平和1丁目 ~牧師室より~

福岡市南区平和にあるキリスト教の平尾バプテスト教会の週報に載せている牧師の雑感

2013年5月26日 枠に収まらないこと

2013年05月31日 23時51分30秒 | Weblog
枠に収まらないこと

 イエス様は、当時のユダヤ社会の枠内で生きることをされなかった。それで、社会秩序を形成していた権力を持つ人々から嫌がられた。当時の枠とは律法であった。律法を忠実に守っている人々は○、そうでない人々は×で救いから漏れていると考えられた。
 先日テレビを見ていたら、カラオケマシーンの評価によって、プロの歌手たちとアマチュアが、優劣を競っていた。まず、正しい音程で歌っているかが評価され、それから、しゃくり、こぶしやビブラートが加点となるというシステムだった。それまでは、人間の審査員が評価していた。そこには、当然、客観的な評価基準があるが、感動というものもかなりのウエイトを占めていたはずだ。
 ところが、評価するのは機械である。人が感動をおぼえるところに、機械は反応できるのかどうか、そこを測定できるのかどうか、が問題である。対象曲が自分の持ち歌で何十年も歌ってきたプロの歌手が、アマチュアの子どもに負けるケースもかなりあった。
 しかし、感動をおぼえたのはどちらかということになると、長年歌いこなし、ちょっと自分なりのアレンジを加え、音程は楽譜通りではないけれども、歌詞の意味などもかみしめながら歌っている、やはり、プロの歌手である。カラオケマシーンのはじき出す点数は、アマチュアの方が高くても、感動を呼び起こすという点では、プロには適わないと思った。楽譜に命を吹き込む、それがプロだろう。聖書を読む時はどうか。


平良師