味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

身体髪膚、之を父母に受く。

2017-07-13 14:28:37 | ブログ
第3118号 29.07.14(金)

孔子曽子に謂ひて曰く、身体髪膚、之を父母に受く。敢て毀傷せざるは、孝の始なり。身を立て道を行ひ、名を後世に揚げて、以て父母を顕はすは、孝の終なり。『小学』(明倫第二)68

 孔子が門人の曾子に告げていう。この身体は、毛髪・皮膚まで一切父母から受けたものである。衛生に最大限の注意を払い、行動に気をつけて、軽々しくこれを傷つけたりしないようにと努力する。これが孝のはじめである。人生の経験を積み、この身の内容を充実し、確乎たる人格者としての自己を完成して、人の世に規範をもたらし、よって、この賢者を生みしは、この人よと父母の名を千載の後までも明かにするのは、孝の完成である。69

 【コメント】大変良い教えだと思います。お互いに幸せにして有意義な人生を送るためにこういう訓戒を身につけるべく努力したいものです。

 自分だけでなく、家族のみんなも、そして友人知人もと広げたいものです。

 昨夜は第二道場での空手道教室でした。7人で御稽古しました。御稽古をしていたら、子供をつれた母親が稽古風景をみていましたので、空手に興味があるのですか、と聞いてみました処、2歳児の息子におけいこさせたいと申しましたので、いろいろ説明してあげました。

 丁度、『南洲翁遺訓』女王のカナコサマが見得ましたので、御稽古風景を見て貰いました。空手道の意義と青少年教育の必要性をお話してあげました。そしてカナコリーダーが主導で『南洲翁遺訓』第一章を元気よく唱和しました。見学した若いお母様はとにかく吃驚しました。

 二度とない人生、空手道で身体を鍛え、そして精神面の練成をし、人生を誤ることのなきようにしないと、子供に万一の事態が発生してからでは遅いのです。

 私は70年間空手道をし、そして三千人以上の子供たちに空手道を教えてきていますので、人生に有意義ならしめるものでなくてはならないと何時も考えています。

 要はやる気さえあればいいと思うのです。昨夜は田上さんと男の空手道稽古をしました。大変上達してきたのですが、ただ、甘えがあるのでそれをどうにかしなければならないと考えています。

 途中、腰を落とせとか、漢詩の忘れに厳しく注意をしましたら、跳びかかってきました。そこで組手がはじまりました。田上さんの腕は、鍛えられていて、幾ら打っても全く効果がなく、組み合ったまま倒れてしまいました。

 田上さんの『南洲翁遺訓』と西郷さんの漢詩を朗誦する姿は最高です。

 兎に角性格がいいし、ナニクソと対峙する気概があるので大変結構だと捉えています。先週お休みした新中学生もやってきました。その人の幸せへの道程ですから、諦めることなく、指導し続けたいと思っています。

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『人としての生き方』(第72回)

 それから、福島女子短大に秘書課が出来ます時に、どうしても講師をやってほしいということで、二年程いたしました。その時、関東・東北の秘書課を持っておられる先生方のセミナーで基調講演を致しました。そして、その内容をまとめた『秘書に求められる人間像』という本を出しました。当時、秘書課の先生で秘書の経験のある方が殆どおられず、単に頭の中で考えたものを知識として教えておられる。幸いわたくしは長く秘書の仕事に携わってきましたから、その立場から話したものを纏めました。そうしましたら、これを読んだ福島医大の先生から、今度は「医師に求められる人間像を書いてくれ」という要請がありました。「私は医者ではないし、その方面の知識も無いから」とお断わりしたのですが、どうしてもということで、医者のことはわからないが、”医者に診てもらう立場から”ということで、『医者に求める人間像』という本を書きました。或いは、わたくしどもが活動をしております「新樹会」の運動としてやっておりました政治セミナーで話したものをまとめた『いま、政治家に求めるもの』を書きました。これらはすべて安岡先生から教わったといいますか、直接というよりも、先生のご本を通じて、わたくしが求めた人間学、そしてそのあり方を述べたものに過ぎません。
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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第63回)

 またある日の日記には、「当時はこぞって文明開化である。ひとり旧習を墨守し、外国事情に通暁せずして、大知識とはいい難い。一方新奇の文化に走って上古の道を忘れ、経書、史書などなんの役にもたたぬという者も、あながち愚者ともいえぬ。私はかつて東京に出て兵学を学んだので、大いに西洋人の教えを尊重する。国家に洋学に詳しい学者がいなくては、立国の道を誤る。いま庄内に帰って、国の賢人善者といわれる人たちを見て感ずるのは、学問の広いことが、まさにその篤行を損なっている、ということである」
 と。これを田辺儀兵衛先生(戊辰戦直後、江戸にあって菅たちと共に庄内と藩主の安堵に奔走して功績があった)は、
「漢も洋も二つながらなくてはならぬものである」
 と、いわれたので納得した、とあります。

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安倍総理が外遊から帰国し、国会閉鎖中の審議に応じるとのことです。内閣支持率がドンゾコの状態ですから回復させるためにもと思っているらしいが、効果は期待できないという識者の分析です。

 思うに森友学園の名誉校長が出だしのミスであったと思います。「有難いことと存じていますが、私ごとには不似合いでございます」といって断るべきであったと思うのです。

 そして離婚をしていないのですから、その辺のアバズレ女がするようなことはすべきではないと思います。そういうのを見識というのですが、全くもってデタラメです。

 話代わってケントギルバードを読んでいますが、国民の皆様も必読すべきだと思います。アメリカの方がいろいろ言及してくれるというのは有難いことだと思います。

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父母之を愛すれば、喜びて忘れず。

2017-07-13 09:17:57 | ブログ
第3117号 29.07.13(木)

曽子曰く、父母之を愛すれば、喜びて忘れず。父母之を悪めば、懼れて怨む無し。父母過ち有れば、諌めて逆(たが)はず。『小学』(明倫第二)58

 曽子の言に、父母が自分を愛してくれたことは、嬉しくていつも思い出す。父母ににくまれた時には、どうしてにくまれるのかと恐懼反省して、父母を怨む心をもってはならない。父母に過ちがあり、諌めなければならない時には、その意に逆らわず、丁寧に意見をしたいものである。

 【コメント】人間ややもすると自分の行いが悪いとは思わないものです。親であれ、兄姉であれ、行いに対して咎められるとか、意見提起をされた場合は謙虚に受け止め反省もしくは修正等々したいものです。

 できれば今の私みたいに漢籍を繙(ひもと)き、読み書き写しをすれば善き戒めになると思います。
 漢籍を読めば聖賢の良き教えを学べますので、是非参考にして頂きたいものです。

 私の場合、『南洲翁遺訓』との出合いのお蔭で荘内の先生方を存じあげる機会に浴しました。『教えの國・荘内』というだけあって、存じ上げた荘内の皆様の頭脳とお人柄は最高でした。

 惜しまれるのは『南洲翁遺訓』改竄事件の鎮静化のため、東奔西走し身体を害し、意に反して早々と黄泉路へ旅立たれた小野寺先生のことでございます。わたくしは二十年の間、荘内の先生方のことを寸時も忘れたことはございません。
 
 特に荘内に旅行した時、徹夜で小野寺先生のご講話を御聞きした時の事は忘れることができません。能力等々大したことの無い私ですが、小野寺先生からは、殊の外信頼され可愛がってもらいました。この男はウソを言わない、真面目な人間だと評価して戴いたのだと思っています。

 来年は西郷隆盛の大河ドラマ「セゴドン」が放映される予定ですが、映像の合間に、『南洲翁遺訓』のヒトコマを流して頂ければ、青少年をはじめとして人々への教育効果は最高なものがあると思う次第です。

 そして漢詩・『外甥政直に示す』『子弟に示す』の文言と意味は最高だと思うのですが、NHKの担当者の方は存じているのでしょうか。
 
 それこそ西郷隆盛を象徴する最高の大河ドラマができ、今の世に欠けている大和の文化が脚光を浴び人々からの称賛これに過ぎるものはないと思うのです。


 昨日は高木先生からお手紙を頂戴いたしました。誠にありがとうございました。今日は第二道場で空手道教室での御稽古がございます。

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『人としての生き方』(第71回)

 政務秘書として携わっておりまして、福島県の場合は、当時、県庁には、八部二局、約九千人の職員がおりましたが、皆それぞれに三十倍もの試験を経てきた連中ですから、優秀なことは優秀なんです。ですが基本が出来ていない。人間的なものが出来ていない為に汚職や不正を犯すような者もおりました。
 そうした中で、わたくしは人間の基本となるのを教えなくてはならない。これこそが特別職の秘書としての自分の仕事ではないかと思って、自分のところに来る課長とか、課長補佐・係長くらいの若い人たちに先生の『為政三部書』を示して、これを勉強するよう薦めるんですが、どうも若い方たちには先生のご本はなかなか馴染みにくい。そこで、これを訳してほしいということから、身分も省みず、二年程かかって先生の『為政三部書』をわたくしなりに訳しまして、『組織の中の人間学』として出しました。

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「死に代えた『南洲翁遺訓』」(第62回)

 希望と憂えと

 開墾士黒崎の日記には、解放された武士が放り出された、かつて経験したことのない社会にあって戸惑っているようすが記されています。
 たとえば明治六年六月のところに、商家はいま大騒ぎをしている。東京の男を雇い入れて、てきぱきと仕事をするので会計一切を任せたところ、裏切って出奔したこと。
 友人がある男を信用して五百円を預けて酒田に使いにだしたところドロンをきめこまれた話。
 これについて黒崎は、
「ああ、世はますます末となり、利欲極まりなし。私はただそうかと(人の話を)聞くのみ」と歎息し、『論語』に「利に放りて行なえば則ち怨み多し」とあるが、孔子が利に言及するときはかならず「天命」と共に説き、「仁愛」と共に説いた。命を知り、仁を好めば利があっても、害がない。ところが今の人が利に走るのは、浅はかな知恵で利を追及する。だから前に災難があっても、破滅があっても悟らない。親戚は遠ざかり、朋友は離れてしまう。
 と、黒崎はいっています。

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昨日は安倍総理は九州地方で被害が出た地区を見回り、お見舞いの優しいお言葉をかけられたようです。特に、内閣支持率が極めて低下しているためそれも考慮に入れてのことであろうと思います。

 兎に角、夫人が帰宅せず、知り合いの知人の家を転々と泊まり歩くというのは、不良女子中学生のレベルだと思います。外遊の際、タラップを降りるとき、夫妻は手を握っておりましたが、これは国民を欺くためのパフォーマンスだとみました。
 総理の亭主が帰らなくても、自宅で、慇懃に姿勢をただし、漢籍を読むとか、明治文学を読むなどし、総理夫人の豊かな品性品格を保持して行けば、後々、歴史的に人々の称賛を受けることになるのです。
 これは天が厳粛に観ているのです。

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