晴徨雨読

晴れた日は自転車で彷徨い、雨の日は本を読む。こんな旅をしたときに始めたブログです。

楽しい腰痛(57) 7/19

2016-07-19 | 健康

2016.7.19(火)晴れ なぜ正しい歩き方を意識しなければならないのか?
 土用の丑の日にはとても食べられないので、早めに鰻を食す。平賀源内が知り合いのうなぎ屋のために「土用の丑の日」書いて張り出したということだが、それ以前に夏の養生のために鰻を食すという事があったのだろうと想像する。庶民としてはそういったきっかけでも無い限り贅沢な食事はできない。綾部に鰻専門店があるのかもしれないが、聞かないので京丹波町の「うな良」さんに行く。鰻重とだし巻きのセットをいただくが、本来なら鰻の焼けるのを待ちながら冷や酒でちびりちびりやるのが常道なんだろうけど、運転手ではそうもいかない。ノンアルコールビールが普及したのがずいぶん助かる。まあこれでこの夏も乗り切れるかとプラセボ効果に期待する。

 さて本題に戻って、じょんのび歩行をする際になぜ正しい歩き方を意識してしなければならないかということを考えてみよう。じょんのび歩行は人類の二足歩行の基本形である。この歩き方をすることによって筋ポンプ作用が働き、正しい姿勢が保たれ、筋肉の拘縮を取り、筋肉を鍛えるのである。残念なことに放っておけばそのような歩き方をするというものではない。脳による意識がないと正しい歩き方ができないのだ。「なんだ人間って不完全だなあ」と思われるかもしれないが、実はそのことが霊長類としての人間たるゆえんなのだ。つまり人間の手足を始め、身体の動作というのは他の動物のように特化されていないのだ。一つの動作を本能的にこなすのではなく、脳を通してマルチな動作ができるということだ。人間の手は食べ物を取って口に運ぶというだけでなく、道具もつくりだし、楽器も演奏し、絵を描いたり球技をしたりまあとにかくあらゆることが出来るわけだけど、そのすべては脳による指令があってのことだ。人類だけが巨大な脳を持つこととなった訳はそこにある。人間は魚のように水の中を泳げない、鳥のように空を飛ぶことはできない、チーターのように速く走ることはできない。しかし船でどこまでも行けるし、飛行機で空も飛べる、自動車や電車で早く遠くどこへでも行ける、これは自然から与えられたものではなく自らの脳で考え作り出したものである。
 正しい歩き方といってもあとから理屈に合った歩き方をそう言っているだけで、生まれもって備わったものではない。だからこそ常に意識して歩き、やがては無意識に出来るようになるわけだ。
 次にじょんのび歩行が身体的好影響を及ぼすのみでなく、脳の作用にも、心理的にも好影響を及ぼすことについて述べてみたい。つづく

【今日のじょん】じょんは何を見ているのでしょうか?


隣のうちのかわら屋さんの作業でした。

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