晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 「こんなはずじゃなかった2」 11/24

2016-11-24 | 雨読

2016.11.24(木)曇り

 前回「お~い元気かぁ」で少し紹介したが、「こんなはずじゃなかった2」は本ではなくて京都新聞連載の記事である。2016年6月9日~9月15日まで12回に渡って掲載されている。全回を切り抜いたり、図書館でコピーしたりしたつもりなんだがいざ読もうとすると、2回と11回が抜け落ちていた。要するに揃えるだけで読んでいなかったわけだ。今あらためて読んでみると実に考えさせられる内容である。患者を診る立場から看護、介護される立場に変わり、今まで分からなかったことが見えてくるのだろう。あれほど患者さんの立場に立っておられた先生でも、患者の思いや状態など、その身になってみないと分からないことが一杯あるようだ。

 例えば熱中症にならないよう看護師さんや介護士さんは、水分をとるように言われるが、年寄りはのどが渇かないのだそうだ。それに若い人のようにごくごくと水が飲み干せないのだそうだ。お年寄りを訪問した際に、「水分を一杯とってね。ではさようなら」って帰らんといてね、とおっしゃってる。
 先生は多発性骨髄腫というがんを患い、在宅療養を続けておられる。在宅療養で患者に必要なことを、患者と医者、両方の立場から発信したいとこの記事を連載されたそうだ。
「長寿は戦争しなかったから」
「路傍の神のような医者が理想」
「ええやん、物忘れしても」
「手が届かないところがかゆい」
「笑う門にはぼけは来ん」こんなサブタイトル見たら是非読んでみたいやろ。年内じょんのびの「行って来文庫」に置いておくさかい、読みに来てや。おっと関西弁うつってしもた。

 最終回のタイトルは意味深で、「畳の上で養生」は天国なんやろか・・・・

 家で養生できて幸せやとは思っている。でも地獄にいるような気がするときがある。
 世話を受けることが、こんなにつらくて悲しいとは思わんかった。

 「違う。こんなんと違う」そう叫ぶ自分がいる。

 僕が追いかけてきた夢。「畳の上で養生」を「かくのごとく天国だ」と説明しようとしたら、それは煙のように消えていた。
「あっ、浦島太郎の話と同じや」と思った。在宅療養をしてわかった。
ふりだしや。

 「先生、それふりだしと違うで」
 「何やねん」
 「継続ですがな」
そうか。ほならまた、僕の話を聞いてくれるか。

12月から「こんなはずじゃなかった3」が始まるそうである。

【今日のじょん】貞岡さんにカメムシ取りの近代兵器をプレゼントしていただいた。もうだいぶ少なくなってきたのだが、それだけに見つけたら余計にうるさい。それにしてもこれ阪神にプレゼントしたいねえ。



 

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