晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

日置のこと(51) 日置部とは-6 10/30

2013-10-31 | インポート

2013.10.30(水)晴れ

 日置部の職掌についての諸説の中に、製鉄、あるいはそれに関する事業ということは見当たらない。「古代の鉄と神々」を書かれた真弓常忠氏は水谷慶一氏のいう「太陽の道」を批判して、鉄こそが太陽の道だったと述べられている。この二氏の論争は何度も書いてきたので今更説明をなすわけにもいかないが、学界ではどうなのかというと、どちらの説も受け入れられてないように感じる。それはいずれも文献に現れることが無い事と物的証拠が極端に少ないことに尽きるだろう。
 だからといって史実ではないとは誰も言い切れないことであって、アマチュアのいわゆる郷土史家などの間で研究され世に出るかもしれない。大学の研究室から発表されるよりもずいぶんと痛快である。
 両氏の論争(実際には論争では無くて、真弓氏が一方的に批判しているものであるが)」は簡単に言うと、日置部の職掌が測量であるか製鉄であるかということである
。日神の祭祀や渡来系氏族については共通しているようだ。
真弓氏の日置部製鉄説の根拠は垂仁紀、五十瓊敷命(いにしきのみこと)が大刀一千口を作らせたとき、参加した十の品部の中に日置部が見られることである。
 そのことは日置部が製鉄、大刀作りに長けていたことを示すが、同時にあとの九部(盾部、委文部、神弓削部、神矢作部、大穴磯部、泊橿部、玉作部、神刑部、太刀佩部)も製鉄、太刀作りに長けていたと考えられる。
 このことは日置部の職掌が製鉄関連であったというよりも、多くの主要な品部に製鉄関連の技術があったことを示すのではないだろうか。おそらく渡来系の氏族が支配する品部にとって採鉱、製鉄などの金属関連技術は必須のことであったのではないだろうか。真弓氏は「鉄の道」についての助言を水谷氏に無視されたと憤っておられるが、真弓氏も水谷氏の「太陽の道」説には一顧だにしない態度をとっておられる。両氏とも相手の説には理解しようともしない態度をとっておられるわけで、「そうかそういう考え方もあるのか、それならば調べてみようか」という態度が無い。両氏ともその頑なさが真実から遠ざかされているのではないかと言う気がしてならない。つづく

【今日のじょん】昨日のよっこらじょん体重測定で、今年最高の19 Kgがでた、黄信号である。すべての生き物の習性なのだろうか、秋には食欲が増してしっかり脂肪をため込むものなのかも知れない。とにかくよく食う。通常の食事の他にご飯や麺類、魚類などお相伴にあずかっている。そのおねだりのポーズ、あごのせじょん。P1010600



 

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