第2190号 26.12.26(金)
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隠れたるより見(あら)わるるは莫く、微かなるより顕らかなるは莫し。『中庸』
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隠れていることぼと現われやすいものはない。また、かすかで人の気がつかないと思うことほど、世の中に早く明らかになるものはない。
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たとえば、陰徳を施している人がいる。それがなにかの機会に人に知れると、パッと世の中に現われてくる。反対に、人に隠した悪事もなにかの機会に洩れると、パッと世の中の噂となるものである。だから、君子は平素「其の独りを慎む」要があるのである。154
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【コメント】とにかく人様には親切にしなければならないと思います。そのようにしてきたつもりですが、世の中には自分が気にいらないと喚きちらす人もいるものです。
それでも、そういう人も生きる権利があるのですから、穏やかにつきあいたいものです。
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『大学味講』(第28回)
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(五) 次に「事」の場合ですが、例えば火事になって、それを消すという場合について考えてみましょう。火事の始めは、出火の原因です。しかしその始めの時にはまだ人には知られず、火事になってしまってから、大騒ぎをして消防隊が駆けつけて消化するのですが、その場合、もしも出火が始めで、炎熱が終りであるから、出火の原因を明らかにせぬうちは、火を消してはならぬなどいっていたら、どうなるでしょうか。
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こういう時には、火を消すことを「先」にして、火事の「始め」である出火の原因の調査は「後」にすべきでありましょう。ですから、それを終始と先後との関係からいえば、終りを先にして、始めを後にするとなるでありましょう。
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というわけで、その物に対し、その事に対して、何を先にし、何を後にするかということは、実践の上からいえば、その事の成否を決する、誠に重大なことなのでありまして、いたずらに理論的本末論などにとらわれていてはならぬ時があるのであります。
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『論語』(第128)
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子曰はく、賢なるかな回や。一簞の食、一瓢の飲、陋巷に在り、人は其の憂ひに堪へず。回や其の楽しみを改めず、賢なるかな回や。
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孔子が言うには、「賢人なるかな顔回は、盛切り飯に一杯酒で横丁の裏店生活、ほかの人なら貧乏の苦労にかまけてしまうところを顔回は相変わらず道を楽しんで勉強している。その修養の積んでいることはとうてい他人の及ぶ所でない。回は誠に賢い男だ。
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『農士道』(第13回)
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ここに同じ工場に努めてゐる二人の技師がある。一人は其の専門の職分を通じて常に工場全体の繁栄向上の為に貢献し、延いては其の仕事を通じて何等か国家社会の為に幸福を齎らさうと、時に衣食の事などを忘れて参賛の使命に精励している。之に對して他の一人は、俺の勤めるのは月給を貰ふ為なのだ。月給が少しでも上って、晩酌の一杯も追加出来れば沢山だ、何を苦しんで進んでそんな苦労をせぬでもよいではないかといふ有様だ。
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之を見た上役が、昇給せしめる時に何れを先にするか、又、免職せしむる時に何れを先にするか。参賛の努力が位育に及ぼす功徳はかくの如きものである。
勿論方便的に参賛的言行を偽蝕するものでは論外であるが、其の職業に對して、真箇に参賛の自覚と熱意とを有するの士ならば、「道中衣食有り」で位育の事は自づと齎されるであらう。
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上に書いた〈何を苦しんで進んでそんな苦労をせぬでもよいではないか〉と何時も私に言っていた日本一酒癖の悪い労働組合委員長がいました。職場では、怠惰のすすめをすることに情熱を傾けているかのような感じでした。
二か月前、妻に罵られ入水自殺をしたそうです。今、あの世で、仕事のない世界でゆっくりとしていることでしょう。
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短歌
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仕事をし 学んで人世 尽くせよと
人は産まれてくるものぞかし 7019
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隠れたるより見(あら)わるるは莫く、微かなるより顕らかなるは莫し。『中庸』
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隠れていることぼと現われやすいものはない。また、かすかで人の気がつかないと思うことほど、世の中に早く明らかになるものはない。
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たとえば、陰徳を施している人がいる。それがなにかの機会に人に知れると、パッと世の中に現われてくる。反対に、人に隠した悪事もなにかの機会に洩れると、パッと世の中の噂となるものである。だから、君子は平素「其の独りを慎む」要があるのである。154
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【コメント】とにかく人様には親切にしなければならないと思います。そのようにしてきたつもりですが、世の中には自分が気にいらないと喚きちらす人もいるものです。
それでも、そういう人も生きる権利があるのですから、穏やかにつきあいたいものです。
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『大学味講』(第28回)
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(五) 次に「事」の場合ですが、例えば火事になって、それを消すという場合について考えてみましょう。火事の始めは、出火の原因です。しかしその始めの時にはまだ人には知られず、火事になってしまってから、大騒ぎをして消防隊が駆けつけて消化するのですが、その場合、もしも出火が始めで、炎熱が終りであるから、出火の原因を明らかにせぬうちは、火を消してはならぬなどいっていたら、どうなるでしょうか。
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こういう時には、火を消すことを「先」にして、火事の「始め」である出火の原因の調査は「後」にすべきでありましょう。ですから、それを終始と先後との関係からいえば、終りを先にして、始めを後にするとなるでありましょう。
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というわけで、その物に対し、その事に対して、何を先にし、何を後にするかということは、実践の上からいえば、その事の成否を決する、誠に重大なことなのでありまして、いたずらに理論的本末論などにとらわれていてはならぬ時があるのであります。
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『論語』(第128)
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子曰はく、賢なるかな回や。一簞の食、一瓢の飲、陋巷に在り、人は其の憂ひに堪へず。回や其の楽しみを改めず、賢なるかな回や。
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孔子が言うには、「賢人なるかな顔回は、盛切り飯に一杯酒で横丁の裏店生活、ほかの人なら貧乏の苦労にかまけてしまうところを顔回は相変わらず道を楽しんで勉強している。その修養の積んでいることはとうてい他人の及ぶ所でない。回は誠に賢い男だ。
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『農士道』(第13回)
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ここに同じ工場に努めてゐる二人の技師がある。一人は其の専門の職分を通じて常に工場全体の繁栄向上の為に貢献し、延いては其の仕事を通じて何等か国家社会の為に幸福を齎らさうと、時に衣食の事などを忘れて参賛の使命に精励している。之に對して他の一人は、俺の勤めるのは月給を貰ふ為なのだ。月給が少しでも上って、晩酌の一杯も追加出来れば沢山だ、何を苦しんで進んでそんな苦労をせぬでもよいではないかといふ有様だ。
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之を見た上役が、昇給せしめる時に何れを先にするか、又、免職せしむる時に何れを先にするか。参賛の努力が位育に及ぼす功徳はかくの如きものである。
勿論方便的に参賛的言行を偽蝕するものでは論外であるが、其の職業に對して、真箇に参賛の自覚と熱意とを有するの士ならば、「道中衣食有り」で位育の事は自づと齎されるであらう。
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上に書いた〈何を苦しんで進んでそんな苦労をせぬでもよいではないか〉と何時も私に言っていた日本一酒癖の悪い労働組合委員長がいました。職場では、怠惰のすすめをすることに情熱を傾けているかのような感じでした。
二か月前、妻に罵られ入水自殺をしたそうです。今、あの世で、仕事のない世界でゆっくりとしていることでしょう。
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短歌
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仕事をし 学んで人世 尽くせよと
人は産まれてくるものぞかし 7019