晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

日置のこと(46) なぜ太陽観測-2 10/21

2013-10-21 | 上林地名考

2013.10.21(月) なぜ太陽観測-1は2013.10.17

 弥生時代以降、米作りが大きく飛躍したのは鉄器のおかげということは何度も書いてきた。国家の成立と発展は農耕と鉄器が車輪の両輪という風に書いてきた。
 しかし今、農耕の発展は鉄器の普及だけではなく、土壌作り、圃場作り、播種から収穫に至るまでの技術の改良など様々な要素があると思い始めた。その中の大きな要素の一つに、播種から収穫までの時期の問題がある。収穫は作物の状態を見ればわかることだが、播種の時期は判断の難しい、重要な要素である。
 実は私事だが5年間稲作はできないが野菜を小さな農園で作ってきた。土壌、肥料、虫害、病害、水管理等々なにかと苦労するのだが少々失敗しても何とかなるものである。ところが播種の時期を間違ったものはどうしようもない。昨年の秋野菜は白菜にせよ大根にせよ育つのだが、白菜は巻かない、大根は根がないなどと悲惨な目に遭った。早ければ虫の被害とか言うけれど、遅いのは野菜というものの体をなしていない。
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昨年12月になっても白菜は巻かず、大根の根は育たない。

 現在ほど情報の発達している時代でもこれだから、古代の人には随分と悩みの種が播種の時期だったのではあるまいか。だからこそ積雪地帯では残雪の様子を持って農事暦としていたに違いない。
 それでは積雪の少ない西日本以西ではどのようにして農耕の季節をとらえていたのだろうか。
「上林風土記」の中の自然環境と農耕に関する諺や言い伝えを拾ってみると、なんと百件以上ある。そのうち米と麦に関するものをあげると以下のようになる。

「五月に天気が続けば干魃」
「五月に虹を見れば麦の値段が高い(不作)」
「五月に雪が降れば奉公せよ(凶作の年)」
「八十八夜の別れ霜。」
「蜂が高い所に巣を作ると大水の兆候、低い所に作ると大風」
「蛍の出が早いときは米は豊作」
「麦の種まき旬三日」
「麦の青刈り倉が建つ」
「麦の刈り旬三日」
「麦は一雨降ってから刈り取れ」
「麦と蚕は、出て五十日」
「葵の花が三つ咲く頃が田植え頃」※
「青葉に雪のかかる年は豊作」
「秋の雪は豊作の印」
「秋彼岸の照りは豊年の兆し」
「朝早く日が照ると曇りの天気になるので籾干しをしない」
「銀杏の葉が黄変すると麦のまき旬」
「大雪の年は豊作の年」
「雷の多い年は米が豊作」
「欅の芽が一時に開く年は洪水あり」
「コブシの花が多いと豊年」
「米の種子は貧者の子に蒔かせ春の種子は富者の子に蒔かせ」
「紅葉した山に赤牛を入れて目立たないと思ったら麦のまき頃」
「笹に実がなると稲が不作」
「土の塊の間に良い苗がない」
「ツバメの飛来が早ければ豊作」
「ツバメは田の神さんを背負ってくる」
「照りの梅雨入りは二百十日で荒れる」
「土用が来れば稲に肥料せよ」※
「春は十日の蒔旬一日の刈り旬、稲は一日の蒔旬十日の刈り旬」※
「彼岸過ぎての麦の肥料」
「深ずきの米獲り浅ずきのいもち取り」
「藤の花見て苗代せよ。栗の花見て田植えせよ」※
「フキの葉三枚あれば田になる」
「三日苗は馬鹿でも田に植えず」
「麦刈りで少し青かったら昼寝してこい」

※印は稲作と季節に関係するもの。
 積雪の無い地方ではやはり周囲の環境の変化を見て農耕の指針としたようだが、暦が手に入るようになると冬至から何日目、春分から何日目に何をするかというようないわゆる農事暦が主流となったのだろう。
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古代から山の木々や花を見て農耕の指針とした。(2013.5月南丹市日置)
つづく

【作業日誌 10/21】
芝植え替え
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実はこれ、大雨で流れてきた川砂、細かくて養分もありそうで川もきれいになるし一挙両得。

【今日のじょん】夜な夜なじょんが吠えているが、イノシシの侵入が続いている。朝の散歩時にすぐ近所にヌタ場を発見、ここまで来るかとあきれかえる。特に今年は山ではドングリや栗が豊作ということだ。イノシシも熊も里に出てくることが多いのはどうしたことだろう。
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こんなとこでヌタってんじゃねえよ。 

コメント
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