2013.9.30(月)快晴
日置氏が太陽観測の最適地としてピーク419mの北辺りを使用していたとしたら、その地は近世には遊里の村であったが、古代には日置氏の土地であったと考えられる。
その地は小字日置殿町ではなく、湯の上かも知れないが日置氏が観測地に通うのに近くて便利なように出張所的に日置殿町を置いたのかも知れない。
山論争の古文書など見ていると、近世においては遊里(由利)村と日置谷村は完全に別個の村のようであるし、領主も違う村である。しかし古代において上記のようなことがあったとしたら、遊里に日置殿町という地名が残ったと言う理由になりはしないか。
日の出というのはかくも幻想的なものなのか。じょんのび村から。
山論争の古文書の中に西おなる山というのが出てきた。ナルが日を表すことは前述したが、一般的には緩い、なだらかなといった地形を表すのでどちらとも言えないが、太陽観測に関する山名だとしたらと気になるところである。
また、君尾山、頭巾山、弥仙山の目標物の他に、東南30度は志古田の還流丘陵丸山が当たるようだし、西はひょっとしたら以前に歩いた改心の道の元権現跡が当たるのかも知れない。このように想像ばかり膨らむのだが、この仮説を証明するのはかなり困難と思える。
弥仙山前衛の山稜は怪異な曲線を描いている。弥仙山から君尾山に至る改心の道が走る修験道の道である。
まず、遊里日置殿町について、地元や識者にいわれを確認すること。
次にもし観測地があるとしたら、他の日置にもあるはずだから探索すること。実はいくつかの日置について候補地は見つかっている。
観測地はどのような地形か、どのようなところにあるか、伝説や固有の地名が残っていないか調べること、祠や磐座など祭祀関連の遺跡がないか調べること、などなど調査して現地を訪れてみたい。
その前に、日の出日の入り方位板を工夫して作ったのだが、これが果たして実際の日の出日の入りに一致するものか確認する必要が出てきた。つづく
【今日のじょん】ショックなことが起こった。戸締まりをしていたドッグランどにイノシシが侵入していたのだ。しかも侵入の跡が無い。隙間も無ければ破られてもいないのだが、一ヶ所だけビニタイが切れているところがある。そこしか考えられないのだが、荒れた様子もなくミステリーである。
草や土を積んだ下の虫などを物色している。問題の個所は直さないで侵入の有無を確認できるようにしておいた。