晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

日置のこと(37) 日置部とは-1  10/10

2013-10-10 | 上林地名考

2013.10.10(木)晴れ

 綾部市史は日置部を伴信友(ばんのぶとも・江戸時代の国学者、小浜藩士)の説、つまり戸数調査を任務とする部であろうとし、上林の日置、日置村中、日置殿などについて何鹿郡にも日置部の小規模のものが置かれていたのでは、と書いている。(上巻79ページ)上林にある草壁、弓削についても御名代部、弓削部に基づくものとしているが、果たしてそうなのだろうか。根拠は何も示されていない。
 部あるいは部民制については歴史の教科書にも載っており、授業で習うわけだがその実態というものは実に不可解なものである。事実古代の史料に「部民制」と呼びうる制度があったことを示す確実な記載は一つもないということである。(研究史 部民制)そして部民制に関する書物を読んでも、様々な説が頻出するばかりで本当はどのようなものであったかということが確定できない。
 教科書にあるような一般的な考えとして、職業部としてある一定の特殊な技能をもって朝廷に仕えるのがひとつの部といわれている。
 日置部がある一定の職種を持って各地に定住したとして、ある地域に日置の地名があるだけで日置部がその地で所掌の業務を行ったと判断するのは早計であると思う。やはりその地で特定の作業、業務を行ったという証拠が必要ではないだろうか。
P1010162



日置谷から沈む夕日、とても観測という雰囲気ではない。(2013.9.13)
 

 具体的な証拠探しの前に、日置部は一体何をしていたか考えてみたい。
「知られざる古代」(水谷慶一著)にわかりやすく整理されているのでご紹介しよう。

①太陽神をまつり、暦法・卜占と関係のある集団とみる説。これについては第四章でかなり詳しく述べた。柳田国男や折口信夫によって代表される。
②浄火を常置し、これを管理する集団とみる説。いわゆる「消えずの火」や「火継ぎの神事」にかかわったものとし、のちに宮廷で油火と蝋燭の供給を受け持ったとする。これは民俗学者の中山太郎らによって代表される。
③日置は「ヘキ」と読むのが正しく、もともと戸置の字を当てるべきで、これは租税を徴集するために戸数を調べ置く意味だという説。江戸時代の国学者、伴信友や太田亮によって代表される。

 
様々な文献を見ても、概ねこの三つの説に集約されるようだが、意外なのは伴信友の戸置説が郷土史などでは有力な様子だ。つづく

【作業日誌 10/10】
大根間引き

【今日のじょん】最近夜中の吠えが頻繁になってきた。昨晩も3回ばかり吠えて、みんな寝不足となる。じょんは昼間に寝られるからいいけど、こちとらビョーキになりそう。お騒がせのうり坊もここん所姿を見せないし、どうやら例のカメムシらしい。P1010433
                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                           


もうカメムシバスターⅢが活躍中。 

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