タイトル----「徳義をもって興す」荘内士魂の紹介。『日本主義』 第239号 21.11.07(土)
11月4日、荘内南洲会・小野寺時雄理事長、酒井忠久先生、東山昭子先生方が対談された記事が掲載されている、『日本主義』の本が刊行された、とファックスが送付されて来た。早速5冊注文した所6日到着しました。午前10時40分受領したので、午後0時40分に支払いの振込を済ませました。
ファックスを拝受し、小躍りする位嬉しかった。そのテ-マ『日本主義』が気に入ったからである。この所、真の国家像を求めて運動・活動している人がいるであろうか。小野寺理事長はことあるごとに、政治家の方々も『南洲翁遺訓』を読んで欲しい、と呼びかけているが、政治家諸氏は如何であろうか。私が思うに、真の日本を思う政治家が幾らいるであろうか、疑問なしとしないのである。
その昔、荘内出身の加藤紘一氏が自民党幹事長に就任している時、飛ぶ鳥を落とす勢いがあった。自民党幹事長と言えば総理に次ぐ重鎮であるからである。丁度、南洲神社での南洲会の勉強会の時であった。ある方が加藤さんの素晴らしさは南洲翁遺訓を学んでいるからです、と発言した。参加している人は、そうであろう、とお互い称賛しあった。
それから十数年後、一人で荘内へ行き、帰りの飛行機内のことである。私は前から二番目の席に座していた。ところが出発前、私のすぐ前に乗り込んで来たのが、元自民党幹事長・加藤紘一氏であった。あっ、と心で叫んだ。天下の有名人だからである。その時私は、加藤先生と肩を叩き、鹿児島の味園と申します、と言って、南洲翁遺訓を学んだことがあるか否か、聞いて見た。答えは、学んでいまん、ということだった。幼少の時、鹿児島に住んだことがあるとの事で、母親が南洲翁遺訓は荘内で刊行したものだから、是非学びなさい、ということは聞いているが、勉強はしていないということであった。
鹿児島でも選挙の時、南洲翁遺訓を多量に買い込み、人々に配布した議員がいた。私は売名行為であると見ていた。いわゆる薩摩の偉人を利用したに過ぎないのである。何故私が、『日本主義』の題名で小躍りしたかと言うと、私から見て「日本主義」と言える活動をしている人々が少ないからである。
先の総選挙で自民党は大敗を喫し、その後中川昭一氏が他界した。その時、真の保守再生を担う人が消えたと政治家諸氏は歎いた。自民党の方々は、「真の保守」と思っているのだろうか。私は違うと思う。真の保守とは、国家国民の為に働く政治家を指すと思うからである。真の保守であるならば、あのような無様な負け方はしていない筈だからである。思うに、国家国民の為にといいながら実は、自分の名誉・勲章・金の為に奔走しているにすぎない、と思えてならないからである。
「日本主義」というと、何か変な感じを抱く人が少なくないようである。真の「日本主義」とは、国家国民のために、主義を主張し、人民の標準として生きていく人々のことであると信ずるからである。そこには「徳義を以て事を処す」という大義名分がなければならないと私は思うのである。7日土曜日、《座談会》「徳義をもって興す」戊辰の敗戦を生き抜いた智と力、賢、賢を知る―― 南洲翁と臥牛翁の交わり、を一先ず拝読した。私が思っていた「日本主義」がここにあった。元々、荘内南洲会の人間学の学びこそ「日本主義」と思っていただけに溜飲の下がる思いであった。いわゆる「日本主義」とは、「人の道」のことなのだとかねがね解釈している私である。
『日本主義』の中から引いてみよう。本誌の記者が「庄内という地域は、日本の近代化のプロセスの中で、ある意味でほかの東北諸藩とは違う、不思議な、突出した位置を占めていると思います。」
そして東山教授は、「本間家にしても、今で言えば企業の社会貢献、何かしら世の中にお返ししなくてはいけない、という思いはあったのではないかと思います。-----当時の庄内の民間の豪商、豪農と言われる家では、わが身を細めてでも世の中のお役に立つ営みを行おうという精神的基盤があっと思われます。----庄内の経営の基盤的な部分として、酒田は経済、鶴岡は政治の中心という形で棲み分けながら、お互いの協力関係がきちんと形成されていたといえます。-----武力だけでなく、義も信も筋を通した。人間に対する尊厳、信頼をきちんと尽くす振る舞いをいたしました。
さらに小野寺理事長は、「二人(西郷南洲翁、菅臥牛翁)は、戊辰戦争までは直接会ってないんです。明治四年の四月に初めて会っている。それ以前は、それぞれ違う立場で衆論をまとめあげていた。やはり庄内藩も戊辰戦争で敗れるということはまさに天地がひっくり返るような大変な出来事なわけです。そういう乱世を、どのようにして新しい時代に導いていったらいいのか。それを真剣に考え、人びとを引っ張って行く人物として、学識があり、人間を見る力もあり、時代を見通す目もあった二人が出会って、肝胆相照らす仲になったわけです。実秀さんは、多くの庄内人をまとめ上げ、忠恕さんに意見を申し上げながら、時代感覚にそった考え方で、藩論を誘導できる人物、人材であったことは間違いないです。P21まで
国民が、国家の事を思いながら、穏やかに、平和的に、人の道を踏み間違えないで、人様も自分も立つように暮らす、このことが今、一番求められていると思います。権利のみを主張するのは「人の道」ではないということを理解したいものです。その為には『南洲翁遺訓』を読むことです。
次号でも紹介したいと思います。