第2165号 26.12.01(月)
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自ら其の適を適とす。『荘子』
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人は、自分のほんとうの心に適したものを適として求むべきである。
他人の毀誉(きよ)によって自分が悲しみ、かつまた自分が喜ぶというのは賢明ではない。
自適ということが真人のほんとうの姿である。351(解説一部修正
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【コメント】私自身の自適は『南洲翁遺訓』を子どもたちに教えることだと思っています。75年生きて来てこれほど素晴らしいものはないと確信するからです。『南洲翁遺訓』他漢籍を渉猟した先にある姿が「人格の形成」であるからです。
私が『南洲翁遺訓』を子どもたちに解説する内容は、今まで『南洲翁遺訓』を論じた人々が凡そ考察の中にない独特のものであります。
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政治経験もない私が、政治のことを論じたら「お前、馬鹿か」と言われないものでもないからです。『南洲翁遺訓』の原文は一文字も変えないが、子どもたちが理解しやすいようにと考えているのです。
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『大学味講』(第3回)
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「大学章句」と「古本大学」
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現在一般に読まれている「大学」は朱子の「大学章句」である。朱子(1130-1200)は宋代の大儒であるが、大学を「経一章」と「伝十章」に分ち、そしてそれに合わせるために、旧本の文には誤脱や錯簡があるとして、随分思いきった語句の入れ換えや、自分の見解による補修を行っているのである。その後中国においても、わが国においても、朱子の学が一世を風靡したので、大学といえば、朱子の「大学章句」とされてきたのである。
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ところが、それから約三百年の後、明の王陽明(1472-1528)が、礼記の中にある「古本大学」の方が正しいとして、これを顕章したのであるが、当時の人々は、朱子の「大学章句」の外に、別に「古本」のあることを知らなかったといわれている。随ってこのことはわが国においても同じことで、徳川時代は朱子学を以て官学としたので、当時はもちろんそうであり、明治以後に至っても、「大学」といえば朱子の「大学章句」とされてきたのである。
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随って私も初めは「大学章句」から入ったのであるが、その後安岡(正篤氏のこと)先生の陽明学的学風の中で探究を進めているうちに、あまり作為的に細分化しない「古本大学」に引かれるようになり、かくて本書においても「古本大学」を原典として用いることとしたのである。
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それに縁というものは不思議なもので、ここ庄内の藩校致道館の学問が、荻生徂徠の流れを汲む古学派的のものであるところから、珍しくもその教本に「古本大学」が用いられ、現にその版本と共に、その学派も存していて、大いに参考になったことである。
しかし、だからといって強いて「大学章句」を排撃しようなどいうのではなく、素直に「古本大学」によって、本源にさかのぼって生きた講究を進めようというのである。そういう意味で、容易に入手出来るであろうから、「大学章句」もぜひ一読されるようおすすめしたい。
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今回ご紹介する私は、「大学章句」から先に学んだのでした。
『臥牛先生遺教抄』は100回で終わりました。今回書き始めました「大学味講」は500回位になるかも知れません。ということは何が何でも500日は生きると思っています。途中でやめたら、大天罰がくるでしょうから。
私同様、お年を召した方で、長生きのためブログを書いてみませんか。
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『論語』103
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子貢曰はく、我、人の諸(これ)を我に加ふるを欲せざるや、吾も亦諸を人に加ふること無きを欲す。」子曰はく、「賜や、爾の及ぶ所に非ず。」
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子貢が「私は、人が自分に対してしてくれては困ると思う事を、自分も亦人に対してしたくないと考えています、と言った。孔子が言うには、「それは結構なことだが、中々むつかしい事で、まだまだお前などの及ぶところではないぞ。」
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「礼節いろはことば」「え」
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笑顔とは 人の眺める 我が姿。笑顔は、人々からも信頼の眼が寄せられる。
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短歌の紹介
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器量とは人を包容是非見分け
使いこなすが大器量人 6994 『果報』183
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自ら其の適を適とす。『荘子』
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人は、自分のほんとうの心に適したものを適として求むべきである。
他人の毀誉(きよ)によって自分が悲しみ、かつまた自分が喜ぶというのは賢明ではない。
自適ということが真人のほんとうの姿である。351(解説一部修正
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【コメント】私自身の自適は『南洲翁遺訓』を子どもたちに教えることだと思っています。75年生きて来てこれほど素晴らしいものはないと確信するからです。『南洲翁遺訓』他漢籍を渉猟した先にある姿が「人格の形成」であるからです。
私が『南洲翁遺訓』を子どもたちに解説する内容は、今まで『南洲翁遺訓』を論じた人々が凡そ考察の中にない独特のものであります。
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政治経験もない私が、政治のことを論じたら「お前、馬鹿か」と言われないものでもないからです。『南洲翁遺訓』の原文は一文字も変えないが、子どもたちが理解しやすいようにと考えているのです。
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『大学味講』(第3回)
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「大学章句」と「古本大学」
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現在一般に読まれている「大学」は朱子の「大学章句」である。朱子(1130-1200)は宋代の大儒であるが、大学を「経一章」と「伝十章」に分ち、そしてそれに合わせるために、旧本の文には誤脱や錯簡があるとして、随分思いきった語句の入れ換えや、自分の見解による補修を行っているのである。その後中国においても、わが国においても、朱子の学が一世を風靡したので、大学といえば、朱子の「大学章句」とされてきたのである。
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ところが、それから約三百年の後、明の王陽明(1472-1528)が、礼記の中にある「古本大学」の方が正しいとして、これを顕章したのであるが、当時の人々は、朱子の「大学章句」の外に、別に「古本」のあることを知らなかったといわれている。随ってこのことはわが国においても同じことで、徳川時代は朱子学を以て官学としたので、当時はもちろんそうであり、明治以後に至っても、「大学」といえば朱子の「大学章句」とされてきたのである。
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随って私も初めは「大学章句」から入ったのであるが、その後安岡(正篤氏のこと)先生の陽明学的学風の中で探究を進めているうちに、あまり作為的に細分化しない「古本大学」に引かれるようになり、かくて本書においても「古本大学」を原典として用いることとしたのである。
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それに縁というものは不思議なもので、ここ庄内の藩校致道館の学問が、荻生徂徠の流れを汲む古学派的のものであるところから、珍しくもその教本に「古本大学」が用いられ、現にその版本と共に、その学派も存していて、大いに参考になったことである。
しかし、だからといって強いて「大学章句」を排撃しようなどいうのではなく、素直に「古本大学」によって、本源にさかのぼって生きた講究を進めようというのである。そういう意味で、容易に入手出来るであろうから、「大学章句」もぜひ一読されるようおすすめしたい。
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今回ご紹介する私は、「大学章句」から先に学んだのでした。
『臥牛先生遺教抄』は100回で終わりました。今回書き始めました「大学味講」は500回位になるかも知れません。ということは何が何でも500日は生きると思っています。途中でやめたら、大天罰がくるでしょうから。
私同様、お年を召した方で、長生きのためブログを書いてみませんか。
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『論語』103
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子貢曰はく、我、人の諸(これ)を我に加ふるを欲せざるや、吾も亦諸を人に加ふること無きを欲す。」子曰はく、「賜や、爾の及ぶ所に非ず。」
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子貢が「私は、人が自分に対してしてくれては困ると思う事を、自分も亦人に対してしたくないと考えています、と言った。孔子が言うには、「それは結構なことだが、中々むつかしい事で、まだまだお前などの及ぶところではないぞ。」
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「礼節いろはことば」「え」
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笑顔とは 人の眺める 我が姿。笑顔は、人々からも信頼の眼が寄せられる。
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短歌の紹介
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器量とは人を包容是非見分け
使いこなすが大器量人 6994 『果報』183