タイトル---修身路を譲るも、百歩を枉げず。第1724号 25.09.15(日)
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修身路(みち)を譲るも、百歩を枉(ま)げず。『唐書』
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一生涯他人に道を譲りつづけても、曲げた距離の合計は百歩にも足りない。謙譲をもって世に処すれば、失うところの少なくて得るところが多い。
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『唐書』二百二十五巻。宋の欧陽修および宋き撰。(諸662)
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【コメント】
物議が生じた場合、利益にしがみつくことなく、終始一貫学問道に徹すると同時に、相手の立場にも配慮することが双方にとっていいことだと思います。少なくとも私は、そのようにして参りました。
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昨日の稽古風景はとても和やかでした。稽古に際してある作戦を演じました。それは今年3月30日に入会した優李君に全体衆目の中、一人で中央に立ち空手をさせることでした。
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入会した時の彼の存在を思考する時、これは不可能と多くは思っていたでしょう。初めて道場に入った時彼は、頓狂な声を発し、道場内を走り回り、それはそれは手のつけようがなかったのです。
でも私は15年前からある子どもを育ててきた経緯があるので、受けて立つことを決めていたのです。
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昨日で165日になった優李君に単独で空手をさせる前、上級クラスからそれぞれ型の演武をさせました。優李君を除くみんながそれぞれ型をしおえてからてから、道場内に一周座っている中、優里君の名前を指名し真ん中に出て貰いました。
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優李君に直立して貰い、礼をさせた後、騎馬立ちをさせ、突き、受け等々をさせました。終了してから全員で拍手喝采を致しました。まさしく功を奏した場面でした。特別支援学級で学び、諸々において人にたちおくれている優李君にです。
人様のまえで一人で突き受けをするなんて考えてもみなかったでしょう。所作は不十分であっても、彼は渾身の力を振り絞ってやったのでした。
それはそれは美しい人間の像でありました。これほど心のきれいな姿がどこにあるのでしょう。
昨日の学問館で学修した、学聖・永海博士の言によれば、いい加減な仕事をする大臣よりか、真面目で働く学校の用務員がはるかに素晴らしいという形容と同じでした。
彼が演じるとき、五歳児が彼の所作は異様に見えたのでしょう、笑ってしまいました。そこで厳しく叱りつけました。
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叱りつけた理由は
他人の演武を見て笑うという事は、その人を侮辱していることになるのです。それは、その人を馬鹿にしていることになるのです。そういう人は、やがて人から笑われ、馬鹿者あつかいにされるのです、と。
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子どもは悪気があるかないかわからないのですが、厳しく教え躾なければならないのです。
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今朝の学問館には上山指導員が出席してくださいました。真面目一本、典型的な標本であります。8月19日に男児誕生がありましたので、お慶びの次の和歌を書いて贈呈しました。
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祝 御誕生
新らしき命の光尊けれ
至誠勤勉育つを祈る
上山昇太郎殿
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短歌の紹介
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運命の中の法則駆使をして
悩み苦悩を陰隲録で 5437 『易と人生哲学』37
運命は自分で創って行くもので
学問修養よりて己創 5438 『易と人生哲学』40
応用のきく面白き行動の
学問陰隲録で学べと 5439 『易と人生哲学』41
世を如何に処して行動原理をば
尋ねる学が易の学門 5440 『易と人生哲学』42
易学は極めて応用きくもので
大事な使命人も救済 5441 『易と人生哲学』42
善き親の魂享け命起つ昇太郎
永久に挑めよ人間の道 5442 上山令息
父親の「義」とは大和の心なり
「之」を鑑に親に負けじと 5443 博庵語録
武(もののふ)の道を通じて師と弟子が
子らに説くなり大和心を 5444 博庵語録
半年の行で優李がひとり立ち
突き・受け・見事演じきるなり 5445 博庵語録
神ならぬ誰が為し得るおもうかや
優李颯爽独り舞台を 5446 博庵語録
聡一の突き見てびっくり男なり
父に続けよ男の道を 5447 博庵宇都令息
敬天の空手精神一筋で
男・敬天見てたもれよと 5448 博庵語録
道求め童が集う修道館
文武両道武士道の心 5449 博庵語録
お釈迦様七月八日天風は
六月八日人の道説く 5450 『盛大な人生』32
朝の九時上野精養軒前に
立ちて説法わらじ履きにて 5451 『盛大な人生』33
ヨガの教五千年前に創られて
禅は二千年前に創らる 5452 『成功の実現』245
大学の精神科学の大家氏が
不眠症のため天風相談に 5453 『心に成功』215
ぜひ天下模範になると志を立てて
君父の仇討つ心構えで 5454 『臥牛 菅実秀』
志を立てて人問(と)い直(ただ)ちに実行す
学問修行生きてくるなり 5455 『臥牛 菅実秀』