味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

仁者は財を以て身を発し、不仁者は身を以て財を発す。

2015-02-07 11:38:24 | ブログ
第2233号 27.0207(土)
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仁者は財を以て身を発し、不仁者は身を以て財を発す。『大学』
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 仁者は、財産があればそれを世に施して民心を得、わが身を向上させる。不仁なる者は、人の道を無視し、わが身を亡ぼしても財産をつくろうとする。151
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 【コメント】上の『大学』の教えは、今時の政治家のことを言っているようです。民心を得るどころか、ころころと心を変えている政治家の何と多いことか。
 そのことは当該本人のことなのだが、それが国民の利害に関することになるとしたら、国民は一考を要すべきでしょう。とにかくわが目で見て、そして学んで確かな人生を歩きたいものです。
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 今朝の学問館には3歳児カナコ嬢をはじめ6名で学修しました。幼児たちの『南洲翁遺訓』発表は誠にお見事です。
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『国家の徳』を今先読んだので一部ご紹介致します。

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 〈沖縄・尖閣諸島の中国漁船衝突事件(2010.9.7)の余波で、日中間の民間交流があちこちで中止になっているという。両国の旅行代理店には気の毒だが、私は日本の若い人々が厳しい外交の世界を実感できていい教育だったと喜んでいる。個人でも国家でも、喧嘩せず理性的判断のもとにつきあうのは理想だ。
 しかし人間世界には次元の低い原則というものもある。その現実の姿を日本人は若者に教えていない。ケンカする場合、お互いに素手と分かっているならいきなり取っ組み合いをするかも知れない。しかし相手がピストルや日本刀を持っていたら、闘いを避けて逃げるものだ、
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 中国はその基本原則をちゃんと利用している。今は国際世論というものがうるさいから暴走は一応は避けるだろうが、武力を持たない者、闘う気力のない者、弱い者と見れば、ケンカを続行して相手を倒す方が勝ちだという原則だ。
 ましてや与党の総理候補が、胡錦濤とのツーショットを撮りに北京まで百数十人も家の子郎党を引き連れていくような愚かで程度の悪い政治家のいる国に対しては、何をしても通ると思って当然だ。
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 尖閣事件の余波は、この単純な人間世界共通のルールに従っている。中国にとって、政治力・気力・武力の劣る国はなめていいということだ。これはしかし決して中国だけの思考の形態ではないだろう。どこの国でも、主流となる考え方は、大体こんなものだ。〉(曽野綾子著『国家の徳』134より)
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『大学味講』(第71回)
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  註 釈  
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 誠==私どもの心が純粋無雑な「至善」の状態になった場合をいうのである。これを信仰の立場でいうと、観音信仰の信者が「南無観世音菩薩」と一心に念じ、阿弥陀信仰の信者が「「南無阿弥陀仏」と一心に念じて、そしてそれになりきる時、その時の状態が「誠」なのである。
 しかし、常にその「誠」になり切るということはむずかしいので、私どもは日々夜夜、「これを誠にする」ことに努力し、「明徳を明らかにする」ことに精進せねばにらぬ。

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『論語』(第171)
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 子、四を以て教ふ。文・行・忠・信。
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 孔子は四つの事柄をもって人を教えた。それは文を学ぶことと学んだことを実行することと誠心(まごころ)を尽くすことと偽りのないことである。
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『農士道』(第55回)
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 「農本」といふ思想に対する従来の解釈が、ともすれば明瞭をかいていたが、私は「農は質の本性を有し、従って帰質の力を有す。」といふ意味に取るべきであると思ふ。かういふ見地より左に農本生活に就いて述べることとする。
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 自然に春秋の陰陽文室循環の大法則が行われるが如く、人の世にも亦此の大法則の運行がある。

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百人一首
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これやこの 行くも帰るも 別れては
   知るも知らぬも 逢坂の関 【蝉丸】
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 〔歌の意味〕
 これがまあ、京を出て東国へ行く人も、反対に京へ帰る人も、そしてお互いに知っている人も知らない人も、別れてはまた逢う、あの有名な逢坂の関なのだなあ。

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