平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2020年3月8日 ちょっと詠んでみました

2020年03月09日 22時01分18秒 | Weblog
ちょっと詠んでみました

 この季節に平尾教会を楽しませてくれる二本の木々があることは、教会の皆もよく知っている。甘夏とアーモンドである。甘夏は、実りの季節を迎え、アーモンドは、花の季節となる。これらの木々が愛おしいのは、全くといっていいほど手を入れていないのに、季節が来れば毎年私たちを楽しませてくれる。
 甘夏は、教会バザーのために収穫される。いつも1万円以上の献金となる。先端についている実を収穫するためには、人間が木に登らなければならない。木の立場になって考えると、さぞ、きつかろう。平尾の甘夏は、ジューシーで、実がギュッと引き締 まり素朴においしい。無農薬で、周辺の秋の木々の落ち葉が唯一の肥料である。この甘夏でゼリーを作られるご婦人もおられて、とてもおいしい。
 それから、アーモンドは、一昨年の台風で倒れたけれど、起こしてつっかえ棒をしていたら、何 とか元気を取戻し、今年も花を見事につけている。毎年、通りがかりの人々が桜と間違え写真を撮る。後は、芙蓉がある。あまり知られていないが、これもこの時期で、片隅で艶やかに咲いている。
 「ウイルスのマスク姿の信徒らにアーモンドの花春を告げる」。「手入れなし愛情なしもただけなげ甘夏の実も芙蓉の花も」。「北国のコロナウイルスの教会に聖霊吹くや甘夏の香り」。教員をしていた頃、授業で短歌を扱ったことはあるが、自分で詠んだことはない。平尾の最後の春、庭の愛らしい木々におされて、試しにやってみた。


平良憲誠 主任牧師

2020年3月1日 どう生きるのか

2020年03月09日 21時57分05秒 | Weblog
どう生きるのか

 ジャーナリストの伊藤詩織さんは、元TBSアメリカ支局長の山口某から性的暴行を受けた。彼女の訴えは、刑事訴訟では不起訴になってしまったが、しかし民事訴訟では彼女は勝訴した。昨年12月末のことだ。その直後の外国特派員向けの英語の記者会見で彼女が、「私たちはいったいどう生きようとしているのだろうか、どんな種類の人間になろうとしているのか」という、通常の記者会見ではあまり耳にしない言葉を語るのを聴いて、私は深く考えさせられた。
 山口は、現首相についての新書本『総理』を著しており、首相とは携帯電話で話ができるほどの親しい関係にあるそうだが、そんなこともあってなのだろう、山口にはこの件で実際に逮捕状が出ていたにもかかわらず、成田空港での逮捕が急遽取り止めになったという有名な事実がある。その中止は自分が指示したことだ、と当時警察庁本部刑事部長だった中村某が認めているが、彼は菅官房長官の秘書官をも務めた男なので、山口逮捕の中止も官邸をバックにした決定であることは明らかであろう。彼は総括審議官、警察庁長官官房長を経て、現在は警察庁次長であり、次期警察庁長官の有力候補だと言われている。
 刑事訴訟が不起訴になった背景にも、こうした事情が反映しているだろうことは容易に想像がつく。そんななかで、伊藤詩織さんは、同様の官邸からの圧力の事実を彼女に伝えてくれた米国人の友人の「生き方」に感謝している、と語ったのである。つまり、訴えられた山口の不起訴がまだ決定してもいなかった時点で、その山口をアメリカのある研究所の研究員として採用するように、との依頼が官邸筋からあった、それも、かつて訪米中だった現首相がその研究所で講演をしてやったので、その見返りとしてそうしてくれ、との異例の依頼であった、ということをその友人は内部告発しているというのである。
 #MeToo運動の切っ掛けとなった米国の映画プロデューサーはつい最近有罪となり、直ちに収監されたと報じられたが、性的虐待ゆえに苦しんでいる女性は実に多い。そんなとき私たちは、「イエスだったらどうされるだろうか」(What Would Jesus Do? 略してWWJD?)といつも考える必要があるだろう。不当な権力に媚びることなく、また屈することなく、小さくされた者たちの側に常に立って行動していく、そのような「生き方」を私たちはイエスとともに選び取っているであろうか。


青野 太潮  協力牧師