タイトル----『南洲翁遺訓』「し」 その時その場(事事物物時に臨みて)第353号 22.1.15(金)
「己れに克つに、事事物物時に臨みて克つ様にては克ち得られぬなり。兼て気象を以て克ち居れよと也。」
この言葉は、南洲翁遺訓第二十二章の言葉です。意訳は、「自分に克つためには、一つ一つその時やその場に臨んで、自分に克とうとするのでは、なかなか克てないものである。前々から堅い信念をもって己に克つことを固く鍛えておくことが大事である。」(小野寺時雄著『南洲翁遺訓』)。
人間には大小強弱の差はあるが誰にも自分なりの欲望がある。それが身を修する時の大きな障害となり易いので、古来より修行の中で一番大事なことは己に負けない心を持つこととされて来た。
山中の賊は破るに易く、心中の賊は破るに難しと言われて居る通り自己心中の邪心ほど手強い相手が無いのである。克己とは、己の良心、良識を弱めておる自己に内臓されて居る邪心を押さえることである。それが修行であり、修業であった。(前掲書「克己とは」)。
能力も学識もない一介の空手道武道家である私が、このような高邁な論に触れ、かねがね空手道場で門下生に説いているわけですが、南洲翁遺訓との出会いがあったからなのです。
そして荘内南洲会・長谷川信夫二代理事長、小野寺時雄現三代理事長との出会いがあり、ご懇篤なる指導を賜ったからであります。そして学べ学べと私の弟からも激励されました。
でも、最終的には本人が決断しなければならないことなのです。『南洲翁遺訓』、『菜根譚』、『言志録』、『論語』等々肌身離さず大きな鞄に入れ持ち歩いたものです。NHKの放送も数多活用しました。ギャンブルをする喜びよりも、このように学ぶ喜びの方が遥かに意義があると思うのだが、如何でしょう。
とにかく連日ブログを書き、漢籍を読み、つづり方をすればエネルギ-が湧いて来るのです。一種の病気だと思っています。「病」は学問・修養のことであり、「気」は情熱のことです。
私は、味園道場で学ぶ門下生に、この「病気」を感染させたいと思っています。能力向上のための教育機関は数多ありますが、荘内南洲会が説く「人間学」としての学問でないと意味がないのです。
事事物物、その時その場でなく、日常的に己に挑戦する気概を持ちたいもりです。諦めなければ目的遂行は可能だと思うからです。