味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

其の意を誠にすとは、自ら欺くこと毋きなり。

2016-05-16 10:54:50 | ブログ
第2694号 28.05.16(月)
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其の意を誠にすとは、自ら欺くこと毋きなり。『大学』
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 誠意ある人とは、自分を欺かない人である。自分の本心を欺かないこと、これが真に意を誠にする道であり、人間修養の第一歩である。147
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 【コメント】〈自分を欺かない人、これ即ち誠意ある人〉に違いないが、そこに社会性・教育性・道徳性、即ち人の道がなければならないのです。上の解説だけでは、邪な性格の人間が、自分を欺くことなく勝手気ままにやることだってあるのです。
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 私が御信頼申上げて来た荘内南洲会前理事長・小野寺先生は〈誠意ある人〉であったと心からご尊敬申し上げています。その小野寺先生を利用して近づいて来た人間は、〈誠意ある人〉とはどうしても思えないのです。
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 することに謙虚さがないのです。人が企画・立案した会合に入ってきて、さも自分らが企画・立案したと言って、人々が、天が納得するでしょうか。
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 連日拝読している『西郷隆盛』に次の下りがあります。
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〈陛下(後の明治天皇なのでしょう)は酒が御好きであり、また御強い。王座代りの椅子から降りて、徳大寺卿と西郷吉之助のあいだに割りこむように御座りになって、
「今夜は、大典侍も山岡鉄舟もいないから、すこしすごしても叱られはすまい。吉之助、わたしの盃を受けてくれるか」
 吉之助は大あわてにあわて、平伏したまま飛びさがったので、うしろにいた吉井幸輔が突き倒されそうになった。
 若い天皇は微笑されて、
「どうした、吉之助、酒はきらいなのか」
「と、とんでも----」
 吉之助の額に汗の玉が浮いていることが夜目にもわかった。大きな肩がふるえている。-----
 吉之助は両眼をつぶるようにして、
「全く夢のような-----いえ、夢の中では、御盃をいただいたこともございますが、それがこのように----」
 言葉をつまらせている。
 若い天皇は大声で御笑いになって、
「吉之助、わたしは聞いたぞ。おまえはかねてから一君万民、君臣水魚の交りということを申しているそうだな。天皇は雲の上にも、神棚の上にもいてはならぬ、天皇が万民とともにあることがまことの王政復古だと。----はじめは何のことだかよくわからなかったが、おまえたちが推薦してくれた元気な侍従たちとつきあっているうちに、だんだんわかってきた。----今は君臣水魚を勉強中だ。吉之助、早くその盃をわたしに返せ。おまえたちのあいだでは、返盃というのだろう」〉頁69

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 上のくだりを拝読し、正直絶句しました。こういった背景があり、明治天皇は西郷隆盛をご信頼されたのでしょうか。
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『臥牛菅実秀』(第230回)
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 実秀が直接、西郷に学んだ期間は、西郷が上京した明治四年四月から、実秀が東京を去った同年九月までの半年の間と、明治八年に実秀が鹿児島に西郷を訪れた約二十日間に過ぎない。それは長い人生からみれば、きわめて短い期間である。しかし、その人に接触した時間の長さだけが、その人から学びとったものの深さを決定するものではなく、自己のすべてを挙げて、その人に学んだか、いなかが、その深さを決定するもののようである。
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『農士道』(第506回)
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 吾々が農道生活をなすや、勿論一面、一木一草を経営の対象として収支の計算を忘れぬことが肝要ではある。然しそれと共に、其の一木一草の間に「八萬四千の偈」を悟得するゆかしい世界も亦もたまほしきものである。世人多くは「詩」の世界、芸術の世界と経済世界とを強いて対立せしめて、両存し得ざる排他的二者とし勝ちであるが、決してそういうものではない。真個の深き農道的境地に詣れる者は、ものの見事に義利園融の生活に入っている。農道的修養とは決してさう狭隘偏屈なものではない。明治の三老農の一人たる石川理紀之助翁(秋田県の人)の歌に、
    雲をつく富士の高嶺の動かぬも
        廣き裾野のあればなりけり
 というものがある。

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今話題になっている著書の主人公『天才』氏がテレビに出た時、昭和天皇はみたくなくてスイッチをすぐ切ったということをご存知でしょうか。
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 またまた話題になっている自治体首長の会見を見たら、スイッチを切るでしょうか。人間には過ちはあるものですから、悪かったとおもったら、すぐ謝罪することだと思います。元ご令室様は今日も厳しく指摘されました。

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