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味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

高山に登らざれば、天の高きを知らず。

2014-12-07 10:27:06 | ブログ
第2171号 26.12.07(日)
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高山に登らざれば、天の高きを知らず。『荀子』
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 高い山に登らなければ、天の高さがわからない。
 自分自身が相当の偉さに達しなければ、偉い人の偉さは、わからない。
 また、学んでみなければ学問の偉大さもわからない。383

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 【コメント】『南洲翁遺訓』他、漢籍を読み続け、書き続けていますが、一行に冴えない次第です。学べば学ぶほど、荘内の先生方の英邁さ、奥深さを思い知らされています。
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 昨日の朝と夜の空手道指導の際も、菅臥牛先生のこと、菅原兵治先生の英邁さ等々についてお話した次第です。とにかく、両先生方の書籍を仲間が拝読したいと申しています。

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 私自身、大学味講は10年前拝読しましたが、改めてブログに綴りながら、良い本と出合ったと心から感謝しています。これも『南洲翁遺訓』刊行の地・荘内南洲会の小野寺先生方のご人格に魅せられたから、読む気になったものです。
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 荘内南洲会理事長 水野先生、機関誌『敬天』に、「菅原兵治著『大学味講』を御読みになりませんか」と一言ご案内してみたら如何でしょう。
 味園道場関係者が『名君忠徳公』を50名の人に読んで貰っています。今後、『大学味講』等々も読む人が増えてくると思います。総選挙が近づき、各党を代表する人々がNHKで先ほど討論しましたが、「学問のすすめ」「読書のすすめ」を提言する人はひとりもいませんでした。
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 私の主張は、要求する前に、自らが働きなさい、学びなさいといいたいのです。今回の選挙も物言わぬ国民は冷静に見ていて判断するのだと思います。
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『大学味講』(第9回)
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 (三) われわれに与えられた「明徳」----これをわかりやすく「能力」という言葉でいいかえれば----それは「無尽蔵」というべきでありましょう。そのものの能力はこれしかない、という有限なものではなく、それを明らかにすれば無限なもので、その意味で「無尽蔵」と申してよいでありましょう。
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 これは、歴史に徴しても明らかなことで、例えば農業面における米作の収量においても、工業面における各種の発明発見においても、----その一例として、交通機関の上昇にみてもわかるように----それは無限であり、無尽であると申してよいでありましょう。

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 (四) 窓を一つ一つあけていけば、次第に室の中が明るくなって今までは見えなかったものまでが、次第に明らかに見えてくるように、自分のことも、相手のことも----人についても、物についても----、明らかにされてくるものでありまして、それが「発明」であり、「発見」であり、「証悟」---さとり---でありますが、これを「明徳を明らかにする」というのであります。
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 ニュートンが万有引力の法則を発見したのも、スチブンソンが蒸気機関を発明したのも、湯川博士が中間子理論を考え出したのも、さては孔子が儒教を、キリストがキリスト教を、体得し、弘布したのも、それは要するに「明徳を明らか」にしたものである、と申してよいでありましょう。

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 (五) かくて「明明徳」とは、「我づくり」「物づくり」の----これを別の言葉でいえば、「道徳」と「科学」との---その一切活動の根源となる「能力」を開発することである、と把握してよいと存じます。
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 では、明徳を明らかにするにはどうすればよいか。そして、それを実地に応用すればどうなるか。それを探究して行くのが、この「大学味講」なのであります。

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『論語』109回
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 子曰はく、臧文仲は蔡を居き、節に山し、梲に藻せり。如何ぞ其れ知ならん。
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 孔子が言うには、臧文仲は諸侯でなくては持てないト亀を所有している。宗廟の室の柱の上の枡形に山の模様を彫刻し、梁の上の小柱に藻文の模様を描くなど、天子の礼を犯している。かくの如き名文の札を知らぬ者を、どうして知者といえようや。
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『禅とは何か』より
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 学道の心構えは何か。『随聞記』はいう。
 道は無窮(むぐう)なり。悟りても猶行道すべし。(巻六)
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短歌の紹介
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最短の道は大抵わろきなり
 回り道でも最善なりき 7000 『自助論』133

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