タイトル---修辞と立誠『言志録』。第1024号 23.10.19(水)
『言志録』 15 修辞と立誠
〈辞(ことば)を修めて其の誠を立て、誠を立てて其の辞を修む。其の理一なり〉
〔訳文〕 経書などの言葉の意味をよく修得して、誠の道を立てること(つまり精神修養に努めること)と、誠の道を立てるために言葉を修得することは、いずれも道理は同じである。
〔付記〕 易経に「修辞立誠」とある。
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〔コメント〕 漢籍を繙く功徳はまさに、精神の奥底に染み入る用語・言葉を知ることであると思います。特に漢字が難解だとして学校教育等では数が限られています。
私の空手道場では4.5歳の幼児が、難解な漢字にむしろ興味を示すのです。子供は興味が旺盛だから、『南洲翁遺訓』にある難解な漢字を書いてきてくれるのです。それも面白そうに楽しそうに書いてくるのです。
そういうことで、難解な漢字であっても心に食い入る精神修養の糧となる言葉を一つでも増やしてほしいものです。
つい最近、アップルとかいう新商品が売り出されましたが、それらを活用する子供・青年たちと、私の空手道場で難解な漢字を書く子供たちと将来的にどちらが、精神の健康に資し、長生きをすると思いますか。単なる興味本位では子供たちの頭脳を含めた身体の骨格にはよりよい効果は生み出さないと私は思うのですが。それは単なる知識は、精神を奮起させる原動力にはならないと思うからです。
円心会の師範をはじめご父兄の皆様の、ご意見を戴ければと存じます。
私自身そうですが、ネットは便利で楽なゆえ、頭の中に右から左へどんどん入ってくる分、出て行くのも早いです。
苦労して得たものに比べると身についていかない(残らない)なと実感します。
道場で、子供たちが漢籍を書写し、大声で南洲翁遺訓を唱和していることが、どれだけ脳や身体の発達に良い影響を与えているか、彼らが大人になって実証される日が楽しみです。
私自身そうですが、ネットは便利で楽なゆえ、頭の中に右から左へどんどん入ってくる分、出て行くのも早いです。
苦労して得たものに比べると身についていかない(残らない)なと実感します。
道場で、子供たちが漢籍を書写し、大声で南洲翁遺訓を唱和していることが、どれだけ脳や身体の発達に良い影響を与えているか、彼らが大人になって実証される日が楽しみです。