『ミリキタニの猫』を観ました。

2007年11月15日 00時05分21秒 | 沖縄現地情報

11月10日、那覇市桜坂劇場で「ミリキタニの猫」を観ました。
2001年9月11日、貿易センタービルが崩壊の時、ニューヨークソーホーで、平然と絵筆を動かす老人がいた。彼の名前は、ジミー・ツトム・ミリキタニ(三力谷)、80歳。

1920年にカリフォルニアで生まれ、広島で育つ。18歳の時軍国主義が強まる日本を逃れ、芸術に生きようとアメリカに戻る。その後始まった第二次世界大戦中、日系人強制収容所に送られた。1947年に解放されたが、ジミーの市民権は1959年にあったが、その通知は引っ越しを繰り返していたため、彼の手元には届かなかった。1980年代後半からグリニッチビレッジの公園で絵を売って暮す。

2001年リンダに出会う、彼の絵を買った事が縁で、時折、彼を撮影していた本作品の監督「リンダ・ハッテンドーフ」は、彼を自分のアパートに招き入れ、そこから彼の60年間の人生を追いかける旅が始まる。2002年リンダの助力でケア付きの老人ホームに入れ今日に至る。

2006年トライベッカ映画祭観客賞受賞、ポート・タウンゼント映画祭最優秀長編ドキメンタリー賞受賞など他にも多数の賞を受け現在でも受賞が続いている。
反戦の映画でもあり、人間の生きる力の凄さを学ぶ映画でもある。そして、今では見られない戦前の日本人を見る事が出る映画でもあります。
映画の最初の頃は、死にそうな老人だが、徐々に生きる気力が湧き背筋まで伸びる様を見て、人間には夢と希望がいかに大切かが実感出来きました。そしてミリキタニは、すごくチャーミングな武士です。

今年の8月6日、広島の「原爆の日」平和祈念式典に参列されたエピソードが、パンフレットに書かれていた。(原爆慰霊碑への献花の時、花をたむけ手を合わされた瞬間「仰げば尊し」を朗々と歌い、歌い終わって「ツトム帰ってまいりました」と。この出来事は周りの人達にどよめきと感動を与えた。ミリキタニさんの小学時代の先生が原爆で亡くなられたようだ。)・・・これにも感動しました。

※これからも、全国各地で上映の予定があるようです。是非、ご覧になってください。

那覇市遺跡探索散歩 コースM.『牧志巡り』(3)

2007年11月14日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

沖映通りを越えて、ダイエー前の道「十貫瀬通り」(旧長虹堤)を歩いて行くと、突き当り、ゆいレール下に崇元寺橋があります。橋の先には「旧崇元寺石門」「崇元寺下馬碑(歴代の国王が祀られていたので、敬意を表して門前で下馬した)」があります。
 
旧崇元寺は、臨済宗で、舜天王から尚泰までの歴代の国王をまつる国廟。「第一門と石牆」は、正面中央の石造拱門(アーチ門)と周囲を巡る石垣をいい、門を中心に両側に連なる石垣は切石積みで、全体は凸形になっていて、両掖門を備えた堂々たる石門です。

調和・雄大・壮美の点で、沖縄髄一の美建築とされる。中は公園になっていますが、公園から見る門もガジュマルの木と併せて一見の価値があります。
 
公園東側には「崇元寺之嶽」があります。琉球由来記には、コバノミヤウレ御イベという神を祀ってあります。また安里大親が、鞍を置いていった事から馬鞍のウタキとも呼ばれています。

前の車道(県道28号線)を東へ歩き、ひとつ目の交差点を渡ると、角の「沖縄JOBセンター」裏に「浮縄嶽」があります。琉球国由来記には、オキナワノ嶽として登場し、神の名はヨリアゲ森カネノ御イベといい、昔は安里村の人々たちが海の幸や、泊ハーリーの勝利を祈願した所です。

そこからは、向いにある「MaxValu」側へ歩き、川沿い(ゆいレール下)を歩けば、すぐそこに「牧志公園」があります。
いかがでしたか。東京でいえば銀座の裏に、沢山の祈りの神や、住民が使った井戸が祀られているという感じです。日本の戦前は、どこでもそうだったと思います。現代では、各地でも完全に無くなっているのではないでしょうか。そこに残された生活や貴重な風習を知るのも贅沢な旅だと思います。ご参考になれば嬉しいです。

那覇市遺跡探索散歩 コースM.『牧志巡り』(2)

2007年11月13日 00時05分12秒 | 沖縄現地情報
「牧志之嶽」のある道を真っすぐ西へ歩いて行くと四差路に出る。古本屋のある通りをさらに西に歩いて行くと、大きな車道(沖映通り)に出る。そこを渡り「パラダイス通り」へ入って行きます。
「JALCITY那覇」の裏側、地下車庫出口と「宇良商店」の間にある小道を入ると、駐車場の片隅に「ティーダーガー」があります。中国からの冊封使の残した記録に、天から陽光が差して来て、開けた穴から水が湧いてきたと記されているので、ティーダー(太陽)ガーと呼ばれています。周辺の地名もこれに因んで照川原と言っていました。

「パラダイス通り」を少し西に進むと、「緑ヶ丘公園」の南入口があります。遊技施設がある真中の道を過ぎると、少し低くなり広場に出ます。東側の道を真っすぐ降りて外に出る直前右側に「渡嘉敷敬三良(とかしきサンラー)の墓」があります。渡嘉敷敬三良は、中国から帰化した瓦職人で、国場村に住居を構えて真玉橋に窯を造り、国中に瓦焼きを広め、弟子たちが首里城正殿をはじめ寺院などの瓦葺きに貢献しました。16世紀に活躍し1604年に没。

※琉球に帰化した朝鮮陶工「張献功(チョウケンコウ)の墓」が、同じく緑ヶ丘公園内西側にあるはずでしたが、探せませんでした。
公園を出て運河に突き当たるが、右へ行くと「旧ダイエー」があり、沖映通りに突き当たるが、渡らないで左へ折れダイエーを再度左へ曲がったところ右手にある小高い岩山が「七ツ墓」のある丘です(入れません)。元は海に浮かぶ小島で、七つの墓があった事からそう呼ばれました。
また、かっての美栄橋から祟元寺橋の間の通りは、「十貫瀬の前(ジックワンシヌメー)」と言われていました。これは、岩の上に十貫の銭を置き忘れたが5~6年後、戻って見ると元の岩の上に残っていたので、そう呼ぶようになったそうです。その岩の一部が七つ墓と言われています。
美栄橋ホームから見る七つ墓
1451年に築造された祟元寺から久茂地に至る約1kmに及ぶ浮道「長虹堤(海中道路)」は、美栄橋がこの道のほぼ中央に架けられた石橋であったそうです。
美栄橋の三角公園に「新美栄橋碑」があります。そこにある案内板には、その辺の話も解説されていますので参考にされて下さい。

⇒次回は、「祟元寺石門」へ行き牧志駅へ戻ります。

沖縄初!『落語一門会』に行ってきました。

2007年11月12日 00時05分01秒 | 沖縄現地情報

11月11日、泉崎の琉球新報ホールで、「おきらく亭一門会」が行われた。沖縄で落語のライブが真直に見られる事は極めて珍しい。さらに、東京から真打ちの春風亭一朝、春風亭柳朝が応援に駆けつけて大変盛り上げました。

沖縄で、真打の落語が聴ける事に驚くとともに至福の時を過ごせました。
おきらく亭の代表者、「おきらく亭はち好」さんは、元春風亭一門の人ですが、2000年10月28日、東京から単身で沖縄へ移住しました。

7年間で、15名の門下生(すべてウチナンチュー)を集め育てて、今回沖縄で初めての一門会を行った。7年目に一門会をやれた事は、東京でも難しく沖縄でやった事は奇跡的な快挙だと思います。

一門のメンバーは、小学生が5名、高校生が1名です。これから若い落語家を育成すれば、沖縄に落語文化の将来は楽しみです。

この素晴らしい活動は、今回初めて知りました。
日頃、発表の場は、毎週水曜日、那覇市西町1-8-11(B1)「MUSICUA(ムジカ)」098-869-2636で、木戸銭は1000円との事。
 
今日の出し物は、1.小話:まめ好 2.落語:おり好 3.落語:ぶん好 4.落語:おや好好 5.日舞:一邑晴香 6.落語:くう好 7.落語:はち好 中入り 8.春風亭柳朝真打口上 9.落語:春風亭柳朝 10.落語:春風亭一朝 11.落語:はち好 12.大喜利:はち好、くう好、すい好、ぶん好

13:30~16:30まで、あっという間の3時間。大いに笑って大変堪能させて頂きました。沖縄で本格的な落語を聞けるなんて思っていなかっただけに、はち好師匠の沖縄におけるこれまでの地道な努力に尊敬し、これからも「おきらく亭一門」が益々発展する事を祈ります。
 

那覇市遺跡探索散歩 コースM.『牧志巡り』(1)

2007年11月11日 00時05分37秒 | 沖縄現地情報
今回の『牧志巡り』は、牧志駅と美栄橋駅の間にある、国際通り北側(牧志1丁目・牧志2丁目)の地区が中心です。まず、ゆいレール牧志駅を降りて、国際通りを渡って目の前にある「牧志公園」奥にある「東ウタキ」を見学します。牧志公園は、闘牛や相撲が行われていた場所で、牧志ウガンという名が有名です。牧志の拝所の一つで、村の東にあることから「東ウタキ」と呼ばれています。

公園を抜けると西(左)に行く小道があります。突き当りのT字路を右に少し行った、下側に「東ヌカー」があります。入口の目印は、ヤシ・クロキ・クロトンがある垣根です。
 
東ヌカーを後にして少し歩くと、三叉路に突き当たる、㈲サークルエヌを左へ進み、蔦の美しい壁を右手に住宅の間の道を周って行くと車道に出ます。少し右へ歩いた初めての左路地に入った直ぐ左側に「村ガー」があります。
 
その道を少し進むと「牧志北公園」があります。ここには、「牧志之嶽(ヤガノ森コバイ御イベの神がいたとされ、村の西にあったことから、西ヌウタキと呼んでいる)」の祠があり、右に「西御嶽(西ヌウタキ)」左に「土帝君(トーティークン)」が祀られています。土帝君(トーティークン)は、中国の土地神である土帝君を祀る行事が沖縄に渡来して、沖縄では豊作や大漁、商売繁盛、家運を祈願する行事として定着した。この土帝君は、元は国際通りにあって土との関係で瓦職人が祀りをしまた。

⇒次回は、国際通りの直ぐ裏にこんなに大きな公園があったのか。と、思う「緑ヶ丘公園」周辺を散策します。


沖縄の魔よけとまじない その⑤『植物』

2007年11月10日 00時05分42秒 | 沖縄現地情報
 
沖縄では、旧暦の8月「柴差し」の時に、魔よけとして「ススキ」と「桑の葉」を家々蔵々に刺します。
ススキには、「すくすくと盛生して他の雑草を圧していく」、「その葉が剣と似ている」の意味があり、強いものの象徴になっています。
 
桑の葉は、その木の呪力から来るもので、もとは、中国古来の聖樹とする信仰に基づきます。

ススキの葉を2~3本束ね、その葉の先を折り曲げて結んだもの(「ゲーン」と呼ぶ)に桑の葉を添えて呪物とするのが一般的なやり方です。それを門・家・屋敷の四隅、畜舎に立てて魔よけとします。

最近は、桑の葉を添えない物、桑の代わりにゲッキツ(月橘:ミカン科)の小枝を添えたものも見られます。
「ゲーン」は、その葉の先を十字に結ぶ事によって「アザカ」として魔よけになります。
 写真は、すべて津堅島です。
私は、このようなものを最初は、ススキの葉が枯れていて、何の呪いか不思議でした。少しずつ知るにつけて、沖縄の人々の「信仰心」の深さや「純粋さ」を理解出来るようになりました。本土では忘れられた心が沖縄にはまだ残っているのです。

沖縄の魔よけとまじない その④『貝』(2)「スイジ貝」

2007年11月09日 00時05分36秒 | 沖縄現地情報
 那覇市大道
「スイジ貝」とは、6本の鉤(かぎ)状の突起を持った大型巻貝で、類似のクモ貝(7本の鉤状突起を持つ)や小型のイモ貝とともに、その突起の部分が異形である事に加えて、殻口の部分が女陰に似ている事から呪力が信じられ、魔よけとして用いられたと見られる。
 那覇市桜坂
沖縄では、様々な魔よけに用いられている。多く見られるのは、シャコ貝と同様に、門に立てたり、紐で吊るしたりして、家・屋敷の魔除にしている。
 那覇市首里赤田
次に、スイジ貝が取り付けられる事が多い所は、フール(豚小屋兼便所)である。豚の分娩の時に吊るしたという所もあるが、多くの場合、豚コレラまたは豚疸毒といった豚の病気が流行した時に吊るした。
那覇市牧志
豚だけでなく、人間がモノモライにかかった時、患者自身がスイジ貝を軒先に吊るして、後を振り返らずに帰って来ると治ると言われた。
子供が夜泣きをする時は、スイジ貝をフールに吊るすと泣き止むとも言われた。
※山里純一著「沖縄の魔除けとまじない」より

首里『玉稜(たまうどぅん)』の人気者たまちゃん。

2007年11月05日 00時05分17秒 | 沖縄現地情報
首里の世界遺産『玉稜(たまうどぅん)』に、9月下旬から住みついたコウモリが人気者になっているらしい。私が玉稜に訪れた10月4日は、まだ施設事務所の人しか知らなかったのだが、最近は観光客の目に止まり人気が出て来たそうだ。
10月31日の琉球新報記事によると、「コウモリは、中国では幸運のしるしと考えられ、玉稜の高蘭(墓の前の石版)にも縁起物のコウモリが描かれている。
展示資料室のパンフレットには、5年前からコウモリのイラスト「たまちやん」が描かれているため、職員らは「本物のたまちゃんが住み着いた」と喜んでいる。と、書かれています。
 
10月4日のたまちゃんです。右羽を痛め、あまり飛べないので昼も木にぶら下がっています(体長推定40㎝)。

『琉球王朝古代行列』を観てきました。

2007年11月04日 00時05分27秒 | 沖縄現地情報

11月3日、『琉球王朝祭り』古式行列が、那覇市首里で行われました。
琉球国王の行幸の一つで、正月三日「初行幸」と呼ばれる三ヶ寺参詣行幸を再現したものです。三ケ寺初行幸は、俗に「ハチウチョウハイ」といい、王家菩提寺である円覚寺、天王寺、天界寺への参詣です。

14:00守礼の門をスタートし、池端の三叉路で龍譚通りに入り、ゆいレール首里駅前までを1時間30分掛けて行列をします。沿道は、地域住民や観光客で埋め尽くされています。子供達は、どこからこんなに出てきたのかと言う位たくさんいました。沿道には、屋台がびっしりと出て秋祭りの様子です。
 
国王と王妃は、公募しオーデションで選ばれた人との事です。その他の人は地域住民のボランティアです。王妃は、本来城内にいて行列には入らないらしいが、お祭りと言う事で、第42回の今回から行列に参加しているとアナウンスがありました。
 
何しろ、今では見られない古式の装束と、たくさんの人数(250人)での行列は、琉球王朝の時代を偲ばれる華やかな行列を見て、感激した次第です。

この後は、祝賀パレードが夕方まであり、夜は龍譚池で仕掛け花火があり、首里の街は大変盛り上がっておりました。
  今年の国王です

『沖縄県立博物館・美術館』POEN!

2007年11月03日 00時05分13秒 | 沖縄現地情報

沖縄県民待望の『県立博物館・美術館』が、11月1日にOPENしました。首里にあった博物館に美術館を加えて、新都心(ゆいレールおもろまち駅徒歩10分)に移転しました。昨年春に、沖縄へ来た時。楽しみにして、首里の県立博物館を訪れたら閉館でした。あれから一年半経ちました。
11月2日の午後、覗いて来ました。建物は、グスク(城)をイメージした建物で、外壁はすべて琉球石灰岩の石組にしたかったそうですが、予算の関係でこのような形になりました(それでも建設費約215億円)。
 
エントランスは、2階分の吹き抜けで大変贅沢な感じです。小さな喫茶店がありますが、もっと大きく出来なかったのか?と、思いました。
博物館と美術館を併設。しかし、入場料は別々に必要です(博物館常設展400円、開館記念展1000円、美術館開館記念展1,200円)。
私は、博物館の常設展のみを観たが約2時間充分に堪能しました。
入口のアプローチは、ガラス床下が海中の生物がリアルに創られていて驚かされます(館内は、一切撮影不可なので紹介できませんが・・・)。
入った最初の場所に、180度ワイドスクリーンで沖縄列島の出来るまでを流しています。次の部屋からは、年代別に琉球王国の歴史が展示されています。
外周の部屋では、自然、考古、美術、歴史、民俗を学ぶ事が出来ます。
博物館の常設展は、一階フロアだけで、ゆったりと歴史的遺産の実物が真直に見られる事は良い設計だと思います。
 
何よりも、入場しなくても入口前の広場に、沖縄赤瓦の古民家が再現されてあり、家の中に入れて貴重な体験が出来ます(現存する有形文化財は、家の中に入る事は出来ません)。

私は、新しい街や島に行った時は必ず郷土資料館に入ってから、その街を歩く事にしています。
沖縄に来た人は、『沖縄県立博物館・美術館』の「博物館常設展」だけでも見学される事をお勧めします。
1時間位で見る事も可能です。場所も解り易いので、是非、見学してみてください。

那覇市史跡探索散歩 コースL.『壷屋巡り』(3)

2007年11月02日 00時05分19秒 | 沖縄現地情報
 
「トーヤー」のある場所から東へ、横路地を2~3分歩くと「東ヌ窯(アガリヌカマ)」へ行けます。表の通りからよりも私はこのコースが好きです。
 
「東ヌ窯」の前の道をさらに東へ進み突き当りを右へ折れた所に「東ヌガー」が大きなガジュマルの木の下にあります。さすがに、壺屋らしく井戸周りのコンクリート壁には焼き物が貼られて、他にはない美しい造りになっています。村の東側にある事から、アガリヌカーと呼ばれています。300年前、村が出来て最初に掘られたのがこの井戸だと言われています。
 
「東ヌカー」は、やちむん通りの東の端になり、外の大通りは、県道330号線(ひめ百合通り)です。安里駅から来る時は、この「ひめ百合通り」を歩き、マクドナルドを目印に来ると約5分位で、ここに着きます。

「東ヌガー」から、やちむん通りを少し戻り「壺屋陶器事業協同組合」手前の路地入って直ぐの所に「ミーガーヌーカー」があります。ここも、見過ごしますので注意して下さい。ミーガーと呼ばれる家の人が掘ったという事で、このように呼ばれています。飲料水としては使われず、農具・食器などの道具洗い、陶土のろ過や洗濯に使われていたそうです。

これで、「壺屋の遺跡巡り」はおしまいです。
観光客は、「壺屋やちむん通り」へ来ると、大半の人は表通りだけを歩き「東ヌ窯」で記念写真を撮影して帰る。そうすると、壺屋は「おみやげ屋通りだ」と認識したままで終わります(沖縄の3大期待外れの一つになる原因です)。
通りから一歩中に入るだけで全く見る世界が変わり、沖縄および壺屋の歴史や街の生活が見えて来るのです。そうすると、沖縄の印象ももっと深くなると思います。特に、熟年世代には今回の様な歩き方をされてはいかがでしょうか。

壷屋への入り方も、牧志駅からのアプローチで、少し余分に歩きますが、「桜坂社交街」を通る事で、懐かしい映画看板がかかっている店(街)を観て頂きたくて、紹介しました(たくさん見たい方は、天ぷら坂に降りる前に、その周辺を広く一回りしてみてください。運が良ければ、7~8か所見る事が出来ます。「桜坂シネコン琉映」で看板を書いていた喜名景昭さんの看板絵です。)
 
別のアプローチとしては、牧志公設市場を見学した後で、壷屋に入るのも良いと思います。
 
やちむん通りに入る手前の骨董屋さんは、土産物屋では見れない古いものがあるので、興味のある人は立ち寄ってみて下さい。

那覇市遺跡探索散歩 コースL.『壷屋巡り』(2)

2007年11月01日 00時05分14秒 | 沖縄現地情報
喫茶「南窯」前、やちむん通りの道路南側下に、「下(シム)ヌカー」がひっそりとあります。この井戸は、道の下の方にあり、下の事を方言で「シム」と言う事から、シムカー(下の井戸)と呼ばれています。飲料には使われなかったようで、一日の作業を終えた陶工達が手足の汚れを落とすために使ったようです。
 下ヌカー
「下ヌカー」のある、やちむん通りから北側に一歩中に入った所の、三叉路のブロックに囲まれた三角地の中に「大川(ウフガー)」があります。解りにくいのですが、探してみてください探す楽しみが史跡探索散歩です。
 ウフガー
「ウフガー」さらに左手の小道へ入ると、蔦がびっしり茂った石壁が両サイドに続く小道があります。表通りの喧噪が嘘のような静かな空間が続きます。足元にも気を付けて歩いてみてください。小さな古い石厳当を見つける楽しみもあります。
 
蔦壁の小道を抜けて、どんどん奥へ歩いて行くと、自治会館の案内掲示板がある所に出ます。広場の奥の一段高い所に「ビズル嶽」があります。「ビンジユルグヮー」とも言われ、壺屋の土地や集落を守るタチクチ(村建て)の神様を祀り、壺屋のすべての行事はここから始まり、ここに終わると言われ、壺屋の人々にとって大切な場所です。
 ビズル嶽
そこから、再度直線で、やちむん通りに戻ります。途中に「トーヤー」と言われる火ヌカンを祀った少し大きな祠がありますが、これも見過ごしてしまいます。いったん通りに出てから、後ろを振り返ると見えますので、ここも探す楽しみにして下さい。
 トーヤー
⇒次回は、観光名所の「東(アガリ)ヌ窯」から「東(アガリ)ヌカー」へ行きます。