2011.11.22(火)晴れ
京都新聞の連載で早川一光先生の「こんなはずじゃなかった2」と言うのがあって、切り抜きにして保存している。大変面白い文なんだけど一体何が「こんなはずじゃなかった」のか不思議に思っていたところ、古本でこの本を見つけた。
「お~いげんきかぁ~」ー医の源流を求めてー
わらじ医者 早川一光著 かもがわ出版 2006年3月第3刷発行
裏表紙に直筆のサインがあり、「いきいきってね 早川一光」とある。
読み終えて、南丹市となった今もこんな素晴らしい診療所が残っているのだろうかと心配をしていた。
知井にお住まいの介護士さんに聞いてみた。
「美山診療所は今でもあるんですか?」
「あるある、新しくなって老健みたいな感じになっていますよ」
どうやら入院の床数も増えたようだ。
「この先生知ってますか?」
「早川先生でしょう、どこでも往診してくれて、うちのおじいちゃんもお世話になったのですよ」
うれしいねえ、美山の人なら誰もが知ってるようだ。美山町は由良川の源流である。サブタイトルの「医の源流を求めて」というのは本来の医療を求めて、この地で住民の健康と命を守ってこられた先生の思いなのだろう。
先生の診療はもっぱら往診だ。
「もっぱら、私の仕事は、往診・・・・
文字通り”往って診る”医療・・・
ま、分かり易う言えば、
御用聞きの医療・・・
もっと、言いかえれば、
出っ張り医療・・・
きつく言えば、
踏み込み医療・・・です」
これがタイトルの「お~い元気かぁ~」の所以である。
本書の随所に出てくるのが往生のことである。先生は多くの人の死を見てこられて、送りの医療について真摯に考えておられる。家での往生、畳の上での往生が最も理想的とおっしゃっている。
「いつとは、その人、ひとりひとりが持つ寿命一杯、使い果たしてそのたわわな実を熟させて・・・。
どことは、できる限り家で・・・。見慣れた天井を眺め、踏み慣れた畳の上で、着慣れた寝間着を着て。
どのようにとは、みんなに看まもられ、そして、たくさんの人に惜しまれて・・・。」
現実に先生自身がその立場に近づかれたとき「こんなはずではなかった」と言う風におっしゃっているのは実はこのことではなかったかと思うのだが、、、。
【今日のじょん】おとーと一緒にGoGuideDogs冬バージョンを買いにいるまんさんに行ったのだがサイズが無くて注文して帰る。そのご久々のおおいの芝生に行って遊ぶ、暖かくてご機嫌。