晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

大栗峠考(37) 5/29

2016-05-29 | 山・峠

2016.5.29(日)曇り、雨 大栗という地名について-2

 上林川が建田三町(忠、佃、武吉)をめぐるところは狭隘になっており、渓谷状になっている。流れが阻害されることは考えられるが、大栗付近でさほど狭くなっているわけではなく、地形だけでみれば、大水の際にこの地点で水がせき止められて逆流するというのは考えにくい。ただ須呂橋を見ると脇に旧の橋脚の基礎が残されており、28水以前にも橋があったことがうかがえる。この橋に流木や廃材などが引っかかり水をせき止めたということは容易に想像できる。大栗という地名が付いた頃に橋が存在しただろうか、おそらく橋は存在しなかったと思う。従って橋によってせき止められ、逆流した水がこの地名の語源となることはないと考えられる。

須呂橋から上流を見る、流域は広い。

 須呂橋を渡って谷や山の様子をうかがっていると農作業をしている方がおられた、数年前に忠に来られた小沼さんだ。そして貴重な情報を聞くことができた。28水の後堤防や橋の改修が行われたのだが、須呂橋の下流左岸は現在よりも川に張り出していて、田んぼ二枚分があったと言うことだ。もちろん小沼さんは後ほど越してこられた方だから、村の人に聞かれた話に違いない。その張り出した部分が28水で荒れてしまったかあるいは水の流れをよくするためにか、その部分の土砂を広げ積み上げ、現在の河岸となっているそうだ。28水までは川幅が狭かったわけで、橋によるせき止めもあっただろうが、地形的にもせき止められる可能性があったと思われる。橋が存在しない時代にもせき止められた水が渦巻いて逆流していたとすれば、それが大栗地名の所以となる可能性も考えられる。

須呂橋から下流を見る、流域は広いがかつては左の土手が張り出して田んぼになっていたという。
 須呂橋を渡ったところに圃場整備の記念石碑があり、そこに「堂ノ下、フノリ」という地名が刻まれている。堂ノ下はともかくフノリというのは変わった地名である。付近のスロ、ビロク谷などと共にかなり古い地名のようだ。いずれも難解な地名だが、スロのスは洲かな、フノリ=生法=草の生い茂った斜面かななどと考えてみた。しかし本当は何かわからない。

 そろそろ引き上げようかというとき、ネットの囲われた一画に土盛りを見つける、石組みらしきものも見えており、どうやら古墳らしい。古墳時代のものかと思うが、すぐ近所の河牟奈備神社のものは弥生時代というから、古い可能性もある。後日調べてみることとして、上林川の氾濫や支流の土石流など危険地帯かと思ったこの地が実はそうではなかったということが実証される。古墳の周囲にはおそらく人々が生活をしていただろうし、現に古墳は流されもせず埋まることもなく存在しているということだ。つづく

古墳は二基あるようだ。
【作業日誌】芝生広場芝張りの続き。前回購入の野芝は時期的に入荷できず、他の業者から1平米分購入、市販の姫高麗芝と混植する。野芝は程度がよかったが、高麗芝はかなり痛んでおりどうなることやら。残りは高麗芝で埋めようと思うが、時期的に購入が難しく、秋になるかもしれない。

【今日のじょん】先日久しぶりにげんたの妹、こむぎちゃんが来じょん。

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする