タイトル----『菜根譚』の紹介。第616号 22.10.10(日)
節義は青雲に傲(おご)り、文章は白雲より高きも、若(も)し徳性を以てこれを陶鎔 (とうよう)せざれば、終(つい)に血気の私(し)、技能の末とならん。『菜根譚』
「その主義主張はどんなに偉い高位高官の人々をはるかに陵駕(りょうが)しても、その文章教養は白雲の名曲よりも高尚にみえても、道義的な徳性と整合した品格ある精神で練り上げていなければ、結局は、その主義主張も我田引水的自己陶酔的な幼児的私行となり、その文章も手先の小細工になってしまうであろう。」
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自分の能力を振りかざす新聞社のT氏が、職場での健康診断で尿検査用のカップに尿を入れていた際、身体が動いたときカップから尿があふれ手にかぶさった。同僚はレントゲン検査のためシャツを脱ぎネクタイも近くの壁にかけていた。
あろうことかT氏は、同僚のネクタイで手にかぶさった尿をネクタイで拭いた。それを新入社員の男が現認した。T氏は知らぬ顔をしていたが、見てはならないものを見た新入社員はT氏の人格をどう評価したものか、10年前のことであったが、未だに信じがたいこととして心にしまっている、という。
幾ら高尚ぶったことを言っても、道義的徳性と整合した品性を持ち合わせなかったら、子供がしそうなことを平気でするのかも知れない。そういう人を上司に戴いた人こそ哀れというべきであろう。