味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

君子は人の歓を盡さず。

2017-07-26 09:32:23 | ブログ
第3130号 29.07.26(水)

曲禮に曰く、君子は人の歓を盡さず。人の忠を竭さず。以て交を全くす。『小学』(明倫第二)124

 曲禮篇にいう。有徳の君子は、相手の人の自分に対する歓待や配慮を十二分に受け尽くすことはしない。それが交際を長続きさせ全うする所以である。

 【コメント】君子でない場末に生きる我々であっても、君子同様、<人の歓を盡さず、人の忠を竭さず>とあるように心したいのです。これは意を用いていれば出来ることであるし、心掛け次第なのです。

 昨日は内閣支持率低下に伴い、国会の閉会中審査が行われました。質疑を受ける安倍総理らはしどろもどろでした。支持率が高いからといって、国民を愚弄するようなことをしてはいけません。多分支持率は更に低下するでしょう。

 追及をしている民進党を中心とする人々は、政権の受け皿を願っているのでしょうが、民進党は自民党以上に人気がありません。

 それは先に政権交代した時のハトポッポ総理らのやり方をみて、子供の遊びだと言った人がいましたが、信用度はないみたいです。

 そこに来て、都民ファーストが国民ファーストとして国政進出すれば応援したいという人は数多いるようです。とにかく初心に却って、人民の 人民による 人民のための 政治をして欲しいものです。

 そこで私の願いは、受ける側も贅沢の蔓延はよくないと思います。次期オリンピックのため、急ピッチで競技場づくりをしていますが、仕事の時間外問題でしょうか、工事に従事している23歳の青年が自殺を致しました。

 オリンピックは回を重ねるごとに金のかけ過ぎだという人がいますが、どうなのでしょう。施設は古くとも懸命に競技する選手の姿にこそ人々は称賛する筈です。

 贅沢な会場を創るから自然の猛威が覚醒させるために天が怒っているのだという人がいましたが、本当なのでしょうか。

 今朝は白鳳の相撲態度について報道がなされました。一つの立ち合いで「ハリテ」が4回もあったとか。以前、猫ダマシをした時、北の海協会理事長が叱ったということですが、当然でしょう。

 今回のハリテについてもNHK解説者も苦言を呈していました。横綱で、身体が大きく、力があって強い人がすべきではないと思います。先にも書きましたがハルマブシはそういう手は遣わないようです。

 私はそれは性の汚れだと書きました。横綱と対する時、位の低い人は遠慮をしているのです。先にも書きましたが、これは心掛けの問題なのです。流石横綱、技はうまいし、強いとして歴史的に人々の感動を呼ぶ取り口であって欲しいものです。


 そういう人々の意見も、世論も無視した場合、白鳳の子供が早死にしたらどうしますか。これは中村天風論なのです。そこまでしないと目が覚めないということであれば、天が制裁をしなさい、という人は多いでしょう。

 その為には漢籍を繙き、修養をすべきです。なぜなら頂点にたつ横綱なのですから。

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『人としての生き方』(第84回)

 豊橋陸軍予備士官学校でのわくしの教え子である末次一郎君は、戦後、日本健生会で行動を共にするわけですが、青年海外協力隊をつくるにあたって、彼が上智大学へ行って生徒たちに話をしましたら、そこにいた百名のうちの、実に三十七名の青年たちが手を挙げてくれました。
 ヨーロッパ、南アメリカ、アフリカ、アジア諸国を手分けして廻り、青年海外協力隊について理解を求めましたところ、「日本の青年たちならぜひ来てほしい」という声が圧倒的でした。これを断ったのは中国と韓国だけです。
 第一回目の協力隊の派遣は、すべてわたくしどもで行いましたが、その実績をもって、政府の仕事としてこれを引き継いでくれるよう、以前から知己のある国会議員を通じて要請し、二年目からは政府によって派遣されております。
 現在は、現役を終えたシニアの方たちによるボランティアの派遣などもありますが、これまでに四万人に上る方たちが外国に行って活動し、大変に感謝されています。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第75回) 

  といったところ菅は、
 「大いによろしい。その志だ。まことにそうでなくてはならない。しかし外国留学となるとはなはだ難かしい。天下の形勢を知ろうとするならば、雄俊な人物の内弟子にでもならねば、知ることができまい。----黒田公(清隆)が韓国から帰り、長兄(酒井了恒)を通じて(黒田の)内弟子になることができればこんな嬉しいことはない。ロシア、イギリス、フランス、ドイツだって見られぬわけではあるまい」
 黑崎はこれを聞いて恍惚として酔うが如く甦るが如く、迷いはきれいさっぱり解消して、
 「不敏ではありますが謹んでお教えを守り、その時期を待ちましょう。私はお心を奉戴してその道を踏み行います」
と彼の日記はしるしています。

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