晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

日置のこと(39) 日置部とは-3  10/12

2013-10-12 | 上林地名考

2013.10.12(土)曇り

 上林風土記(平成16年12月)に日置谷について次の記述がある。

(一)山間に点在して実態の確かめにくい所。・・・・・必要に応じて戸数調査に当たったとも考えられ、そうした現地の役所ようなものを日置、置かれた地名、郷名となった。郡郷制発生後も必要に応じて使用されたのではないかという推定をもつ。つまり部曲名ではなく、郡司に属して設けられた役民か。云々「古代何鹿郡の古墳成立にどんな歴史が考えられるか」岩田実より抜粋
 

 この文献が如何なるものか、また岩田実氏がどのような人物かわからないのだが、戸数調査に当たった氏族なり集団が居て、それは地方、この場合郡といえようか、の役所的なものという説と考える。
 何鹿郡誌、綾部市史、上林風土記も同様な方向でとらえられているようだ。
日置が大体郡単位に存在することをもって、地方政治的な意味合いをもたれることと、山間部に多いことは、戸数を把握しにくい所にあえて役所を置くという風に考えておられるようだ。
 
 

 これら日置部に関する職掌の説についての問題は、いずれの説も「日置」の読みや字面についての考察だけで具体的な証拠になる文書や遺物を示しているものではないということだ。
ただ②の宮廷内での浄火の管理等という説については律令以後の事ということも言われており、確認はしていないが文書に記されていることではないだろうか。おそらく史実だと思うが、それが本来の日置部の職掌ではないだろう。
 それは日置が当時の大和朝廷の権力の及ぶ範囲に均等に散らばって存在することからいえる。それが中央の日置氏を養う領田だとしても、全国に点在する必要は無いわけである。
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霧の中の日の出、日置が山間部に多いのは霧が関係するのでは、、、。

それは「日置」の「日」か「戸」かと言うだけのものではなかろうか。「置」についてはどの説も一致しており、計算するという意味でいいだろう。
 例えば日置が地方の出張所的な役所であって、全国で徴税のための戸数や面積などを調べたとしたら、その行動や調査結果が何らかの文書に残ってもおかしくはないだろう。ところがどうもそのようなものは見当たらない。
 逆に日置が暦や卜占に関連した太陽や天体の観測をしていた場合、その経緯や結果は絶対に秘密でなければならない。このことは後述する予定だが、そう考えると日置部は暦や卜占に関連し、太陽や天体の観測を職掌としていたという説がもっとも妥当に思えるのだが。つづく

【作業日誌 10/12】
ドッグランど草刈り
薪割り

【今日のじょん】千客ワン来
やっとドッグランどの季節がやってきた、今日は連休初日とあって1ニャン3ワンのお客様が来じょんされ、じょんも接客でくたくたのご様子。
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コメント
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