第3014号 29.04.01(土)
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桃李は艶なりと雖も、何ぞ松蒼柏翠(しょうそうはくすい)の堅貞(けんてい)なるに如(し)かんや。『菜根譚』
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桃や李の美しさはまこと濃艶だが、松のあお、柏のみどりのいつも変わらぬ姿には及ばない。
人間も、一時の華やかさより、終始変わらぬ堅い操こそ守るべきである。574
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【コメント】有難い菜根譚の訓戒だと存じます。人間えてして一時的満足に浮かれがちであります。しかしそれを堅い理性で以て判断し、過ちなきようにしたいものです。
その昔、荘内南洲会の小野寺先生ご一行様が来鹿したとき、指宿の旅館に宿泊されたことがあります。その時、私共、味園道場一行も数人ご一緒しました。
その晩、私共の仲間が大変な無礼を働きました。二次会の部屋で、私が沈んでいましたら、事務長の佐藤昭夫先生が、何か失礼なことをしましたか、と言われました。
いや、私共の仲間が失礼なことをしたのです、と弁明したのでした。そして鹿児島の自宅に帰ってから、私共の仲間が失礼を働いたその男に厳しい御灸をしてくださいといいました。
その男は、我こそは知的に優秀なのだと威張り腐っているのでした。すること為すことが独善的でした。そこで、私が厳しい厳しい手紙を出したのです。
そのやり方が悪ければ、私は天罰を受けて死んでいるだろうと思っています。私が厳しい手紙を出さなければ、その男の性格は直らず、死ぬまで嫌われる性を露呈し、人生を送ったと思うのです。
人間にはいろいろな問題が起ります。そのような時、『南洲翁遺訓』が訓戒するように、天地自然の道で考察すれば間違いはないと思います。
即日も書きました曽野綾子女史の提案した「看護師」の呼称にしても然りです。人間の男と女は生まれた時から、身体の機能が異なるのです。
幾ら男女同権の世の中だとしても、肉体は天から戴いているのです。それを慢心した女たちが捉え方を変えたとしても、天は承知しないのです。
『幻の講話』にある戦争事変で男が大量に死んだ翌年から、男子の出生率が多くなるというのもそういうことだと思います。
昨日もテレビ報道でありましたが、このまま人間が横暴を繰り返せば、天の制裁を受けるのは必至だと私は思います。だから、『南洲翁遺訓』を学びたいと思うのです。
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『臥牛菅実秀』(第546回)
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船田一琴が後藤裕乗を目標として苦修したように、実秀は人生の最高峰に逞しく聳え立つ伊尹・傅説を眼前に見据えて、その人に肩を並べようと、自らを烈しく鞭打っていたのである。
(自分として)ただ願うところは、いつにても天子より召され、天下の政を汝にまかせんと仰せられる時、尻ごみす るようにては、腰抜け同然と思い、いかにもして、その大任に堪うる大材たらんと思うなり。 ---臥牛先生遺教--
と、自己の胸中に潜めていた自任の精神を門弟の人に洩らしたことがあったが、大津事件、日清戦争の講話問題で見たように、実秀はつねに国家の動向に対して、高邁な識見を抱いていたのである。
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桃李は艶なりと雖も、何ぞ松蒼柏翠(しょうそうはくすい)の堅貞(けんてい)なるに如(し)かんや。『菜根譚』
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桃や李の美しさはまこと濃艶だが、松のあお、柏のみどりのいつも変わらぬ姿には及ばない。
人間も、一時の華やかさより、終始変わらぬ堅い操こそ守るべきである。574
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【コメント】有難い菜根譚の訓戒だと存じます。人間えてして一時的満足に浮かれがちであります。しかしそれを堅い理性で以て判断し、過ちなきようにしたいものです。
その昔、荘内南洲会の小野寺先生ご一行様が来鹿したとき、指宿の旅館に宿泊されたことがあります。その時、私共、味園道場一行も数人ご一緒しました。
その晩、私共の仲間が大変な無礼を働きました。二次会の部屋で、私が沈んでいましたら、事務長の佐藤昭夫先生が、何か失礼なことをしましたか、と言われました。
いや、私共の仲間が失礼なことをしたのです、と弁明したのでした。そして鹿児島の自宅に帰ってから、私共の仲間が失礼を働いたその男に厳しい御灸をしてくださいといいました。
その男は、我こそは知的に優秀なのだと威張り腐っているのでした。すること為すことが独善的でした。そこで、私が厳しい厳しい手紙を出したのです。
そのやり方が悪ければ、私は天罰を受けて死んでいるだろうと思っています。私が厳しい手紙を出さなければ、その男の性格は直らず、死ぬまで嫌われる性を露呈し、人生を送ったと思うのです。
人間にはいろいろな問題が起ります。そのような時、『南洲翁遺訓』が訓戒するように、天地自然の道で考察すれば間違いはないと思います。
即日も書きました曽野綾子女史の提案した「看護師」の呼称にしても然りです。人間の男と女は生まれた時から、身体の機能が異なるのです。
幾ら男女同権の世の中だとしても、肉体は天から戴いているのです。それを慢心した女たちが捉え方を変えたとしても、天は承知しないのです。
『幻の講話』にある戦争事変で男が大量に死んだ翌年から、男子の出生率が多くなるというのもそういうことだと思います。
昨日もテレビ報道でありましたが、このまま人間が横暴を繰り返せば、天の制裁を受けるのは必至だと私は思います。だから、『南洲翁遺訓』を学びたいと思うのです。
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『臥牛菅実秀』(第546回)
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船田一琴が後藤裕乗を目標として苦修したように、実秀は人生の最高峰に逞しく聳え立つ伊尹・傅説を眼前に見据えて、その人に肩を並べようと、自らを烈しく鞭打っていたのである。
(自分として)ただ願うところは、いつにても天子より召され、天下の政を汝にまかせんと仰せられる時、尻ごみす るようにては、腰抜け同然と思い、いかにもして、その大任に堪うる大材たらんと思うなり。 ---臥牛先生遺教--
と、自己の胸中に潜めていた自任の精神を門弟の人に洩らしたことがあったが、大津事件、日清戦争の講話問題で見たように、実秀はつねに国家の動向に対して、高邁な識見を抱いていたのである。
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