味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

勢いを択んで従うは則ち悪の大なる者なり。

2015-11-22 10:23:02 | ブログ
第2521号 27.11.22(日)
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勢いを択んで従うは則ち悪の大なる者なり。『近思録』 
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 権勢の人を選んで、その人に従いこびていくことはきわめて悪いことだ。(易困卦の程伝)300
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 【コメント】人間ややもすると、何かしようと思った時、権勢のある者を頼ってこび諂い、ついて行くことがあるとは古今の歴史が教えています。頼って行こうとする権勢ある者が、本当に正しいかどうか、胡散臭い人間もいるので、冷静に観察する事が要諦でしょう。
 そして自らは只管、初歩から学び自ら開拓して行くことが肝要でしょう。自らは邪心を懐くことなく明鏡止水でなければならないと考えます。
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 私は過去何回となく、いろいろな団体に誘われましたが、一回もついて行くことはありませんでした。その内に変な団体は長続きせず、解体して行きました。ひたすら『南洲翁遺訓』を学ぶことこそが肝要だと思います。
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 今朝はNHK報道で、パリで銃撃事件を起したISについての討論が行われました。見識ある方々の議論であったため、とても感じよく視聴することができました。
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 こういったテロ集団は無数にあるとのことです。平和ボケしている我々日本人も、万一に備え、緊張感を持ちたいものです。
 昨日も朝から多忙を極めました。老人だとてボオーッとしている訳に行かないから、元気が持続しているのだと感謝しています。
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 新しいお弟子さんの中に、知的には優れているが、一時もじっとしていない子供がいます。手はモジモジ、眼はキョロキョロ、とそれこそ二秒間もじっとしていません。それに比べたら、森永礼弥君は大したものです。
 座している時から、「修行者」のツラガマエなのです。これが小学二年生なのです。本人は菅臥牛先生みたいになりたいと申していますので、中学生になりましたら、月に一回程度、徹夜で漢籍の勉強をしたいと思っています。
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 そのキョロキョロ君に対して、ホッペタをパッチンしました。ところが、見違えるように変わりました。可愛ければ可愛いほど、優しく厳しくしなければならないと思います。
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 そしてもう一人の特別支援学級で学んでいる優くんが、はっきりした用語をつかうようになりました。今はたどたどしいですが、成長するにつけ、よくなって行くと思います。16年間育てて立派になった青年がいますので、手本にしたいと思います。
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 とにかく無制限に甘やかせることが行けないのです。児童クラブの子供たちはその点、可哀想だと思います。これらは戦後教育が生み出したものなのだという人がいますが、本当なのでしょうか。しかし私の所で修行する子供たちは立派だと思い、保護者の方々に感謝の念、一入です。
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 人物像の指標は、荘内南洲会前理事長・小野寺先生が紹介してくれた、そして竹下一雄先生も師事したいとしていた菅原兵治先生に学ぶことだと思います。

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『臥牛菅実秀』(第59回)
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 同じ文久三年の春の江戸は、ひどく騒然としていた。
 前年の八月、横浜に近い街道で、島津久光の行列に行きあったイギリスの商人が、薩摩藩士によって殺傷された。いわゆる生麦事件が突発したために、日英間の関係は極度に悪化し、この年の二月には江戸湾にイギリスの東洋艦隊が結集した。
 幕府では万一の際の江戸の混乱を恐れて、祖法である大名の参勤交代制を中止し、江戸滞在を規定づけていた大名の夫人家族を、それぞれの国もとに帰すことにした。

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『論語』(第453-2)
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 子曰はく「夫の稲を食ひ、夫の錦を衣(き)る。女(なんじ)に於いて安きか。」曰はく「安し。」「女安くば則ち之を為せ。夫れ君子の喪に居る、旨きを食へども甘からず、楽を聞けども楽しからず、居処安からず。故に為さざるなり。今女安くば則ち之を為せ。」宰我出づ。
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 孔子「三年の喪中は粗食を食い粗衣を衣るのが礼であるが、汝は三年の喪を一年で止めてしまって、一年たつと直にあの旨い稲を食い、あの美しい錦を衣ても、汝の心に不安はないか。」宰我「不安はございません。」
 孔子「汝はそれで心に不安がないならば、そうするがよい。君子が親の喪にいる時は、哀しみのあまり、旨い物を食べても甘くなく、音楽を聞いても楽しくなく、どんな処にいても心が安んぜず、心に忍びない所があるから、一年で止めないで三年の喪に服するのである。今汝は親が死んで一年の後に直ちに稲を食い錦を衣て心に感じないならばそうするがよい。」

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『農士道』(第336回)
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      四、「大和」の深義
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 我々日本人は實にこの純粋至高の感激を以て大君に奉仕する大和民族である。「やまと」の國名に「大和」の文字を当用した吾等日本人の祖先の深き哲学に想到すれば、真に驚嘆なきを得ないではないか。一体「やまと」とは今の奈良一体の土地の名称であったのである。
 神武天皇が此の國の畝傍山に即位の大体を挙げ、日本国家統治の大任に即かせられたのであるが、以後此の「やまと」の地は、日本国家の「ひの本」たる至尊の在ます處となり、国民は当にこの「やまと」を中心にして「各性命を正しうして、太和に保合---易経---」せんとしたのである。

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