晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

雨読 暦の語る日本の歴史 10/5

2013-10-05 | 雨読

2013.10.5(土)雨、曇り

 古代人が天体観測をしたのは暦を作るためだろう。暦ったって現在のように、仕事の段取りを付けたり、借金の返済日を数えたり、物の納期を数えたり、ゴルフ場の予約を取ったりするものではない。
 人類が最初に使った暦は何時種を蒔いたらいいかという農事暦であろう。
エジプトで太陽暦ができたのも、ナイル河の増水が始まるとき、日の出の太陽と同時にシリウスが輝くことに気づいたからだそうだ。ナイル河の氾濫は肥沃な土を運び、そして播種、やがて収穫となる。
 では日本の場合はどういう歴史があって今日に及んだのだろう。暦はどうして作られるのだろう。旧暦いわゆる陰暦とはどのようなものだろう。こういった暦の疑問に答えてくれるのが本書である。
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「暦の語る日本の歴史」内田正男著 そしえて文庫5 1978年3月第一刷発行
府立図書館借本

 
 本書は一般向けにわかりやすく書かれているのだが、太陰太陽暦を理解するのは一度読んだだけでは無理で、理解してから次に進んでいてはとても読了できない。どんどん読み進めて、多くのことを知ることとなった。いくつかを紹介してみたい。
 日本の最初の暦は宋の元嘉暦で百済から6世紀には入ってきたようだ。それではそれまでは暦が無かったのだろうか。本書では「魏志倭人伝 注」(5世紀頃書き加えられたもの)に次の文があることを書いている。

 
「其の俗、正歳四時を知らず、但、春耕秋収を記して年紀となす」

 これは暦が無かったことを表すが、暦の概念は存在したことを表している。
思うに、日付こそは無くても、太陽や天体の位置、自然現象による季節の変化を農耕の諸作業と結びつけて習慣としてあるいは集団の掟として持っていたのではないだろうか。
 
 日本が太陰太陽暦を採用したことが、自然科学としての天文学の発達が遅れ、非科学的な暦注が無益な迷信的風潮を植え付けたと内田氏は批判されている。
歴史的な事実だから致し方無い事とは思うが、鎖国、陰暦の採用は暦や天文学にとって大きなデメリットであったことは間違いない。つづく

【作業日誌 10/5】
ドッグランど芝張り

【今日のじょん】
予報通り雨が降った、ドッグランど芝張りの状況をじょんのレインコート姿で紹介しよう。
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