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味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

心を治め身を脩むるは、飲食男女を以て切要と為す。

2014-12-21 11:55:58 | ブログ
2185号 26.12.21(日)
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心を治め身を脩むるは、飲食男女を以て切要と為す。『小学』
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 精神を治め、一身を修めていくうえにいちばん大切なことは、日常の飲食を慎み、男女の関係を慎むことである。(胡安国がその子に教えたことば)310
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 【コメント】連日漢籍の言葉等々をご紹介していますが、至らない私への戒めと捉えています。元気ざかりの若い時代を振り返り反省すること頻りです。
 普通、会社員・大人になったら、話題が、飲む・打つ・買うの方へいってしまいがちです。先輩や友人にそそのかされ遊び呆けた時代がありました。それでも24時間体制での仕事はやり続けました。今の私のように、自らが学び、世の為、人の為、子どもたちのために命がけで取りくんでいる人は少ないのではないでしょうか。
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 だから、空手道指導の際、『南洲翁遺訓』を教材として子どもたちに、理解しやすいように、人の世に処する術を話しています。
 昨夜は空手道稽古の際、道場の音がうるさいと言って、隣の住人に怒鳴り込まれましたが、何があっても、おだやかに冷静に対応することにしています。どんな獰猛な人間も一人で刃傷沙汰はできないのです。常識、良識の範囲を逸脱した場合、天の制裁があるのです。
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 いろいろなスポーツの分野では、金になること、勝利へのことしか眼中にないような気がします。幸いにして、日本一の教育者だとされた菅原兵治先生らの訓戒を学ぶ機会に恵まれましたので、今の子供たちに紹介したいのです。

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『大学味講』(第23回)
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 即ち「定」「静」「安」「慮」の四つは時間的には同時存在なのでありまして、それはあたかも、コマが精一ぱいに廻っている時には、定であり、静であり、安であるように、私どもが「至善」に向かって、わき目もふらず真直に精進している時の姿が、そのままそれなのであります。これは、少なくもその体験のある人ならば、誰しもが納得出来ることでありましょう。
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 だからこの「而る后」は、時間的の「而る后」としてではなく、論理的の「而る后」として解すべきもので、例をあげれば、私どものからだでいえば、頭と、胴と、腹と、手と、足とあるが、それは同時存在のものなのであります。しかし、これを説明する場合には、同時には出来ませんから、やむを得ず「頭の次に胸があり、その次に腹があり、その次に手足がある」というように説明せねばならぬようなものだ、と受け取ってよいでありましょう。頁25

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『論語』(第123)
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 子、弓を謂って曰はく、「犂牛の子、騂うして且つ角あらば、用ふること勿らんと欲すと雖も、山川其れ諸を舎てんや。」
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 孔子が弟子の仲弓を評して「犂牛(まだらうし)は犠牲(いけにえ)として神を祭る時に用いることはできないけれども、その生んだ子が毛色が赤くて角が完全ならば、犠牲を選ぶ人が、親牛がわるいから、犠牲に用いまいとしても、山や川の神は必ず捨てないでこれを受けるであろう。」と言われた。
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 これは父が賤しくて行いが悪くても、その子の善を廃することはできないから、仲弓のような賢徳ある者は、世に用いられるであろうという意味を譬えによって述べたのである。

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『農士道』(第8回)
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 一、従来の農村問題に関する研究は、一事々々に就いてのそれは随分精細に行われてゐたが、農の生活全面に渉って、一貫の原理を以ての考察が欠けて居ったやうに思ふ。本書の所述は仮令粗硬の憾みはあるにせよ、終始、一貫の原理によって各問題を究明し了したつもりである。
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 二、吾々日本人は今や大きく東洋の----之を通して世界の----自覚に立つべき時である。日本精神は其の本質に於て徒に偏狭なる独善に陥るものではない。一切を摂って之を道によって鼎新して行く力こそ大和心たる日本精神である。かくて本書所論の資料は努めて廣く之を東洋先哲の學に仰ぐこととした。
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 三、「哲人の如く考へ、野叟の如く語る」といふ語があるが、本書の叙述は師友よりの懇な注意もあったので、努めてしかすることに意を用いた。その為に余儀なくされた冗長な點は恕されたい。

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短歌
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わからずも漢籍読みて書き写せ
 年月重ね宝なるなり 7014

人の道を為して人に遠きは、以て道と為すべからず。

2014-12-20 11:06:26 | ブログ
第2184号 26.12.20(土)
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人の道を為して人に遠きは、以て道と為すべからず。『中庸』
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 人が道徳を行っても、その行い方が人情に遠ざかっているようなものであれば、それは真の道ではない。(孔子のことば) 道は人間とともにあるものだからである。156
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 【コメント】師走になり、何かと多忙を極めています。師が走るからということなのでしょうね。
 さて上の原文について〈道と為すべからず〉とありますが、〈道というべからず〉とした方がいいように思うのですが、如何でしょう。

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『大学味講』(第22回)
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 (三) 定、静、安、慮は同時存在
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 「止まるを知り」から、「而る后」「而る后」として、「定」「静」「安」「慮」の四つを経て「能く得」に至るのでありますが、さてこの「而る后」をどう受け取ったらよいであろうか。これはこの次の八条目にも出てくる語ですから、ここで一応の吟味をしておきたいと思います。「而る后」というと、一般では時間的の「後」と考えやすく、従って、まず「定まる」が出来て、その後に「静かなり」が出来、「慮る」が出来るものとしやすいものであります。
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 現に私なども、ここをぶち破るには相当に苦労したのでありますが、この「而る后」は時間的の「而る後」ではなく、論理的の「而る後」として解すべきものであります。

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『論語』(第122)
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 子華、斉に使いす。冉子、其の母の為に粟を請ふ。子曰はく、「之に釜を与えよ。」益を請ふ。曰はく、「之に庾を与へよ。」冉子之に粟五秉を与ふ。子曰はく、「赤の斉に適くや、肥馬に乗り、軽裘を衣たり。吾之を聞く、『君子は急を周ひて富を継がず』。」と。原思、之が宰となる。之に粟九百を与ふ。辞す。子曰はく、「毋れ、以て爾が隣里郷党に与へんか。」
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 子華が斉に使節として行ったとき、冉求が、留守居の其母に扶持米を與へてください、とお願いした。すると孔子が『五六升やったらよかろう』と言われた。『それではすくな過ぎますから、今すこし増してください。』と重ねてお願いしたので、『それでは一斗五升與へるやう。』と言った。
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 しかるに冉求は自分のはからいで、七石餘も與えた。そこで孔子が、『赤が斉に使するに、肥えた馬に乗り軽い毛ごろもをきるという大した支度で出かけた。それくらいなら留守宅の用意も出来ている筈である。「君子は急場を救うが富のつぎたしはせぬ。」という諺を聞いたことがあるが、お前のやり方は「富めるを継ぐ」というものじゃ。』とさとされた。
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 又孔子が魯の大夫になられたとき、門人の原思を執事に採用して俸禄米九百を與へることにしたところ、原思は、『多過ぎます』と辞退した。孔子は言うには、『遠慮するな。多すぎるなら隣組に配給するなどもいいではないか。』
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『農士道』(第7回)
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 そして又苟も道たる以上、單なる知識や理論ではない。随って其の参究には、知と共に行、証と共に修を以てせねばならぬものである。幸、此の日本農士学校の経営に従ひつつある私は、敬慕する鎌倉武士畠山重忠の城跡たる由緒深き此の校地に於て、師友と與に、各地より清集の健兒の育英と、二十餘町歩の農場の仕事とに直接しつつ日夕してゐることは、得難くも尊い其の修行であり得たことである。
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 かくて開校前の研究は、此の修行によって、更に絶えず鉗槌せられ、叱正せられ、補修せられて、其の刊行といふやうな心は、今までは何とすすめられても起り得なかった。然るに、帰郷せし當校出身者も漸く家郷の齊治に當るやうになり、それに一方各地同人からの切なる勧めもあるので、今回其の原理的部面の肝要を編して上梓することにしたのである。
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 昔の漢字で大変難解なものもあり、ひと文字探すのに一時間かかることもあります。何が何でも書かないと、学問の都・荘内の先生方に笑われますので、自らを鼓舞して頑張っています。
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 年老いてから書く、読むという作業は基本的に呆け防止になると思います。ボケたくない人は、ご一緒にやってご覧になりませんか。とっても楽しいです。
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 昨日、『実践鹿児島さくら読書会会員誌』 「さくら島」通信 第44号をご恵贈賜りました。一部転載致します。
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 〇人間形成の主な三つの要素
 一、先天的なもので、その人の生地(きじ)ともいうべき遺伝的な素質。
 二、「師」すなわち卓れた指導者について、その指導をうけること。
 三、逆境の試練が必要。
 〇人間的な甘さとは、
 一、自分自身を実際以上に買いかぶる。
 二、他の人の真価が正しく評価できない。
  とかく人間は自惚れ心をもちやすいものですが、それを徹底的に除いてくれるのが「逆境の試練」というものであります。

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「読書の傍線」     寺田一清
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 先生は読書の際の傍線の引き方一つにも、独特の型を持って対処しておられました。エンピツも三菱鉛筆に特注され、赤・黒・の半々のものを利用されていました。傍線の引き方としては、(一)の点線、(二)の直線、(三)赤の点線、(赤)の直線を引くということです。
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 また車中の読書は乗車して一分以内に始めるように心がけ、二分以内に読みださないならば衰えた証拠であるから要注意と自己判断されていたようです。
 なお読書購入の注意としては、一度に一冊に限ると言われ、同時に二冊、三冊と求めないのを原則とされ、私どもにもご注意くださいました。なお購入した書物は、帰宅するまでに社内もしくは車中にてすぐさま二、三十ページを読了されました。すなわち即今着手、切り込んでおくことが何より肝要であるということです。そうでないと、入手しただけで安心して放置したままになりがちであるとのことでした。

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 なお、書籍購入の際の注意とて、一冊を手にして随意に三カ所を見開き、そのつど感動すべき語句に接しないならば、自分にとって縁なき書物とあきらめるがよかろうと実に細やかなご注意をいただきました。
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 要するに、読書は書物の選択を誤らぬのが根本第一義であると強調されたのです。しかし、そうした鑑識眼を身につけること自体容易ならぬことで、一種の人生修行と言ってもよいとの仰せでした。
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 さて人文・精神の学において、真の良書とはいかなるものをいうのでしょうか。これについては先生はこう仰言っています。「それは読む者をして深い感動を与えるような書物と言ってよかろう。しかし読者に深い感動を与えるためには著者自身が内に深い生命の感動を持っていなければならぬとは理の当然であろう」と。『森信三の生き方信條』より転載。(次号にも転載します。読書会の皆様は真面目な方々ばかりです。)
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短歌
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椅子座り一分以内に本開き
 活字読まずば死んだも同じ 7013 博庵語録

王者は天地の私心なきが如し。

2014-12-19 15:27:45 | ブログ
第2183号 26.12.19(金)
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王者は天地の私心なきが如し。『近思録』
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 王者の心は一毫の私心もない。たとえば天地のあまねく万物を化育しているのに似ている。(程明道のことば)302
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 【コメント】上の言葉を読んで西郷南洲翁を思い出しています。何の取り得もない私ですが、漢籍を繙き歴史的偉人哲人の生き様に学んでいます。
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菅原兵治著『大学味講』(第21回)
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 次に慮る(おもいはかるの音便)とは「思」よりも一段と深くおもうことで、そのものの是非善悪を判断して、取捨を決することであります。私どもがある事に直面して、その事を取るか、捨てるかを決するためには、その止まるべき志を確立し、それに対して惑うことなき、「安定」「安静」の態度を保っておらねばなりませんが、そうした態度で努力し続けておれば、自然とその止まる所の至善に到達して、それを実現することを得るのでありまして、これが即ち「能く得」なのであります。 
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「止まるを知る」は志に対する知的把握であります。「能く得」は、それに対する行的努力を積んだ結果としての念願の達成であり、事実の把握であります。身体を丈夫にせねばならぬ、というのは「止まるを知る」であります。それに対して倦まず、たゆまず、養生し、鍛錬した結果として、見違えるような丈夫な身体になることを得たのは「能く得」であります。随って、「止まるを知る」の終りまでには、人方ならぬ努力を要するのであります。
 (仏教でいう「禅定」というのも、これに相通ずるものがありましょう。)頁24

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『論語』(第121)
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 哀公問ふ。「弟子孰か学を好むとなす。」孔子対へて曰はく、「顔回といふ者あり。学を好む。怒りを遷さず。過ちを弐たびせず。不幸短命にして死す。今や則ち亡し。未だ学を好む者を聞かず。」
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 魯の君の哀公が「弟子たちのうちで心から学問を好む者は誰か」とお問いになった。孔子が対えて曰はれるには、「顔回という者がありまして、心から学問を好みました。よく克己の修養を積んで、甲に対する怒りを乙に移すようなことはなく又前に過ったことを後に再度繰り返すようなことはありません。誠に学問を好むものでありましたが、不幸にも短命で死にまして、今は弟子の中に学問を好む者はおりません。まだ天下に学問を好む者のあるのを聞きません。」
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『農士道』(第6回) 自序
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 此書を刊行するに當って、私にとっては忘れ難き追憶が伴ふ。
 もう十幾年かになる。近鶏精舎浄窓の下に、寂かに東洋先哲の學に浸りつつ、農村生活に何とかして深い証悟を得たいと念ひ続けてゐた時であった。偶々秋の一夜、池畔の石上に孤坐して、寒水に落つる星影に見入ってゐた瞬間、不図心耳に囁かれたのが、「農士道」の藾であった。
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 それは、其の時の私にとっては、實に天藾と思はるるうれしさであった。それから十幾歳を経た。其の間、此の「農士道」は漸次に成長し續けて来た。そして此処菅谷の荘に日本農士學校が創立せられてからでも早や八周年になる。
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 農士道とは、一部の人々に曲解せられてゐるような、徒に形の上で武士の真似事をする百姓になることではない。そは一言にしていへば、東洋道徳の精髄たる「士道」を、農的生活の中に實現せんとするの道の謂である。

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短歌
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正直な手段で金得て倹約し
 誘惑負けず人生挑め 7012 自助論172

賢者は理に順いて安んじ行なう。

2014-12-18 13:14:11 | ブログ
第2182号 26.12.18(木)
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賢者は理に順(したが)いて安んじ行う。『近思録』
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 賢者は、何事でも道理に従って、しかもその理に安んじて事を行う。行うところはとくにつとめなくても、自然に正しい。300
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 【コメント】一日一日が早く過ぎてしまいます。ただ誠実にやっているのですが、大して目に見えません。
 今朝、枕崎に行ってきました。往復の道々、天風師『盛大な人生』を聞いてきました。7年前に録音したものです。

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 とにかく人間は正直でなければならないと訓戒しています。
 昨日は県議会議員、市議会議員の方が見えました。『南洲翁遺訓』改竄事件のことをお話しました。『南洲翁遺訓』は西郷隆盛と会った菅臥牛先生らが藩主の命をうけ、命に代えて出版したものであります。そこいらの大学教授らが、新学説が出て来たといって文言を追加修正出来るものではないのです。

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『大学味講』(第20回)
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 (二) 安定の生活
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 この間の消息を大学では
    
止まるを知りて、而る后に定まるあり。
    定まりて而る后に能く静かなり。
    静にして而る后に能く安し。
    安くして而る后に能く慮る。
    慮りて而る后に能く得。
 といっておるのであります。
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 「定まる」とは「不定」でないことであります。住所不定などというが、何事でも定まらないのはいけないことであります。「静か」は「動」の反対で、動揺しないことであります。「安し」は「不安」の反対で、この「安」の字に、前の「定」や「静」が結んで熟語となると、「安定」とか「安静」とかなり、落ちついた、そして不平や不安のない、張り切った生活態度をいうのであります。
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『論語』(第120)
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 子曰はく「雍や南面せしむべし。」仲弓、子桑伯子を問う。子曰はく、「可なり簡なり。」仲弓曰はく、「敬に居て簡を行ひ、以てその民に臨む。亦可ならずや。簡に居て簡を行はば、乃ち大簡なるなからんか。」子曰はく、「雍の言然り。」
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 孔子が弟子の仲弓を評して、「雍(仲弓の名)は人君の位に置いて民を治めさせてよい人物である。」といわれた。仲弓の性質が寛大で細かくなく、重みがあって軽々しくないから、孔子がこのように曰われたのである。
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 子桑伯子も寛厚な風格の男だという評判があったので、仲弓は自分と同じようなこの人物について孔子に尋ねた。孔子は「よい人物だ。おおまかで、こせこせしない」と言った。仲弓がこれを聞いて、「心のもち方がつつしみ深く、よく自分の身を持すると共に、事に対して大まかで、小事にこだわらない寛大さをもって、その人民に臨むならば、よろしいのではありますまいか。自らを持する心の持ち方が大まかで、人に対しても大まかでは、むしろ大まか過ぎはしませんか」とたずねた。孔子は感心して、「なるほど、全く雍のいうとおりだ。」といった。
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『農士道』(第5回)
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 そしてその徒に概念を分析し論理を弄んで空理空論に堕し、人格に何の寄与する所もなく、一向生活の光にも熱にも力にもならぬ勉強に疲れ、あせり、悶えて、その解脱と新なる學問求道の熱望に燃えて居た。余は勧むるに東洋古聖賢の學を以てし、或は座禅静坐に力めしめ、或時は悪辣な苦しめ方も辞せずにその舊習の蝉脱を希望した。著者の學問修道の日新ぶりは實に目ざましいものであった。餘り精進の結果、時には心身の違和を来しはせぬかと憂へられたこともあったほどであるが、先哲の學と、静坐と、山水と、耕耘とは、遂に能く著者の心性を打破して金剛不壊ならしめた。かくして余は日本農士学校の教學を安んじて著者に託したのである。
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 爾来著者は講學求道の餘暇、或は尊徳の遺蹤を探ね、或は幽學の絶學を興し、又、庄内に名君の農政を按じ十年孜々として學業を怠らず、其の間の施策工夫凝て本書を成したのである。斯の書こそ農村に関する最も叡智の書の一なることを確信する。
        昭和十三年十二月廿ニ日  
渡欧東海道車中
             安 岡 正 篤 識
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短歌の紹介
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才能を磨き完成させるのは
 自己修養の力なりけり 7011 自助論84   

大明には私照なく、至公には私親なし。

2014-12-17 14:13:25 | ブログ
第2181号 26.12.17(水)
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大明には私照なく、至公には私親なし。『古文真宝』
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 太陽は、私心をもって選ぶことなく万物を照らし、真に公平なものは、私情によって人を選んで親しむということはない。(張蘊古「大宝の箴)558
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 【コメント】連日寒い日が続いていますというと、荘内の皆様から何を言うか、鹿児島の寒さは大したことないではないかと言われそうです。
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 喧しいかった選挙が終わり、それぞれに論評をしています。勝利した責任者の策略だなどと言っている人もいるようです。海外のメディアもそれぞれ言っているようです。
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 要は政権を担当した人々が、金と地位と名誉だけでなく、本当に国家国民のためにしてくださればいいのではないかと思います。

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『大学味講』(第19回)
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   第四節  定  静   
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 明明徳、親民、止至善の三綱領の次に左の一節があります。この最初の「止まるを知りて」は、いうまでもなく「至善に止まるを知りて」の意であります。
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 止まるを知りて而る后(のち)に定まるあり。定まりて而る后に能く静かなり。静かにして而る后に能く安し。安くして而る后に能く慮(おもんばか)る。慮りて而る后に能く得(う)。
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 (一) 生きがいのある生活

 私どもの願い求めるものは、不安動揺のない、安定した生活でありましょう。「安定した生活」というと、ともすると、食うに困らぬ生活と考えるかも知れないが、更にもっと深いものがあり、いわゆる「生きがいのある生活」がそれでありましょう。では「生きがいのある生活」とは何か。それは「張りのある生活」でありましょう。
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 張りとは、私どもの生活が、何ものかによって常に強く引きつけられている状態----これを、こちらからいうと、何ものかを引っぱりよせている状態----であります。では、その引きつける「何もの」とは一体何なのか。それが「至善」なのであります。私どもの求めてやまぬ人生の目的であり、理想である「至善」なのであります。「至善に止まる」とは、私どもがその「至善」に引かれて、感激を以て日夜歩み続けてやまぬすがたなのであります。
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「止まるを知る」とは、この人生の目的を見つけることであり、張りのある人生は、そこから始まるのであります。

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『論語』(第119)
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 子曰はく、十室の邑、必ず忠信丘の如き者あらん。丘の学を好むが如くならざるなり。
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 孔子が言うには、「家の数十戸ばかりの小村でも、丘ぐらいの忠実信義の者はひとりやふたりは必ずいるものである。ただ丘ほどの学問好きがいないのだ。
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『農士道』(第4回)
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 第一の人々は勿論、第二の人々とて農村は憐んで温かく包容すべきであるが、農村に最も敬愛すべきは第三の士で、それこそ文字通り社稷の臣であると思ふ。
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 余は昭和の始、一世を擧つて都市商工文明を謳歌し、農村は亡びゆくもの、時代に取り残されたるもの、国家発展に最早積極的効用の無いものとして閉却或は蔑視され、農村の子弟も争うて村を棄てて市に群り、農村は空しく所謂土百姓の天地となって荒れ果てた時、久しい深念の果に微力ながら第三の型の士----農士の養成を謀って、鎌倉武士の典型たる畠山重忠の館跡武蔵菅谷の荘に日本農士学校を創立した。その時之が主任となって今日に至るまで身を以て子弟を率ゐ、耕耘學道にいそしんでゐるのが本書の著者である。
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 この学校の創立に當って、余自身その適任でないことは明かであるから、先づここに師となって事に當るべき人物の物色養成を金鶏學院に於て始めた。昭和二年のことである。著者はその第一期の劈頭に来り投じたのであった。その頃著者は郷村治教の為に若き真摯な心を以て、頭脳の明敏に任せて近代の精神科学的勉強に没頭して居た。

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短歌の紹介
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鍛錬を積み重ねれば自制心
 独立独行精神は強 7009
衝動に走らず慾に打ち勝ちて
 平衡保ち思い為し遂ぐ 7010