第2180 26.132.16(火)
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童牛の牿は、元吉なり。『易経』
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子牛の角に横木をつける。それは吉事の基である。
牛の角による被害を防ぐには、その角がまだやわらかいうちに、矯(た)めておく必要がある。
悪癖は子どものうちに直しておかなければならないとのたとえ。
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【コメント】上の『易経』の言葉は大変大事なことであります。子どもは何も分からず、何でもやってしまいがちです。だから、幼い時、していいことと、してはならないことは教えなければならないのです。偏差値向上よりもそちらを優先すべきだと思います。
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先般、通勤電車内で、33歳の男性会社員が女性のお尻に触ったということでした。運が悪かったのか、触られた女性が兵庫県警の21歳の女性警察官であり、チカンですね、と言って、触った手を握って上に上げたそうです。いわゆる現行犯逮捕をされたわけです。
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また、26歳の学校の先生が、女生徒たちの着替えをするところをカメラに収め、インターネットに乗せたとのことです。そういうことをしたら、折角の人生が、全く駄目になってしまうのです。思うに、学校で道徳教育を徹底すべきだと思うのですが、私の考えはおかしいでしょうか。私は道場に御稽古にくる子どもたちが、人生をあやまらないよう厳しく指導しているのです。
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『大学味講』(第18回)
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現に、私どもが、何事かに熱中して、その理想達成のために懸命の努力を続けている時には、意識するとせざるとは別として、必ずこの三綱領的状態になっていることは、誰でもが自覚するところでありましょう。
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かくてこの三綱領は、私どもが真剣な精進の生活をしている時の、ありのままのすがたを、三つの部面から見たむもの----いうならば、一人の人のすがたを三面鏡に写した、三つの映像みたいなもの---であって、三にして一、一にして三なる、三位一体的のものであり、それは決して別々のものではなく、同時存在的のものであります。
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後に出て来ますが、「身が修まる」「修まった身」という「修身」とは、われわれの心身が、この三綱領的状態にあるのをいうのでありまして、大学では、これが一切活動の「本」であるとするのでありますが、そのことは、「八条目」のところで詳しく講究することと致しましょう。
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『論語』(第118)
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子曰はく、巳んぬるかな。吾未だ能く其の過ちを見て内に自ら訟むる者を見ず。
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孔子が言うには、「駄目じゃのう。わしはまだ、自分で自分の過ちを発見して自分で自分を責める者を見たことがない。
. 選挙が終わり、負けた人々は、力が及ばなかったといっていますが、政策といろいろ進め方が稚拙だと私は思います。民主党の代表をレンホウ女史にすればよかったという議論もありますが、それでもダメなのです。
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『農士道』(第3回)
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病気の手当はゆきとどいても、腎臓や胃腸の慢性病は増加する。體格肉附きは好くなっても神経はいたいたしくなり、風采態度は快活明朗でも、薄志弱行、事に堪へぬ者が多くなる。歴史は文明衰亡史であり、それは先ず都市に於て化膿する致命的膿物を発見するを常とする。文明都市は實は素朴健全な農村生命を栄養として発育し、誤って之を酸敗せしめるのである。農村を如何に健全にし、天眞を発揮せしめるかは、實に民族国家永遠の根本問題である。余は農村に三種の住人あるべきだと思う。
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第一は、未だ都市文明に馴染まない純朴な山野の民である。
第二は、都市文明の落伍者である。
第三は、都市文明に馴染みきれぬ剛骨を持ち、人の世の煩はしさ厭はしさを出来るだけ避けて、叡智と純情とを守りつつ、自由を好み、最も深く山野を愛し、山野を知る人である。單に人といふより、かういう人をこそ士といふべきである。
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短歌の紹介
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7009
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童牛の牿は、元吉なり。『易経』
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子牛の角に横木をつける。それは吉事の基である。
牛の角による被害を防ぐには、その角がまだやわらかいうちに、矯(た)めておく必要がある。
悪癖は子どものうちに直しておかなければならないとのたとえ。
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【コメント】上の『易経』の言葉は大変大事なことであります。子どもは何も分からず、何でもやってしまいがちです。だから、幼い時、していいことと、してはならないことは教えなければならないのです。偏差値向上よりもそちらを優先すべきだと思います。
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先般、通勤電車内で、33歳の男性会社員が女性のお尻に触ったということでした。運が悪かったのか、触られた女性が兵庫県警の21歳の女性警察官であり、チカンですね、と言って、触った手を握って上に上げたそうです。いわゆる現行犯逮捕をされたわけです。
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また、26歳の学校の先生が、女生徒たちの着替えをするところをカメラに収め、インターネットに乗せたとのことです。そういうことをしたら、折角の人生が、全く駄目になってしまうのです。思うに、学校で道徳教育を徹底すべきだと思うのですが、私の考えはおかしいでしょうか。私は道場に御稽古にくる子どもたちが、人生をあやまらないよう厳しく指導しているのです。
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『大学味講』(第18回)
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現に、私どもが、何事かに熱中して、その理想達成のために懸命の努力を続けている時には、意識するとせざるとは別として、必ずこの三綱領的状態になっていることは、誰でもが自覚するところでありましょう。
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かくてこの三綱領は、私どもが真剣な精進の生活をしている時の、ありのままのすがたを、三つの部面から見たむもの----いうならば、一人の人のすがたを三面鏡に写した、三つの映像みたいなもの---であって、三にして一、一にして三なる、三位一体的のものであり、それは決して別々のものではなく、同時存在的のものであります。
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後に出て来ますが、「身が修まる」「修まった身」という「修身」とは、われわれの心身が、この三綱領的状態にあるのをいうのでありまして、大学では、これが一切活動の「本」であるとするのでありますが、そのことは、「八条目」のところで詳しく講究することと致しましょう。
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『論語』(第118)
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子曰はく、巳んぬるかな。吾未だ能く其の過ちを見て内に自ら訟むる者を見ず。
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孔子が言うには、「駄目じゃのう。わしはまだ、自分で自分の過ちを発見して自分で自分を責める者を見たことがない。
. 選挙が終わり、負けた人々は、力が及ばなかったといっていますが、政策といろいろ進め方が稚拙だと私は思います。民主党の代表をレンホウ女史にすればよかったという議論もありますが、それでもダメなのです。
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『農士道』(第3回)
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病気の手当はゆきとどいても、腎臓や胃腸の慢性病は増加する。體格肉附きは好くなっても神経はいたいたしくなり、風采態度は快活明朗でも、薄志弱行、事に堪へぬ者が多くなる。歴史は文明衰亡史であり、それは先ず都市に於て化膿する致命的膿物を発見するを常とする。文明都市は實は素朴健全な農村生命を栄養として発育し、誤って之を酸敗せしめるのである。農村を如何に健全にし、天眞を発揮せしめるかは、實に民族国家永遠の根本問題である。余は農村に三種の住人あるべきだと思う。
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第一は、未だ都市文明に馴染まない純朴な山野の民である。
第二は、都市文明の落伍者である。
第三は、都市文明に馴染みきれぬ剛骨を持ち、人の世の煩はしさ厭はしさを出来るだけ避けて、叡智と純情とを守りつつ、自由を好み、最も深く山野を愛し、山野を知る人である。單に人といふより、かういう人をこそ士といふべきである。
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短歌の紹介
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