の事上研鑚を楽しみ、そしてその要領を耕心誌に掲載して、足かけ四年に及んだのである。ところがそれが一般の道友の間からも強い共鳴があり、その要望によって、今回それを補修してこの書を刊行することとなったのである。
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 こういうわけで「あとがき」にも書いたように、激動期のこの四年間に、各方面の実際家達との切磋の間に行われた「大学味講」であるから、一般の学究とは趣を異にするものがあり、あるいはそれが、時によって観点や調子に影響したこともあろうが、しかし、それにはまたそれの趣もあるであろうことを諒せられたい。
 以上のような次第で刊行されることになったのであるが、それはひとえに道友緒彦の誠意にささえられてのものである。今年八十一歳の「半寿」を迎えた老生として、特にこのことを痛感して深く道恩に対する感動を禁じ得ないものがある。そしてまた「半寿」なのだから、大学の探究もこれで半分であり、あとの半分はこれからだという、新たな感興も湧いてくるのである。
          昭和五十四年春
                               菅原兵治
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『論語』104回
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 子貢曰はく、夫子の文章は得て聞くべし。夫子の性と天道とを言うは得て聞くべからず。
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子貢がいうには、「先生の御徳は一言一行の上で常に拝聴拝見し得たが、先生の人生論と天道論について語られることは極めて稀で、容易に聞くことができない。
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「礼節いろはことば」「ひ」
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品格は 人にも町にも 国家にも。品位・気品は人にも町にも国にも必要である。
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短歌の紹介
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希望の灯高く掲げて何ものも
 恐れず信念活力もちて 6995 自助論117