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味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

浄几明窓、古人の書を読む。人間の幸福此れより大なるはなし。

2017-07-21 18:02:01 | ブログ
第3126号 29.07.22(土)

浄几明窓、古人の書を読む。人間の幸福此れより大なるはなし。史を読むは無窮の懐あり。千古を洞観し、古今を一視す。人生の一大事なり。『東洋人物学』123 

 浄い机、明るい窓に倚って古人の書を読むことは、人間の幸せの中でも此れより大なるものはない。史を読むということは極まりない奥深さと歓びがある。連綿と続いてきた悠久の月日の中で、人生の一大快事といっていい味わいがある。

 【コメント】漢文調の得も言えぬ味わいのある文言です。大した学歴・能力とてない私ですが、半世紀にわたり、購入し、読み感動した作品を片っ端から書き写してきました。
 
 この所は心の栄養剤となる漢籍を繙き、読み、書き写す道楽の毎日です。お蔭さまで高齢者特有の呆けは無縁のような気が致しています。

 通常云うギャンブルにうつつを抜かすよりか、歴史的に読まれ続けている文学作品をお読みになられた方が満足感一入となることでありましょう。

 元政治家が自分の名声を裏から誇示したいために、天才なる者を紹介していますが、その天才君が現職の時、テレビに映ると昭和天皇はテレビのスイッチを切ったとお聞きしたものです。

 世の人々のためになることならいいのですが、背景に懐こやしの一面があってはならないのです。西郷隆盛の漢詩にある、「過ちを斉しうしては之を己にかい、巧を同じうしては是を人に売れ」という精神こそ歴史的に人々から称賛されると思います。

 昨日の大相撲で白鳳が高安を下しました。私が言及したハリテは目立ちませんでしたが、歴史に名を刻んだ大横綱となった訳ですから、これからはその取り口の手に、称賛の声が聴かれるよう精進して欲しいものです。

 特に次期オリンピックの際、土俵入りをしたければなおさらのことです。そこに行くと、日馬富士は卑怯で姑息な手は遣わない紳士だと観察しています。

 野球人で言えば、衣笠さんみたいだと思っています。二度とない人生です、清く美しく生きたいものです。

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『人としての生き方』(第80回)

 つまり、天の仕事を総理というものが代って行うわけです。これは中国から伝わっているひとつの思想ですが、こうした自分の立場を失って、”俺がトップだ””自分がすべてだ”と思った時に、アドルフ・ヒトラーや、ベニート・ムッソリーニのような過ちを犯すようになる。
 これは経営でも同じことだと思います。”これまで築いたのは俺の力だ””俺がいなかったら何も出来ない”というものではなく、自分の立場を踏まえ、その時々に絶えず学びながら、後進を育ててゆくことが大事だと思います。


   俺がおれがの我を捨てて、お陰おかげの下に生きよ。

 といいますね。「お陰様」「有り難う」という気持ちがあるからこそ、互いに尊重し合い、敬し敬せられる、そうした豊かな関係を築くことが出来るのではないでしょうか。
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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第71回)

 明治九年六月、大久保利通が開墾場を視察し、大いに賞讃したときも、開墾士たちは大いに感激していますが、実は内情偵察でありました。同年九月に巡察した三条実美、山県有朋、伊藤博文もまた同じことでした。政府は西郷と庄内の動向をもっとも恐れていたのです。
 ぐっと下って明治三十九年のことですが、大隈重信が菅と開墾をこう評しています。
 「庄内には菅という知恵者がいて、戊辰戦争の戦後処理に活躍したが、その後は薩摩に傾きすぎて方針を誤った。菅は天下がもういちど大きく乱れると見、その機会(第二維新)に乗じようとしたらしい。十年の役が終ってもその迷夢が覚めなかった。我が輩が庄内にいったとき(明治十四年)開墾を見たが、あれは若い者の筋骨を練るためだった」
 大隈の見方は本質を見抜いています。西郷がいない政府の圧力はじわじわと開墾士におよんで、ある者は憤激し、ある者は動揺して、志気を失っていったのでした。

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欺くこと勿かれ、

2017-07-21 09:34:35 | ブログ
第3125号 29.07.21(金)

子路君に事(つか)ふることを問ふ。子曰く、欺くこと勿かれ、而して之を犯せ、と。『小学』(明倫第二)87

 子路が国君に事える心得を尋ねた。孔子は「君を欺かないこと、君の顔色を犯して正しい主張をすること」と答えた。

 【コメント】君主に仕えるためには、第一義は欺かない事であり、次は、正しいと思うことは君主であっても、その威に逆らってでも主張することは勇気のいることであると思います。

 君主のためを思って主張するだけの気概が欲しいものです。現在のわれわれは君主という存在は無いわけですが、自分の周囲にいる仲間、友人、知人も君主と捉えて、かくありたいものです。人に差をつけるのはよくないからです。

 尤も誠心誠意尽くそうと思っても、対応する人が臨まない場合は、無理強いすることは控えてもよいのではないかと考えます。

 昨夜は第二道場での御稽古でした。大暑にもかかわらず、子供たちが集ってくれるということは有難いことです。優秀な中学生君は風邪をひいたとかでお休みしました。

 6歳児・カナコサマも元気で集ってくれました。私は78歳、カナコさまは6歳ですので、何歳ちがいますかとお尋ねしましたら、72歳の年齢差があると即答しました。

 一緒に来ていた小学2年生君は引き算が出来ず、答えられませんでした。空手道も『南洲翁遺訓』発表も元気よくできました。

 第二部は田上青年とおけいこしました。田上さん用に小冊子をプリントし、それを基に学びました。お心の優しい田上さんと空手道教室でおけいこすることが出来て、光栄です。

 田上さんを詠んだ漢詩を作成していましたので、それに詩吟の節調を付け、吟じました。田上ご両親の血を引いた青年は迚も素晴らしい限りです。

 御稽古が終った頃、荘内の中澤先生から電話を頂きました。お元気なお声を拝聴し私も元気を頂きました。私の拙いブログも見てくださっておられるとのことで有難い限りです。

 『南洲翁遺訓』の読み方・拝誦等々につき、高木先生は荘内南洲会方式が気に入っているということでした。私も荘内南洲会方式は好きなのですが、空手道教室では現代風でないと子供が戸惑うと思って、大声で絶叫させているのです。

 その方が暗記をするのに都合がいいと思ってのことです。

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『人としての生き方』(第79回)

   小人の過つや、必ず文(かざ)る。

 『論語』子張篇にある子夏の言葉です。「文る」というのは、取り繕うことです。ああだこうだと言訳をして取り繕うことをしたり、頑迷となって過ちを認めないような度量の無い人間もいます。松平先生にはそうしたところがありませんでした。
 諫言をする者も、そしてこれを受け入れる者も、互いの信頼関係があって、はじめて補佐役の仕事も全う出来るんです。そうした意味では、議員と秘書というよりは、むしろ主君と家老といった関係だったのかもしれません。
 考えてみますと、世の中に補佐役でない人は誰もいないと思います。事業のトップであっても、やはり天の補佐役であると思います。佐藤栄作(第六十一~六十三代内閣総理大臣)さんが伊勢神宮に参拝された時に新聞記者から「何をお祈りしたのですか」と聞かれて、「私には相談する相手がいないから神様に御願いしたんだ」と答えたといいのます。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第70回)

 その翌日の日記には、
「夜分、開墾隊の隊員はご殿や藩首脳部の邸に押し掛ける。折しも参事の邸では首脳部が集まっておられたが----」
 とあり、首脳部では政府褒賞の真意とその対策を協議したのでしょう。しかし政府の疑惑の筋を明からさまに「隊の少年」たちに告げるわけにいきません。黒崎の日記は続けて
 「隊の少年は酔って走りまわり、門を押し開けて闖入し、杯盤狼藉、踵を返して隊長の家に押しかけ、酔を尽くし、歓を極め、意気ますます盛んに、勢いあたるべからず、ついにぶっ倒れてそのまま眠り、障子の白むのを知らなかったという」
 こう黒崎は書いていますが、狂気した開墾の「組の少年」たちの行動は、〔国家に報いるという開墾の目的〕が、政府に認知されたとと信じての行動であったのです。開墾の真意はごく小数の首脳部の胸中にだけあったことが分かります。  

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大相撲が佳境に入ってきています。優勝は白鵬になるのでしょうが、相撲の取り口が悪い。朝青竜は低次元であったが、白鵬は性質が悪いと思います。
 
 対する相手は横綱に対してハリテは失礼だと思ってあまり使っていませんが、白鵬はデタラメに使用している感があります。協会の理事長は注意しなければならないのに、何も言わないのは片手落ちだと思います。これは人格の欠陥以外の何物でもありません。

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