那覇市遺跡探索散歩 コースM.『牧志巡り』(3)

2007年11月14日 00時05分00秒 | 沖縄現地情報

沖映通りを越えて、ダイエー前の道「十貫瀬通り」(旧長虹堤)を歩いて行くと、突き当り、ゆいレール下に崇元寺橋があります。橋の先には「旧崇元寺石門」「崇元寺下馬碑(歴代の国王が祀られていたので、敬意を表して門前で下馬した)」があります。
 
旧崇元寺は、臨済宗で、舜天王から尚泰までの歴代の国王をまつる国廟。「第一門と石牆」は、正面中央の石造拱門(アーチ門)と周囲を巡る石垣をいい、門を中心に両側に連なる石垣は切石積みで、全体は凸形になっていて、両掖門を備えた堂々たる石門です。

調和・雄大・壮美の点で、沖縄髄一の美建築とされる。中は公園になっていますが、公園から見る門もガジュマルの木と併せて一見の価値があります。
 
公園東側には「崇元寺之嶽」があります。琉球由来記には、コバノミヤウレ御イベという神を祀ってあります。また安里大親が、鞍を置いていった事から馬鞍のウタキとも呼ばれています。

前の車道(県道28号線)を東へ歩き、ひとつ目の交差点を渡ると、角の「沖縄JOBセンター」裏に「浮縄嶽」があります。琉球国由来記には、オキナワノ嶽として登場し、神の名はヨリアゲ森カネノ御イベといい、昔は安里村の人々たちが海の幸や、泊ハーリーの勝利を祈願した所です。

そこからは、向いにある「MaxValu」側へ歩き、川沿い(ゆいレール下)を歩けば、すぐそこに「牧志公園」があります。
いかがでしたか。東京でいえば銀座の裏に、沢山の祈りの神や、住民が使った井戸が祀られているという感じです。日本の戦前は、どこでもそうだったと思います。現代では、各地でも完全に無くなっているのではないでしょうか。そこに残された生活や貴重な風習を知るのも贅沢な旅だと思います。ご参考になれば嬉しいです。