晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大栗峠考(36) 5/26

2016-05-26 | 山・峠

2016.5.26(木)曇り  大栗峠考(35)は2012.2.8
 大栗という地名について-1

 実に4年ぶりに大栗峠について記すことになる。先日雨読の記事を書くため忠町の大栗を再度訪問し、新たな情報を入手したので紹介すると共に、栗=崩壊地とした自説に疑問を感じたのでその事についても報告したい。
 大栗峠(おぐりとうげ)の大栗の由来は志古田の小字名大栗による。峠名の多くは現地や麓の地名がそのまま使われる。胡麻峠、猪鼻峠、坪坂峠、長谷坂峠などみんなそうである。大栗を通っているから大栗峠であり、その大栗の由来はというと、「刳(く)る、抉(えぐ)る」の転訛したもので、地滑りや地崩れなどの崩壊地とされている。あの強烈な地滑りの痕を見たとき、なるほどそのとおりと思ったものだが、忠の大栗を観察したとき果たしてそれでよいのかという思いにかられたわけである。つまりあの崩壊は新しいもので大栗の地名が産まれた頃の崩壊では無いこと、崩壊しやすい地形であったなら、なぜその地に主要街道を設定したかという疑問である。

大栗峠にむかう志古田道の崩壊はすさまじい。
 忠町の大栗は忠町の集落から1Kmほど下流の須呂橋から上流左岸の地域である。

上林川左岸の川沿い一帯が大栗、橋は須呂橋という。
 栗地名のもう一つの意味は、曲流(くる)、つまり河川の流域で蛇行して流れが速くなっている地域という意味がある。この意味が当てはまるのかなと考えたが、上林川本流がその地点で大きく蛇行している訳でもない。むしろその前後数キロ内に極端な蛇行が見られる。それは上林断層に沿って直線的に流れてきた本流が中山の強固な岩盤を浸食することができず、南流してU字型に流れているためである。従ってこの大栗を曲流(くる)語源とするには無理がある。

睦合町から見た上林川、正面の中山に遮られ、流れはおおきく南行(画面左へ)する。太古は右に旋回し中山の裾野を流れていたと想像できる。
 ただ、南東に走る支流(谷の名前は確認できていない、地域は深山というが、地名辞典ではビロク谷という地名がある)の上流は地滑り地帯で、大きな崩壊痕が見られる。だからといってその支流の合流する付近を大栗というのは不自然である。崩壊地点と大栗とはずいぶん離れていて、大栗周辺が崩壊しているわけではないからだ。

右の草むらが支流、左に林道が走っており深山と呼ばれている。この奥に大規模な崩壊がある。
 そんなとき忠町出身の温井さんから28水(昭和28年台風13号による大水害を上林ではこう呼んでいる)をはじめとする水害の状況をお聞きすることができた。増水し始めると、須呂橋の付近で流れがせき止められ、渦を巻いて逆流し左岸忠集落の下に当たる家々が浸水するというものだ。つまり濁流が渦を巻く地点が大栗に当たるわけである。この渦が両岸を削り取って崩壊を招いたとしたら大栗の地名はまさに刳る・抉るという意味となるのだが、両岸ともそのように削り取られた様子は見られないのである。この渦巻きそのものがクルと表現されたのではと考えたのだが、思いつくのは「クルクルまわる」という表現があるのみで、渦巻きがクルと表現されるという根拠は見つからない。つづく

【今日のじょん】

チワワのコタロー君9才、テンマル君7才。同じ日こころ君が来じょんし、「さっきのは息子です」だって。

ということは、、、こころ君とはいとこだかはとこだか????

じょんはいつものように「出してくれ~」 
 


 
 

コメント
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